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まったく恥ずかしい話だが、乙一の作品を読んだことがなかった。最初に読んだのは、『暗いところで待ち合わせ』である。かなり遅い。しかし早くても遅くても衝撃は同じで、この不思議な作品を読むなり、ぶっ飛んだ。小説になりそうもない話が小説になっているのだ。それまで私が持っていた小説の概念を、この作品は明らかに超えていた。それでいて、新鮮なのだ。何なんだこれは。あわてて乙一の作品を読み漁ったのは言うまでもない。 しかしながら、どうしてこれほど新鮮なのか、なぜこんなにもヘンな話をこの作家が書くのか、大半の作品を読んでもまだ私にはわからない。乙一は私にとって、名付けようのない作家なのである。それが悔しい。早く名付けて、分類して、そしてあとは知らん顔していたいのに、それが出来ずに今も新作を待ち望んでいる。 たとえば、今回文庫化される『平面いぬ。』を読まれたい。刺青の犬が動きだすというアイディアだけなら、これほど驚かないだろう。問われるのはいつも、アイディアをもとにどういうふうに物語を作り上げているかだが、乙一はそれが絶妙なのだ。この表題作も例外ではない。基本アイディア以外にも惜しげもなく小技大技を繰り出して、哀しくて、楽しくて、そしてリアルな世界を作り上げている。こんなヘンな話を書くのは、乙一以外にはいそうにない。ある種の切実感が、この物語を支えているのも見逃せない。これは乙一の作品に見られる特徴の一つである。この作品集では、ホラー色の強い「石ノ目」や「はじめ」も絶品といっていいが、好みで選べば、ぬいぐるみの人形が動きだす「BLUE」と表題作がいい。この「BLUE」は表題作と趣を変えて、人形の側から描いているが、こちらはひたすら切ない話だ。こういう話も乙一は舌を巻くほど、うまい。つまり、叙情あふれるホラーから、切ない話、さらには奇妙なホラ話まで書く作家なのだ。まったく幅の広い作家で、驚かされる。 乙一のもう一つの特徴についても急いで書いておかなければならない。それは、ラストの鮮やかさだ。『失踪HOLIDAY』を想起すれば、それだけで説明は不要だが、狂言誘拐をネタにしたこの長編のラストを読まれたい。何ということもない話なのに、このラストをつけることで物語に奥行きをもたらしている。このうまさは今回の『ZOO』にも見られる。たとえば「カザリとヨーコ」のラストに留意。これも話自体はどうということもない。ところが、ヒロインに「おっしゃー!」と言わせることで、それまでの話がこのヒロインの前史にすぎず、これから彼女の冒険が始まっていくのだという不安と期待を生み出していく。つまり、この短編の向こうに壮大なドラマが待っているような気がしてくるのだ。いわば、大河小説のプロローグを読んだような感じに近い。奥行きとはそういうことだが、乙一の小説では、いつもこのように書かれていないことまで意識させられるのである。 今回の作品集では、「神の言葉」「SO―far そ・ふぁー」のラストも、同様に秀逸といっていい。これも、よくあるオチに見せながら、けっしてそうではない。語り手の強い意志をラストに持ってくることで、それまでのやや戯画化されたドラマを、瞬間的に切実なものに変化させてしまうのである。紙上の物語が突如として身近なものになってくるのである。 その典型が、「落ちる飛行機の中で」のラストだ。この短編は、ハイジャックされた飛行機に乗り合わせた人間たちを描くもので、一種のシチュエーション・コメディといってもいい。ハイジャック犯がインターネットによる漬物販売の利益で拳銃を買ったなどという小技も効いているが、唸ってしまうのは飛行機の中で物語が終わらないことだ。その後日譚ともいうべき短いシーンを、作者は最後に付け加えるのである。「一日のうちに二人も殺せない」という最後の台詞が絶妙である。この瞬間に、シチュエーション・コメディは切実なドラマに転化する。奇抜な設定で、会話主導という作風(すべての作品に共通するものではなく、この作品集などに見られる作風)は、星新一を彷彿させるけれど、乙一を屹立させているのはこの現代感覚にほかならない。 いや、ラストだけをあまりに強調しすぎると誤解されかねない。「血液を探せ!」の奇抜な設定に見られるおかしさは群を抜いているし、「陽だまりの詩」の叙情なども忘れがたい。その意味で『ZOO』は現在の乙一の力量を示す作品集といっていい。早く名付けて安心したいのに、まだ全貌が掴めないのは情けないが、しかしこれだけはわかる。ここにあるのは現代エンターテインメントのきわめて稀な、そして突出した作品であると。 (きたがみ・じろう/文芸評論家) |
【乙一さんの本】
単行本 集英社刊 6月26日発売 定価:本体1,500円+税 『平面いぬ。』 集英社文庫 集英社刊 好評発売中 定価:本体590円+税 |
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