長い夏休みも残りわずか。まだまだ暑さが続きますが、この機会に時代小説・歴史小説の名品を味わってみてはいかがでしょうか。時代小説読みの達人3人に、それぞれが挙げたベスト10をもとに、時代小説の醍醐味を存分に語っていただきました。
●稀代の難解小説『柳生武芸帳』
北上 このベスト10を見ておもしろいと思ったのは、3人とも司馬遼太郎を選んでいるんですが、作品がみんな違う。
縄田 ただ3人が共通しているのは『坂の上の雲』より前の作品なんですね。というのは、司馬さんはその後の『翔ぶが如く』以降、小説の形を放棄し始めますよね。小説好きの人間としては、やっぱり初めの頃のほうがおもしろいんじゃないですか。
清原 司馬作品の分水嶺といったものを考えた場合、『国盗り物語』と『竜馬がゆく』『燃えよ剣』の3作なんですよ。本格的な戦国ものを手がけた『国盗り物語』で、初期作品の作風を変えていった。『燃えよ剣』も、これによってオルガナイザーとしての土方歳三のイメージを決定してしまったということでは、すごく影響力を与えた作品だし、『峠』も河井継之助を顕彰したということでは大きな作品ですよね。
北上 私は学生時代に『峠』を読んだんですけど、読んで感激したものだから、その後就職するときに尊敬する人物という欄にいつも「河井継之助」と書いていた(笑)。
縄田 よく司馬遼太郎は女を書けないといわれますよね。ところが『燃えよ剣』のお雪だけは別格なんです。『竜馬がゆく』にも何人かの女性が出てきますけど、みんな竜馬の姉みたいになっちゃう。『燃えよ剣』のお雪は、司馬遼太郎が書いたヒロインのなかでもずば抜けて良くて、後半は一種の恋愛小説として読めるくらい密度が濃い。その点で『燃えよ剣』はおすすめですね。
北上 司馬さんだけでなく、皆さん、時代からテーマから幅が広いし、ジャンルでいっても、伝奇ものから正統的なもの、明朗もの、人情話まで入ってくる。
歴史小説ではどうなりますかね。私は綱淵謙錠さんの『乱』を選んだんですけど、これ絶筆ですよね。
清原 これ、けっこう厚い本じゃなかった?
北上 すごく厚い。私はこれで初めて、榎本武揚軍と一緒に箱館まで行ったブリュネというフランスの士官を知ったんです。この本の中にはブリュネの描いたスケッチが載っているんですが、それがすごくうまい。慌てて彼の画集も買ってきたくらいなんです。ブリュネが箱館戦争が終わった後に受けた官軍の取り調べの調書が残っているんですが、ブリュネが榎本軍に帯同することの代価として莫大な金額を要求したという記述がある。ところが、それはウソだと綱淵さんが断定する。あの辺りの綱淵さんの感情の機微がおもしろかった。
清原 女性の歴史小説では、縄田さんが挙げた杉本さんの『孤愁の岸』と永井さんの『炎環』、この二つはやはりエポックな作品ですね。永井さん、杉本さん、それから黒岩さんの世代、大正13年から15年くらいに生まれた、杉本さんのいう「捨て石の世代」には、戦前の国史教育に変わって、戦後、自分たち自身の手で日本の歴史をきちっと見直してみようというところからそれぞれの創作活動が始まっている、という共通点があるんですね。
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