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昨年9月に全集を完結された田辺聖子さんと、この8月で『昆虫記』の折り返し地点に到った奥本大三郎さん。“虫嫌いの女の子達”の代表である田辺さんは、「奥本昆虫記」によって、それまで触れることのなかった世界を知ることができたそうです。 訳には和風な味つけを 奥本 全集の完結、おめでとうございます。遅ればせながら、お祝い申し上げます。 田辺 ありがとうございます。わたしのほうは、ひと足先に完結させてもらいましたけれど、奥本先生も今度の5巻でちょうど半分までこられたんですね。 奥本 翻訳自体は「すばる」での連載が8巻の途中までいっているんですが、単行本にするときにはあれこれ手を入れますので、どうしても時間がかかります。 田辺 ほんとに、長くて大変なお仕事ですね。でも、あの不思議な不思議な虫の生態というのは、何か小説を読むみたいな楽しさがあります。 あれは直訳というか、原文そのままの訳なんですか。先生は文章がお上手でいらっしゃるから、翻訳ということを忘れて、「えーっ」とか驚きながらすいすいと読んでしまう。科学的な本で、あんなにおもしろく読めるというのは珍しいですよね。 奥本 実は、多少意訳したようなところも少しあります。たとえば、「棚からぼたもち」というふうに訳しますと、校正の人が、フランスにぼたもちがあるのかと疑問を入れてくるのですが、それぐらいはいいですよね。 田辺 はい。そういうお遊びというのか、わかりやすくかみ砕いてくださっているので、読み手としてはたいへん助かります。 奥本 少しでも面白く読み易くと、ガチガチの直訳ではなくて、少し加減して。 田辺 調節なさってる。 奥本 “和風”にしております。 田辺 やっぱり読者は、先生のにおいがあるご文章に惹かれて読むんだと思います。そうやって読んでいくと、なんとなく、虫もそれぞれが性質を持っているというのがよくわかる(笑)。虫だって、生存のためだけでなしに、どっちにしたらいいかとか迷うときあるんでしょうね。 奥本 そうです。“遊び”があるような。 田辺 それが、なにかわれわれ人間と同じような感覚で、いかにも意思があるかのように動いている気がして。それがおかしいですね。 初めから、こういうふうな日本語で訳していこうと思われていたんですか。 奥本 一番に考えたことは、耳で聞いたときにわかるということです。難しい漢字ばかりで字面をじっと睨んでもなかなかわからないというのじゃなくて、耳で聞いたときに一遍でわかるようにしようと、苦労してやっているつもりです。 田辺 ほんとに、読みやすい。 奥本 やはり、少し大和言葉を入れたほうが、わかりやすいような気がします。 田辺 難しいことをかみ砕いていわれているんですけど、それでいて品のいい文章になっている。魅入られて読んでしまいます。わたし、まだ全部は読み切れていませんけど、虫の世界をこんなに熱心に読んだのは、先生のご本が初めてです。こういう訳は初めてでしょう。 奥本 これまでにもいくつか訳が出ていますけれど、一番最初の大杉栄の訳はいいですね。 田辺 そうですか。 奥本 非常に名文ですね。田辺先生の『ゆめはるか吉屋信子』の中で、吉屋信子の一家が新潟県の新発田(しばた)に移ったときに、近所に〈大杉さんのぼっちゃん〉、つまり大杉栄が住んでいたと書かれていましたが、その後彼はアナーキズムを信奉するようになって、特高(とっこう)(特別高等警察)の尾行がついたりして始終監視されていたわけです。そうしたなかで、『昆虫記』を訳すのは憩いになったんだと思います。 田辺 大杉栄はそんなのしてたんですね。先生のご本で初めて勉強して、びっくりした。あの人ってインテリなのね。 奥本 一回監獄に入るたびに語学を一つ覚えてくる。「一犯一語」と言っていた(笑)。 田辺 しっかりしてますね。 |
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(一部抜粋) |
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