青春と読書
 ぼくの家は貧しかった。母の心臓病は重く、心臓外科の手術を必要としていた。父の岩次郎はタクシーの運転手をしながら、母の入院費を稼いだ。長時間、働かないとお金が貯まらなかった。今のように国民皆保険制度がなかった頃の話だ。
 1961年に医療保険制度ができて、ぼくの家は楽になった。皆保険制度は日本のタカラだと思った。
 ぼくは医師になった。宝物の国民皆保険制度を守れるような医療をカタチにしたいと思った。30代で病院長になった。地域の健康づくりと、救急医療と高度医療の攻める医療と、在宅医療や緩和医療の支える医療の三つのバランスがとれた医療システムをつくった。日本でも有数の長寿地域になった。しかも、医療費の安い地域となった。いい医療は持続させないといけないと思って、病院は黒字経営を続けた。医療費抑制政策の中で、地域の医療費を上げないで公立病院を黒字にし続けることには困難が多かった。不採算の部分もやらざるを得ないからだ。ぼくは3年前、56歳で燃えつき、引退した。
 日本の医療費は抑制されて安いので病院の経営はむずかしい。日本の医療は国民負担が高い。国民も大変。なのに、虫垂炎の手術入院費は、ホノルル232万円、ニューヨーク194万円、ジュネーブ186万円、上海136万円、日本は30〜40万円。実に安いのである。低い医療費で医療を維持できているのは、アメリカの同規模の病院に比べれば6分の1という少ないドクター数で、忙しく働き続けて、医療の崩壊を防いできたからなのだ。勤務医の労働時間は週64時間、研修医は92時間、なんと150時間働く研修医もいた。クレイジーだ。病院の医師は疲れている。
 質の高い医療をやりたいと思い続けてきた。医療費が抑制され続けている。そんな中であたたかで優しい医療をしようとすると、奇跡に近い綱渡りをしないといけない。
 患者満足度を調べても、日本は32%、アメリカ72%。くやしいけど、考えてみればあたりまえである。だからといって、アメリカのようになればいいのだろうか。市場原理に医療を任せれば、医療費はさらに高くなる。しかも医療を受けられない不幸な国民が増える。GDP対比の国民医療費はアメリカが15%、イギリスが8.3%、日本は8%。イギリスは医療費の増額に踏み切ったので、これからは、日本が先進国の中で最低になるだろう。
 アメリカでは自己破産の原因の第2位が医療費の負債である。日本では医療費の支払いで破産する人はゼロではないにしても、ほとんどいない。
 アメリカでは約5000万人が医療保険に加入できず満足な医療が受けられないのだ。アメリカは公的医療保険制度をつぶして自由化し、民間保険を中心にするように、日本にプレッシャーをかけてきている。
 2代の首相を支えている、経済財政諮問会議等の中には、国民皆保険がつぶれるのを待っている人もいそう。皆保険制度は土俵際。
 つぶさないようにするにはどうしたらよいのか。国民が納得、安心できる医療システムを構築する必要がある。まず、OECD加盟国の平均値GDP比8.4%へ国民医療費をあげること。せめて先進国の平均にはしなくちゃ。来年の医療費の改訂時に、現在32兆円の医療費を34兆円に増額する。しかし、国民負担を増加させてはいけない。経済の回復に、水をかけてはいけない。
 使われないダムや高速道路や港を造る公共投資を見直すべきである。アメリカの3倍、フランスの7倍近い、異常に高い公共投資。この2兆円でガン医療や、救急医療、在宅医療を充実させる。産婦人科、小児科、麻酔科などの増強もはかれる。老後も、大病しても安心の国になる。
 そうすれば1400兆円近い個人金融資産を持っている国民が、自分の人生を豊かにするためにお金を使い出す。そうすると日本経済は良くなる。経済が良くなったあとで、先進国としてはずかしくないGDP比約10%くらいの医療費に5年ほどかけて増加させる。
 このとき医療費は40兆円になる。このあと総枠制を導入して、これ以上医療費を増額させないシステムをつくる。現在の国庫負担は8兆円。5年後に40兆円に医療費を増額させても、国庫負担は10兆円である。国の負担はわずか2兆円の増額なのだ。
 良い医療を国民は望んでいる。国民が安心できるシステムをつくるのが政治の役割だと思う。すべての国民がいい医療を受けられることは、この国の空気にも影響を与えると思う。アメリカのように何千万人もの人がまともな医療を受けられない国になったら、この国の人心はもっと乱れるだろう。
 WHOは日本の医療システムを世界一と評価してくれている。現場を見るととても世界一とは思えないが、看板に偽りなしとするために、先進国並みのお金をかければ、世界一にきっとなれる。国民皆保険は日本のタカラだ。
(かまた・みのる/諏訪中央病院名誉院長)


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