青春と読書
一九四七年生まれの宮本輝さんは、今年還暦を迎えるとともに『泥の河』で作家デビューしてから三十年を迎えました。それを記念して、単行本未収録の「スワートの男」を含めて短篇作品全三十九篇を収めた『宮本輝 全短篇』(上下二巻)が刊行されます。
宮本文学における短篇小説の位置づけ、また三十年にわたる作家生活を振り返って、あらためて文学について語っていただきました。


 「あとがき」でも書きましたが、短篇を書くのは好きなのですが、同時に短篇を書くことの恐ろしさを知っているつもりです。短篇は、書き始める前から先が見えないんです。普通は、長篇のほうが先が読めない段階から筆を起こすというふうに考える方が多いかと思いますが、ぼくにとっては短篇のほうが先が読めない。もう一ついえば、先が読めて書き出して書いた短篇というのは、出来がよくない。
 短篇を書くのはある種の恐怖が伴なうんです。長篇は体力的になかなかしんどい仕事ですけれど、短篇は精神的に非常につらい作業です。だから、短篇の依頼を引き受けるのは、かなり勇気が要るというか、度胸が要るというか。自分のなかに今書きたい短篇が何もないのに、短篇を書かなきゃいけないときは苦しくて、その苦しみは長篇よりもはるかに深い。それだけ短篇というのは難しいものだと思います。
 それから、長篇の場合は途中にいろいろな起伏や緩急というものがどうしても必要になる。緊張感ばかりで長篇を引っ張っていくことはできないし、読むほうもそれではしんどい。どこかで、「緩み」や「ダレ」というものも要るんです。長いこと小説を書いてくると、一種職人的に、その呼吸というのはわかってくるものなんですけれども、短篇というのはそれができない。ボクシングでいうと、一ラウンド三分間ラッシュし続けるみたいな、そういうものだと思います。
 そうした短篇の難しさ、大切さを最初にぼくに教えてくれたのが「わが仲間」という同人誌を主宰していた池上義一さんでした。ぼくが池上さんと初めて会ったのは二十八、九のころで、ちょうど『螢川』をこねくり回して書いていたときです。池上さんが、「いっぺん書いたものをあれこれいじくり回すよりも、別な新しいものを書け、どんどん新しいものを書いていったほうがいい。宮本君、この『螢川』はちょっと置いとこう、寝かしておこうよ」と。
 それで心機一転して、『泥の河』にとりかかって書き終えたわけですが、そこでようやく少し文章がわかったというか、抑制や省略するということ、ここは書きどころだ、ここは書きどころだけど書いちゃいけないんだとかという呼吸法みたいなものが、つかめた気がしました。だから、もしあのまま『螢川』ばかり書き直してたら、永遠に先へ進まなかったでしょう。池上さんは、ぼくの性格も含めて、ぼくの能力や持っているものを非常によく見てくれていたんですね。
 その池上義一さんから、「最近、ほんとうの意味での短篇作家がいなくなった。みんな三十枚で書けるものを三百枚に水増ししている。だけど、宮本君、小説家は三十枚の短篇を書けるようにならなきゃ一人前じゃない。百枚で書こうと思うものを三十枚で書くんだ。三十枚で書けるものを百枚にするなよ。それで宮本君、プロの作家になれたらな、三十枚の短篇が書ける作家になるんだぞ」っていわれたんです。
 その言葉が心に深く残っていたので、芥川賞をもらって、一応作家としてのパスポートをいただいたときに、三十枚の短篇に挑戦してみようと思った。だから、ぼくの短篇には三十枚内外のものが多いんです。『泥の河』、『螢川』、『幻の光』、『星々の悲しみ』といった初期の作品は百枚を少し超えていますが、これは三十枚のおよそ三倍ですね。当時のぼくの感覚では中篇を書いているつもりだったのですが、それからしばらくして、やっぱり百枚は短篇だろうなと、しみじみとわかるときがきました。
  (一部抜粋)


【宮本輝さんの本】

『宮本輝 全短篇 (上・下)』
集英社刊
単行本
11月26日発売
定価:各2,625円(税込)

プロフィール

宮本輝
みやもと・てる●作家。
1947年兵庫県生まれ。主な著書に『泥の河』(太宰治賞)『螢川』(芥川賞)『優駿』(吉川英治文学賞)『星々の悲しみ』『錦繡』『流転の海』『ドナウの旅人』『花の回廊』等。




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