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宋軍との苛烈な戦いの果てに陥落した梁山泊(りょうざんぱく)。迫る敵兵を吹毛剣(すいもうけん)ではらいながら、「生きる」という強い意志を胸に、勇躍崖から湖へと身を躍らせた楊令(ようれい)。それから3年の月日が流れ、逞(たくま)しく成長した楊令が帰ってきた。待望の、北方「水滸」の続編『楊令伝』第一巻がいよいよ刊行されます。舞台となる中国北部では、女真(じょしん)族の阿骨打(アクダ)(太祖=完顔旻)が遼に反乱を起こし、金を建国、北宋と結んで遼を挟撃しようとしていた、そんな歴史的背景を知ることで、『楊令伝』のおもしろさも倍増。日本では数少ない遼史の専門家高井康典行さんをお迎えして、12世紀初頭のダイナミックな中国史について、北方さんと語っていただきました。 北宋、遼、金の時代 北方 『楊令伝』に書かれているのは、北宋、遼、金の時代ですが、今度の第一巻は、北宋と金が共同で遼を攻めるという「海上の盟」を交わしたころが背景なんです。その当時、すでに金という国は建っていたんですよね。 高井 はい。一応建国はしています。 北方 その金を興した太祖阿骨打というのは、女真族の完顔(かんがん)部から出ていて、完顔阿骨打という名前なわけですよね。でも、その一方で完顔旻(びん)という名前も持っている。そして弟の太宗呉乞買(ウキマイ)も、完顔晟(せい)という名前を持っている。これはどちらも漢名でしょ。 高井 ええ、漢名です。 北方 それは漢名を付けるという、阿骨打のころからの伝統みたいなものがあったんですか。 高井 やはり阿骨打という名前だと、彼の下についている漢族の官僚などから異民族っぽく思われるのをはばかって漢名をつけたということもあると思います。ただ、契丹(きつたん)の時代でも、漢名を持っていた契丹人は結構いますから、それと同じような感覚なのかなとは思います。 北方 そうすると、女真族であるけれども、「漢名は何々といった」という言い方は成り立つわけですね。 高井 はい。漢族の場合、世代で同じ字を使うんです。たとえば、阿骨打の子供たちの世代は、宗(そう)というのをつけて、宗○○という名前になっています。そういう世代をはっきりさせるのにも漢名を使っておくとわかりやすいというのはあると思います。 北方 やはり、漢族とのある程度の交流があったのでしょうね。『水滸伝』の中でも、魯智深(ろちしん)が女真の地に捕らえられていて、それをケ飛(とうひ)という男が救出に行ったというふうに書いたんです。そのとき、私の設定の中では、魯智深は女真語がしゃべれないので、女真族の連中とは言葉が通じないということになっていた。ところが、言葉が通じないと、小説としてものすごく面倒くさいんですよ。 高井 そうですね、確かに。 北方 それで、女真族の中にも一応漢語をしゃべれるやつはいっぱいいるというふうな設定にしたんですけれども、それはやっぱり大きな誤りですか。 高井 誤りとまではいえないと思います。たとえば、女真族は基本的には狩猟、農耕を主としてはいるのですが、中には商売をやってほかの土地に行く人たちもいる。そういうときに、女真語だけでは当然通じないわけですから、ほかの国の言葉も知っているはずです。実際に、契丹、遼の領内のある場所では、漢人もいれば、女真人もいれば、契丹人もいる。そういういろいろな人が住んでいるようなところでは、共通語として漢語を使っていたという記録も残っています。 北方 それは、いわゆる燕雲(えんうん)十六州(*1)ですか。 高井 いえ、もっと北のほうです。遼に黄龍(こうりゅう)府というのがありますけれども、そのあたりだとそういうふうな多言語状況になっていて、そこでは共通語として漢語を使っていたようです。 北方 黄龍府というと、ハルビンの近くでしょう。 高井 ちょっと南です。現在では吉林省になりますかね。 北方 もう少し南に下がりますけれども、金の都のあった上京会寧府のあたりにあったんだろうという感じですよね。 高井 はい。 北方 そうすると、女真のかなり奥のほうにいる人たちも、漢語というのは結構しゃべれたんでしょうか。 高井 商人のように、ほかの部族と接触する機会の多い人たちは、話せた可能性はあると思います。ただ、基本的には女真語しか話せなかったのが大部分だったろうという気がします。 北方 高井先生もその時代に行かれたわけじゃないので、ぼくが、「しゃべれるやつがいたんだ」といえば、いたといってもいいわけでしょ。いたことになってもらわないと困るんだよな(笑)。 *1 燕雲十六州 遼が後晋から割譲された十六の州で、現在の河北省北部、山西省北部にあたる。 |
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(一部抜粋) |
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