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手紙とは何と豊かな可能性を持つ表現方法であろうか。そのことを改めて気づかせてくれる一冊である。しかも本書は、言葉の通じない女性作家同士の往復書簡であるにもかかわらず、共鳴し合う二つの魂の響きが、読み手にも真っすぐ伝わってくる。 お二人ともが触れているとおり、むしろ言葉が不自由だからこそ、より深い場所に通路が生まれたのかもしれない。言葉の届かない井戸の底に溜まった水をすくい上げるようにして、一言一言が記されている。その一言には、それをすくい上げた人の手の温もりが残っている。井戸の暗闇が映し出されている。 外国人の作家と出会う時、簡単な日常会話さえ通訳を介さなければいけない状態なのに、なぜかお互い、よく分かり合えているなあと感じることがしばしばある。相手の小説を読み(もちろん翻訳で)、親密な感情を持っていると、たとえ初対面でも懐かしい気持になれる。津島さんは申さんの作品について、まるで、昔の自分がどこかで書いたかのようだ、という印象を記している。人と人が共感を覚える時に起こる錯覚がいかに幸福なものであるか、二人の作家は繰り返し伝えてくれる。 これも手紙という器の大きさのおかげだろうか。話題は時間と空間を自由自在に行き来する。子供時代の慎ましい暮らしの思い出。書くことへの真摯な思い。歴史に対するしなやかな解釈。旅先で出会った風景。切ない後悔。遠くへ去って行った人々の面影。そうした話題がやり取りされるなかで、やがてそれらは個人の記憶という枠を超え、一つの物語として形作られてゆく。何度振り返っても必ずそこにあって、ちゃんと待っていてくれる道しるべとなる。 私の中には、一生涯兄に寄り添って生きようと決意する少女と、母親が文盲だと知って立ちすくむ少女、二人の姿が強く刻まれた。その二人と子供の頃、友だちだったかのような錯覚に酔っている。 |
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(おがわ・ようこ/作家) |
【津島佑子/申京淑さんの本】
きむふな 訳 集英社刊 単行本 6月26日発売 定価:1、995円(税込) |
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