青春と読書
 今、最も輝いている(と僕は思う)時代小説作家の一人に、諸田玲子がいる。デビューして10年ちょっとだが、「お鳥見女房」や「あくじゃれ瓢六捕物帖」の人気シリーズをはじめ、多くの連作や長短編を書き続け、つい最近、『奸婦にあらず』で新田次郎文学賞(平成19年度)を受賞した。
 同書は、幕末の大老井伊直弼と、その配下で安政の大獄を押し進めた長野主膳という二人の傑物の愛人であった、村山たか女を主人公とした長編である。登場人物はすべて実在で、混迷する時局を背景に、奸婦とされてきたたか女に光を当てた力作だ。時代小説というより歴史小説というべき作品といえる。受賞によって諸田が、さらに大きく変身するであろうことはまちがいない。
 とはいえ、諸田の持ち味は、今のところ連作時代小説にある。そのシリーズに、新たなる一作が加わることになった。『狸穴(まみあな)あいあい坂』である。これまでのものとは一味違うユニークな作品だ。
 江戸の町を背景とした時代ものの場合、その舞台は神田や日本橋界隈、あるいは両国や深川の辺りと相場が決まっている。ところが、この作品の舞台は、タイトルにも狸穴(現・東京都港区麻布狸穴町)とあるごとく、麻布から六本木界隈にかけてである。

 そのあたりを含め、作者にいろいろと聞いてみた。
 「たしかに、時代ものの舞台は、山本一力さんが深川を書き続けていらっしゃるように、下町が多いですよね。だから私は、これまで書かれていない土地を舞台にしたかった。狸穴から六本木にかけての界隈は、江戸時代の前期には、それこそ狸やムジナが出るような所だったと思いますが、この作品の時代、天保の初めごろには、大名や武家の屋敷が建ち並び、その合間に町人と寺社の町が点在しているという、面白い所だったんですね」
 「この辺りは山手(やまのて)台地の南端で、坂が沢山ありました。六本木ヒルズは毛利家の上屋敷だったところですが、四季折々のたたずまいを見せる森や坂道や谷など、今の街からは想像もできません。ですから、そんな土地の様子もぜひ書き残しておきたいと思ったんです」
 主人公は結寿(ゆず)という18歳の女性だ。父は火付盗賊改役で、祖父と義母と腹違いの弟がいる。祖父の幸右衛門は、かつて火盗改の与力として剛腕をふるった人物で、息子に家督を譲ったとはいえ、息子夫婦とは別居し、十手捕り縄を若い者に教えるなどしている。
 結寿は、頑迷で偏屈なこの祖父となぜか気が合い、縁談をすすめる親元を離れ、祖父と一緒に暮している。
 「これまで私が主人公にしてきた女性は、熟女が多かった。お鳥見女房も母親ですから、回を重ねるに従いどんどん年を取ってしまうんですね。だから、なるべく若い女性を主人公にしたかったんです」
 サザエさん方式で、主人公とその家族が何年経っても年を取らない、という設定も可能ではある。
 「でも、私は、四季折々の季節の移ろい、時の流れ、その時々の風の匂いといったものを書きたい。一年経つと元に戻れないんです」
 確かに、時代小説にとって、作品の背景をなす時代相と、舞台となった土地についての描写は欠かせない。同じ年では、時代背景も自然背景も毎回同じとなって芸がない。
 「あいあい坂シリーズの第一巻となる本作は、八話から成りますが、天保元年から二年までの一年間の話です。毎年一冊ずつ書いていったとして、10年経っても結寿は28歳。彼女がどんな女に成長していくか、私も楽しみなんです」
 作品の背景には、火盗改役と八丁堀の町方との確執がある。ところが結寿は、10歳も年上の八丁堀同心に惚れているのだ。しかも彼は子連れである。祖父の幸右衛門は町方を毛嫌いしている。二人の恋の行方はどうなるのか。とはいえ、決してシリアスなドラマではない。ほのぼのとした情感が漂い、江戸の四季もさりげなく描写されて心が和む。
 「私、典型的なサラリーマンの家庭に育ったんです。江戸時代の武士はいわばサラリーマンですよね。だから武家の娘を書いてみたかった。あまり気張らずに、毎回雰囲気を変えながら、諧謔やミステリー、時にホラー的なものも交えて、大河ものに育てたいと思ってます。ぜひ応援を……」
 もちろん応援しますよ、と僕は答えて、おそらく十年後も諸田玲子は、輝きを失っていないであろうことを、確信したのであった。
  (たかはし・ちはや/文芸評論家)


【諸田玲子さんの本】

『狸穴あいあい坂』
8月24日発売
単行本
集英社刊
定価:1、785円(税込)
プロフィール

諸田玲子
もろた・れいこ●作家。
静岡市生まれ。
1996年『眩惑』でデビュー。著書に『其の一日』(吉川英治文学新人賞)『奸婦にあらず』(新田次郎文学賞)『髭麻呂』『月を吐く』『恋縫』『かってまま』『こんちき』等。




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