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私の娘の娘――つまり孫の桃子は小学校5年生になり、へんに屁理屈をいう不愛想な子供になりつつある。この半年ばかりの間にヒョロヒョロと背が伸びて、髪を肩まで垂らしその日の気分によって三ツ編みにしたり、束ねてリボンで結んだり、暑い日は巻き上げて頭の上で留めている。女の子の髪型は「サザエさん」に出てくる「ワカメちゃん」の、チョンチョコリンにしているのが私の理想なので、娘が子供の頃は有無をいわせずワカメスタイルにさせていた。娘は素直というか、メンドくさがりというか、諦念の子供というか、私の主義に刃向うことなく従っていた子で、私の着古した夏服を(いつまでも着られるようにダブダブに)縫い直したワンピースを、実に4才から9才まで文句もいわずに着つづけて、 「ママ、この服、いつまでも着られるねェ」 と感心しているような娘だった。その時から潜在していた欲求不満の反動か、今は私に逆って桃子のいうなりである。なぜワカメちゃん型にしない、といくら怒っても、母子揃って無視、どこ吹く風である。 私の家は二世帯住宅で2階に娘一家、階下が私の領域である。食事、入浴その他、生活はすべて別個であるから、常時顔を合せて暮しているわけではない。桃子が3つ4つの頃は毎日、午後になると階段をコトコト降りてくる足音が聞え、やがて書斎のドアーがそーっと開き、桃子は、 「わっ!」 と叫ぶ。間髪入れず私は、 「ひゃァ……」 とのけ反ってみせたものだ。これも浮世の義理というか、暗黙の了解というか、つまり孫へのサービスなのであった。 しかしそんな日ははや過ぎた。今は見るもの聞くもの文句のタネばかりだ。 桃ちゃーん、桃子ォ……なぜすぐに返事をしない(したじゃん)声が小さいッ! ハキハキしなさいッ。そもそも気迫がないから声が小さいのだッ(返事する時まで気迫を入れるのォ)気迫というものは常に身についていなくてはいけないのですッ! 桃ちゃん、桃子!……勉強している途中でなぜ立つの!(だってトイレへいきたくなったんだもん)トイレから出て来てから遊んでるじゃないか! なぜやりかけたことを途中で放棄する! ものごとすべて、一生懸命にやらない者は大成しないッ という調子だ。私は一生懸命が好きである。一生懸命にしたのであれば、試験の点数が悪くても掃除のし方が下手でも私は許す。 だから孫を叱る時も私は一生懸命に叱る。宿題やレポートを見てやる時でもつい一生懸命になってしまうのだが、実をいうと私は算数が子供の時からずーっと低能であるから、算数の宿題を「教えて」といわれると、いくら一生懸命に考えてもわからず、 「いったい、こんな問題を出すなんて、何を考えてるのだ。教師……いや文部科学省は……。こんなものを子供に考えさせるものだから、子供は活気を失ってヘナヘナになっていく! 子供のくせに殴り合いの喧嘩もしない! その代りにするのがイジメだ! 実に陰湿です! こんな算数をやらせるから陰湿になるのだ!」 と一生懸命に怒ることになる。だが孫めはいつものどこ吹く風で鉛筆を削ったりしている。孫は私の一生懸命に馴れっこになって、何も感じないらしい。 何ごとも一生懸命にやらない孫は、従って成績がよくない。娘は家庭教師を頼む気になった。5年生になると同時に「家庭教師のセールス電話」がよくかかってくる。だがあまりに始終かかってくるので、どの人を選ぼうかと迷っている。その中に、 「とにかく一度、験してみて下さい。気に入らなければ断って下さって結構です」 と「お験し期間アリ」という人が現れて、私は「電気炊飯器のセールスじゃあるまいし」といいながら、こりゃ面白そうだ、とちょっと心が動いた。家庭教師を選ぶのに「面白そう」だからという選び方はないでしょう、といわれるかもしれないが、これは私の「趣味」なのだ。(そのために今までに幾つもの失敗を重ねて来ているのだが) その人(家庭教師セールスマン)は孫には何か稽古ごとをさせているかと質問し、「ピアノ」と答えるといきなり、「ピアノ! すばらしい!」と叫んだという。 「ぼくなんか、ピアノなんてやったことないです。すばらしい!」 とまた叫ぶ。それから「英語も」というと、また「英語!」と叫んだ。 「中学へ入ってから一番苦労するのが英語なんです。それを今からやっておく! ネイティブの英語は中学では習えませんからね! とにかく一度、会ってみて下さい。そしてこの私をよく見て下さい」 娘はその気迫に押されて、では一度お会いしましょう、といってしまった。一時間後、早くも現れた青年は一応、スーツを着ているのだが、全体に大き過ぎてダブついているという。