青春と読書
 初めての小説を出版することになりました。
 と言って、厳密には、“小説のようなもの”かもしれません。こんなことを書くと、「鴻上尚史、初めての小説!」と打ち出そうとしているかもしれない(?)編集部には申し訳ないのですが、そう思っています。もちろん、エッセーじゃないのは間違いないので、僕自身も「はい、初めての小説です」なんてインタビューで答えると思うのですが、やっぱり、“小説のようなもの”かなと思っているのです。
 “小説のようなもの”が生まれるきっかけになったのは、一本の電話でした。
 2004年のたしか初夏ごろだったと思います。
 その当時の『すばる』編集長・片柳治さんからでした。
 片柳さんは、僕の作・演出の芝居をずっと見に来てくれていました。
 10年近いと思います。
 芝居の時は、僕はたいてい劇場のロビーにいて、入場してくるお客さんの顔を見ています。お客さんを迎えるのではなく、「どんな人が見に来るんだろう?」と、観客の顔を見ているのが本当のところです。
 知り合いの人とは、そこで短い会話を交わします。
 片柳さんとは、毎回、「小説、書いてよ」「はい、分かりました」というやりとりを続けました。
 10回以上、同じやりとりをしていると、だんだん、「もういいかげん、書いてよ」「そうですよねえ」なんて会話になってきます。
 言い訳ですが、演劇なんぞをやっていると、まず、劇場のスケジュールが決まって、戯曲を書かないといけなくて、その間にいろんな仕事が入ってきます。
 当然、締め切りがあったり、激しくせかされたりする仕事から順番に手をつけるようになって、「いつか時間があったら書いてね」というようなノンキな仕事は、どんどん後回しになっていくのです。
 で、結局、片柳さんと10年近く「小説書いてよ」「分かりました」という会話を続けていたのです。
 ちなみに、僕に一番最初に小説の依頼をしたのは、角川書店の編集者で、18年前のことです。そして、僕はまだ書いてないのです。
 もちろん、内心では、「申し訳ないなあ」と思っているわけですが、そんなやりとりをもう何十回も繰り返した2004年の初夏、片柳さんから電話がかかってきたのです。
 「いいかげん、小説を書いて欲しいんだけどさ」
 片柳さんは言いました。
 「ええ、分かってます。がんばります」
 僕は、いつものように、答えました。
 「で、ちょっと打ち合わせしない?」
 「はあ。打ち合わせですか? ええと、スケジュールがですね……」
 僕が言葉を濁すと、
 「僕、今、病院にいるからさ、いつでもいいんだ。あいてる時に来てよ」
 片柳さんは意外なことを言いました。
 「病院ですか? 入院してるんですか?」
 「そうなんだよ。だから、夜じゃなかったら、いつでもいいから。病室で打ち合わせするの、嫌?」
 「いえ、そんなことないです。いつでもいいんなら、たぶん、時間取れます」
 そう答えて数日後、僕は片柳さんの病室を訪ねました。
 片柳さんは痩せているように見えました。
 「もういいかげんに書いてくれないとさ」
 片柳さんは微笑みながら、僕に言いました。
 「大丈夫ですか?」
 僕はまず聞きました。
 「うん。平気、平気。食道にポリープができてね。手術すれば大丈夫だから」
 片柳さんは答えました。
 「で、どう? 小説は書けそう?」
 ベッドに上半身を起こしたままで、片柳さんは陽気に言いました。
 僕は、これは真剣に答えないといけないと感じました。理由はありません。直感です。
 ここで、そのうち考えますと答えてはいけないような気がしたのです。
 ある戯曲の小説化の話をしました。
 「なるほど、いいんじゃないの」
 片柳さんは微笑みました。


【鴻上尚史さんの本】

『ヘルメットをかぶった君に会いたい』
単行本
集英社刊
5月2日発売
定価:1,785円(税込)
プロフィール

こうかみ・しょうじ●1958年愛媛県生まれ。
劇作家、演出家、エッセイスト、小説家。
著書に『トランス』『表現力のレッスン』『リンダリンダ』等。




BACK

(c)shueisha inc. all rights reserved.