青春と読書
 五十路を目前にして、私はこれからどのような方針で暮らしていけばいいか考えた。今までの人生を振り返り、あまりに目的もなく生きてきたのを恥じたのである。だいたい物事を深く考えるのが苦手なので、すべて行き当たりばったり。いちおう仕事はまじめにしてきたつもりだが、人生設計なんてまるでない私が、何とかここまでやってこれたのは、ひとえに皆様方のお引き立てと、運のよさによるものなのである。
 「ちょっとは考えないとなあ。50になるんだし」
 いつものように、ぼーっとしながらつぶやいた。仕事一途にやってきた中高年の独身女性というパターンは、明らかにキャラクターに合わない。魔性の女タイプでもぜーんぜんないし、恋愛をしなければ女として終りともぜーんぜん思わないし、
 「いったいどういうポジションがいいのだろうか」
 と考えた結果、たどりついたのが、「昭和のおかあさん」だった。
 昭和20年代の生まれとしては、その時代のおかあさん像がいちばん頭に浮かべやすい。戦時中のおかあさんは、ものすごく大変だったであろうからそれは避け、理想は昭和10年前後、あるいは戦争が終わり、物はなくてもこれから明るく生きていこうとする、昭和20年代のおかあさんなのである。もちろん私には亭主も子供もいない。ただ今年6歳になったネコがいるので、この子を子供と思うことにして、おかあさん生活に突入した。とっかかりとして、一年間、きもので生活すると自分に課した。最初はやる気まんまんで、365日、きもののはずが、そのうち多くて週に2、3回になってしまった。洋服をきものに替えるだけなのだから、もっと簡単で楽かと思っていたが、実際はそうではなかったのである。
 だいたい家の造りが昔とは違うので、洋服でいるときは全く感じなかった部分が、きものだととても不便になる。たとえばドアのノブである。うちのはハンドルタイプというのか、ノブを回転させるのではなく、柄を下げて出入りするしくみになっている。この柄の部分にやたらと袖がひっかかる。柄の先がすぽっと袂の中に入り込んでしまい、ドアの前を通り過ぎたかと思ったら、いきなり引き戻されてびっくりしたことなど、一度や二度ではなかった。
 台所のステンレス流し台も具合が悪い。洋服のときは何とも思わなかったが、きもののときは妙にすべてが高すぎて、割烹着を着てまたその上に前掛けをしないと、帯がびしょびしょになってしまう。バスタブの掃除のときも違和感があるし、掃除機を使っているときも、ホースがばたばたして感じが悪い。身長150センチほどの私は、昭和初期の女性と同じ背恰好ではないかと思う。たしかに今は冬は暖かいし、おかあさんの手にはしもやけもあかぎれもできない。しかし当時の女性がそのまま現代にやってくると、生活しにくいことこの上ないのである。
 試しに箒で掃いてみたら、きものを着ていてもとってもスムーズに掃除ができる。周辺の空気が、必要以上にばさばさしないのである。それから何種類かの箒を購入して、それで掃除をしているが、フローリングでも茶殻やぬれた新聞紙をちぎって撒けば問題ない。新聞をとっていない私のために、友だちが新聞をくれるので、それを利用する。足袋を洗うのに洗濯板は前から愛用していたが、単衣の木綿のきものや浴衣を洗うには、洗面台ではうまくいかないので、盥(たらい)も買った。袖だたみにするとちょうどおさまる直径のものにしたので、余計な折皺を気にする必要もない。
 ウールのきものを一枚縫って、なんとか形になったので、普段着は調達できる。糠味噌を漬けてみたら、考えていたよりもずっと簡単で、おまけに市販のものよりもずっとおいしい。最初のころは丸のままのカブがまだ漬かっていなくて、糠風味のカブを生で食べるような状況もあったが、この無精な私が一日一度はかきまぜるのを怠らず、カビをはやすこともなく、糠味噌は元気で活躍してくれている。
 着々と昭和のおかあさん計画は進んでいるのだが、いちばん問題なのが物の多さである。昭和のおかあさんには、日常生活に必要な物なんて、本当に少しでいい。それなのにうちは今まで買った物であふれかえっている。収納も管理もひと苦労だ。料理だって、異国のスパイスなんて、本当に必要なのだろうか。そこのところをクリアしないと、本物の昭和のおかあさんにはなれない。今年の12月で50歳になるが、それまでにきちっと余分なものを処分して、すっきりした気持ちで、本番の昭和のおかあさん生活に入らなくてはと、私としては珍しく、固い決意に燃えているのである。


【群ようこさんの本】

『きもの365日』
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プロフィール

むれ・ようこ●作家。
1954年東京都生まれ。 広告代理店、商品企画会社を経て本の雑誌社に入社。勤務の傍ら執筆した『午前零時の玄米パン』が注目を集める。著書に『トラブル クッキング』『働く女』『小美代姐さん花乱万丈』等多数



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