(以下ダブダブさんと呼ぶ)ダブダブさんはまず目下いっている大学名と自分の名を告げてからまわりを見廻し、 「すばらしいお家ですね! 大豪邸で!」 と叫んだ。大豪邸? ご冗談でしょう。二世帯が一緒に住んでいるので図体が大きくなっただけだ。 「とにかく、何かというと叫ぶ人なのよ」 と娘は説明した。(以下ダブダブさんをやめて「叫ぶ人」と呼ぶ) 「ぼくは群馬県の出身で、三軒茶屋(我が家の所在する界隈)という町はテレビで見たり話を聞いたりしてますけど、みなの憧れですね!」 三軒茶屋という所は昔は田圃と畑が広がっているだけの農村で、旅人のための三軒の茶店があったので三軒茶屋という名前がついたといわれている田舎だった。私がこの地に住みついた昭和30年頃は交通の便といっても渋谷から三軒茶屋を通って二子玉川へいく路面電車しかなく、その電車ははじめは多摩川で採取した砂利を渋谷まで運ぶ電車だった。それで一般には「ジャリ電」と呼ばれ、私などは山の手に住む友人から、 「なんで、ジャリ電沿線に住んでるのか」 とからかわれたものだった。 バブル時代、都心の地価が高騰して容易に手に入らなくなった頃、三軒茶屋あたりはまだ安い、というので急にマンションが増え、ジャリ電に代って地下鉄が出来たりしたのでモデルやテレビタレントが急増した……ただそれだけのことなのだ。いつだったかテレビで「おしゃれの町、三軒茶屋」という番組を見かけて私は夢かと驚いたことがあった。おしゃれの町? 時たまモデルらしいのが歩いているだけで、大方は買物袋を提げたズボンに登山帽(?)のおばちゃんだ。勿論、私や娘もその中に入る。 間もなく孫が学校から帰って来た。そこで「叫ぶ人」は孫と共に孫の勉強部屋へ入ったのだが、とたんに叫ぶ声が聞えた。 「ああ明るい部屋だね! 明るくてあたたかい! すばらしい!」 困り顔で私の部屋へ来た娘からそんなあらましを聞き、私は「不動産屋のアルバイトでもしてたんじゃないか」と笑う。これは好意的な笑いで、私はいっそう気に入ったのである。 とにもかくにもこの人は「一生懸命の人」であることは間違いない。その一生懸命さが万人向きでないとしても、ともかく一生懸命だ。ダブダブのスーツも初御目見得だというのでおそらく一生懸命に友人に頼んでダブダブをもものともせずに着て来たものであろう。単独ではなく家庭教師を斡旋する会社に所属している人だというから、そこで教えられたマニュアルを一生懸命に覚えて実践しているのであろう。 私の孫は、一日中木の枝にぶら下ったまま、何かの拍子で枝から落っこちても、そのまま寝ているという「ナマケモノ」という動物がいるが、それの生れ変りではないかと思うくらいの、よくいって慾のない子供、普通にいってノンキ者、私にいわせるとグウタラである。そのナマケモノの生れ変りに対して、一生懸命の「叫ぶ人」がいかに対抗するか。これは面白い見ものだと私は気のりしている。 勉強部屋の二人はどんなふうかと娘に訊くと、 「なんだか一人でしゃべりまくっている声が聞えていて、それから、『どう? 楽しい? 楽しいでしょ?』と彼がいってる」 「それで? 桃子はなんて?」 「『うん』って」 「それだけ?」 「そうなのよ、それで彼がまた『どうだろう? こういうとやってみようと思わない?』といってる。そしたらまた『うん』よ……」 「それだけ? 何もいわないの?」 私のその問いには答えず、娘はいった。 「とにかく、断るわ」 「断る? どうして」 「どうしてって、ダメなことわかってるじゃないの」 「ダメって何がダメなのよ。あの一生懸命さに桃子が引きずられていくかもしれないじゃないの」 「引きずられたりしないわよ。おばあちゃんのお説教にも引きずられない子だもの……」 そうして「叫ぶ人」は娘から断られた。断られて彼は何といったか。 「ぼくの会社には何人も先生がいます。子供さんがこれならいいと思う先生が見つかるまで何人でも交替しますからご安心下さい」 そういってニコニコと帰っていったという。 本当に彼は一生懸命の人なのだ。「断られてもニコニコと帰ること」というマニュアルを最後まで一生懸命に実践したではないか。しかし娘はこういった。 「勉強を教える方に一生懸命かどうか、それは疑問よ」 なるほど、と思う。しかし私は残念だ。 |
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プロフィール
大阪府生まれ。 '69年に『戦いすんで日が暮れて』で直木賞を受賞。著書に『幸福の絵』(女流文学賞)『結構なファミリー』『大黒柱の孤独』『血脈』『不敵雑記』等多数。 |
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