青春と読書
 この小説を読むのは苦しく、ページを捲りながらもわたしは何度ため息をもらしたことでしょう。けれども読後、わたしの魂は不思議な光に包み込まれていました。それが何か、読みおわった直後には分かりませんでした。蒔かれた種がわたしの脳裏に芽を出すのは、それから数時間後のこと。今ではそこに深い森が出来つつあります。
 作者、フィリップ・フォレストは作品の中で、
 『小説は、時間の森への切り込みである』
 と語っています。
 本書はある種の私小説であり、主人公と作者とがほぼ重なっており、フィリップにも娘さんが一人いて、やはり小児癌で亡くなっています。これはまさしく、作家である主人公が死にゆく娘を通して紡ぐ、詩集であり、同時に、文学の可能性を見極めようとした哲学書でもあります。もちろん、彼は文学の可能性を否定しているわけではありません。けれども、読み進むうちに読者は、文学や、言葉や、批評や、創作に、どれほどの説得力があるのかと問いただすフィリップの言葉の前で呆然とならざるをえません。
 その苦悩は次の一節、
 『したがって僕は、書くつもりはなかった。そうする理由などなかったのだ、すでに述べたように、僕にはできないのだから。本質的に本というものは、作者の意に反し、作者を無視し、作者に逆らって、作者自身の存在が決定的に崩れてしまう一点に、むりやり作者を触れさせることによってしか成立しえないのだ。』
 にも明らかです。また、こうも語っています。
 『小説は真実ではない。しかし、真実なしには存在しない。』
 あまりに無力な小説の力の前で、彼は絶望をしているかのようです。壮絶な癌との戦いの末に、フォレスト夫妻の願いも虚しく、フィリップの娘さんはこの世を去りました。この作品はその間の作家の心の動きを(時に冷静に、時に激しく)追うのですが、大江健三郎などの文学研究者であり、自身作家でもある彼は、果敢にも娘の死と文学の存在意義との狭間にいる自分を直視しようと試みるのです。
 全編を通して語られる闘病の場面に混じって、カミュやユゴーなど(大江健三郎も)大作家の作品論がちりばめられ、現実を前に小説が果たす役割や意味が問われます。書くことは、生き残る恥ずかしさを、さらに少し増大させる、と言いながらも、
 『女の子は死に、いつか、そのからだは沈む。あとには何も残らない。水は一瞬にして覆い尽くす。からだは深く沈み、水面に跡形も届かない。池の鏡に映されたこの世の反映が、それを消し去る。落下点から同心円に拡がる輪が静かに岸に達し、揺れて止まる。生活がまた始まる――ボート、水浴びする人、鳥たち、そして毎年毎年、繰り返される季節の出来事。僕が書くのは誰のためでもなく、僕たち三人のためなのだ。』
 という美しい一文へと我々を誘います。
 数年前、わたしは東京とパリで数度、フィリップ・フォレストと会っています。彼の奥さんともお会いしているけれど、この作品を通して受けた絶望感を二人は持ってはいなかった。だから『永遠の子ども』を読むまで、わたしは彼らの身の上に起きた出来事を、事実の情報をもとに、想像することしか出来ませんでした。この作品をくぐり抜けてやっと、彼らが死にゆく娘を通して経験した苦悩の日々を直視することになるのです。
 穏やかで、冷静な学者であるフィリップが死にむかっている娘と対峙しながら紡いだ作品を、わたしは瞬きすら出来ず、呼吸さえも忘れて、読みふけったものです。
 娘との免れない別れの場面を読みながらも、わたしはそこに彼の娘の輝かしい存在を感じ取っていたものです。文学の可能性を問いながらも、彼は決して逃げず、むしろ文学の力でその中心を貫こうとしているのでした。
 ソルボンヌ大学で、わたしたちはサルトルについて対談をしましたが、その後の雑談の中で彼はわたしに、大江健三郎の作品に励まされたし、そこに文学の可能性があることを見つけたのだ、というようなことをもらしていました。
 わたしはこの小説を2004年の12月、丁度、スマトラ沖地震による津波被害が世界中に広がっていた時期に読んでいます。フランスのテレビニュースは死者の映像もそのまま映します。十数万人もの人間が一瞬に亡くなり死体がきちんとした埋葬もされずに放置されている映像を見ながら、その一つ一つの命の背後に、わたしは本書から受けた痛みを重ねていました。「時間の森への切り込み」に成功したフィリップの作品が、命を疎かにしがちなこの時代への警鐘を鳴らし、わたしの魂を揺さぶっていたからです。
 小説の冒頭の美しい記述は、最後の、娘との別れの場面に至り、もう一度、脳裏に浮上してきます。彼女の短いが、まっすぐに生きた時間は活字によってそこにしっかりと刻み込まれていました。また、時間の森の深さに、物おじすることなく、正々堂々と対峙したフィリップ・フォレストという文学者の姿は、感動的ですらありました。
 文学について、神について、生について、言葉について、そして何より小児癌に冒された愛する娘について、考えつづけた小説家フィリップ・フォレストの魂溢れる渾身の力作が本書であると断言できます。

(つじ・ひとなり/作家)


【フィリップ・フォレストの本】

『永遠の子ども』
訳=堀内ゆかり
単行本
集英社
好評発売中
定価:2,940円(税込)



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