![]() |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
小田切という人がいて、中央競馬の馬主をしている。競馬ファンの方ならよくご存知だと思うが、小田切氏はユニークな馬名を考案する達人である。 古くはノアノハコブネ、ラグビーボール。少し前ならオジサンオジサン、メロンパン。最近だとワナ、モットヒカリヲ。現役の馬ではイヤダイヤダ、ナゾヲトクカギといった具合に、カタカナで九文字以内という窮屈な名付けの規則をものともしないような、新鮮で創意工夫に満ちた馬の名前を氏は生み出し続けている。 ちなみにメロンパン、モットヒカリヲ、イヤダイヤダの3頭は、祖母、母、息子の関係というのだから面白い。そしてこのオモシロイというのも、小田切氏の馬の名前だったりするのである。まさに天晴れ天晴れといったところで、そしてこのアッパレアッパレというのも、やはり氏の馬の名前だったりするのである。ガイドブックがあればちょっとした日常会話が成立しそうな種類の豊富さであり、氏の所有馬のパンフレットでもあれば、どんな堅物でもエガオヲミセテくれそうな気がするし、人によってはキゼツシソウなくらい驚くのではないか、という気さえする。 とはいえ、小田切氏のネーミングにも失敗作はある。もっともそれは出来ばえについてではない。馬名の登録の際は日本中央競馬会の審査を受けねばならず、前述の字数制限に加え、露骨に商品名を取り入れた広告塔のような名前、それに度を超してエキセントリックな名前などが不合格とされるのだが、さすがと言うべきか、氏のネーミングはその関門を通過しないケースがあるというのだ。 たとえば、ニバンテ、という馬名がそうだった。もしも競走馬ニバンテが誕生していたなら、アナウンサーの実況はどのようなものになっていただろうか。 「先頭を走るのはニバンテ。2番手を進むのは〇×〇×」 とか、 「ニバンテが2番手に上がりました」 といった、1本でもニンジンの競馬バージョンとでも称すべき代物になっていたはずで、さすがにこれは問題ありと判断されたようである。 ただし名前の第1候補がニバンテだった馬についても、おそらく氏は別のユニークな名前を授けたはずである。そう考えると、この不合格はさほど惜しむことではないのかもしれない。 さて、今度文庫として出版されることになった拙著『ジョッキー』にも、数多くの競走馬が登場して、当然ながらその一頭一頭に異なるネーミングが施されている。これしかないと閃いたものもあり、苦心の末に練り上げたものもあって、どれもこれも愛着深い名前ばかりだが、確定させる前に自主的な馬名審査のようなものを行っていた。カッコ良すぎるネーミング。そして小田切氏のような個性的なネーミング。これらはあまり多用しないことを心がけたのである。 現実の競走馬の名前は、たいてい冠名と呼ばれる馬主ごとのコードネームのようなものを用いることで、悪い言い方をすると判で押したように大量生産されている。冠名のことを人の名前における姓と説明することも多いが、そのイメージを固定化する影響力の強さを考慮すると、武士の世の足利義〇や徳川家〇の、〇を除く部分、といった表現も可能かもしれない。メジロやシンボリ、ナリタといった冠名を持つ名馬のことは、競馬ファンでない方でもご存知かもしれないが、そういう馬は武士の世の足利義満や徳川家康の如き存在といえるだろう。不世出の英傑と名前は似ているが、これといった業績を残すことのできなかった存在、たとえば足利義栄や徳川家重のような競走馬も、競馬場には数多く存在しているのである。 この冠名という文化は、日本競馬に特有のものだという。日本競馬に深く根ざした伝統的ネーミング、といってもいい。そういう古式ゆかしき儀礼に則って生み出された馬名は、無骨で垢抜けず、決定的に安易となる。しかしその反面、くせに近いような味わい深さや、妙な親しみやすさも漂わせているように思われる。 ――この冠名を用いたほうが、小説に描く競走馬にも、リアリティを与えられるのではないか。そうすれば物語にもリアリティが生まれるのではないか。 そんな判断のもと、馬の名前を選別していった次第である。 具体的に言えば、『ジョッキー』では物語の核となる2頭の馬に、オウショウ、という冠名を与えた。王将のことで、勇壮さや雄大さといった強いイメージを想起させるだけでなく、薄利多売で客に餃子を食わせていそうな庶民性を感じさせる、なかなか傑作の冠名ではないかと個人的には考えている。 |
![]() |
【松樹剛史さんの本】
集英社文庫 集英社刊 好評発売中 定価:630円(税込) ![]() |
![]() |
プロフィール
1977年静岡県生まれ。 2001年に『ジョッキー』で第14回小説すばる新人賞を受賞、この度同作が文庫化される。著書に『スポーツドクター』がある。 |
|