青春と読書
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名作はフに落ちない                    鴻巣友季子

 「名作」というのはヘンである。今回、本書を読んでつくづく納得した。著者両氏は読者が感じている、感じるであろう「名作名作っていうけど、なんだかヘンじゃない?」という違和感をぐいぐいと突いてくる。もうこれは、指圧の絶技を受けているようなもので、ああ、そこそこ、それそれ! と非常に気持ちいい。
カフカ『変身』、ゴーゴリ『外套』、ガミュ『異邦人』、ポー『モルグ街の殺人』、マルケス『予告された殺人の記録』、漱石『坊っちゃん』、ドストエフスキー『地下室の手記』など、世界の古典や名作をとりあげ、しかも「薄い文庫本限定」というのがありがたい。
 まずは『変身』。ある朝起きると毒虫になっていたグレゴール・ザムザの話である。この小説の一番妙なところは、ザムザ虫の生理生態はこと細かく描かれるのに、虫に変身した理由は一切説明されないところだ、と両氏は指摘する。しかもザムザ虫を人間と思えばいいのか虫と思えばいいのか読者は決められず、感情移入という精神機構が宙ぶらりんにされる。「読者にたやすく感情移入させない」というのは、名作に重要な要素のようだ。
 「今日、ママンが死んだ」の出だしで名高い『異邦人』もそう。両氏の読み解きにより、無軌道な殺人者ムルソーは「近所づきあいもするイイ人」であることがわかるのだが、彼はだれに対しても――もちろん読者に対しても――ストレンジャーであることを決してやめないのだ。なにか茫として静かな諦念に包まれ、この世の不条理をすべて引き受ける。これがドストエフスキー『地下室の手記』の語り手となると、逆ギレばかりしているのだが、他人に「あなたはこういう人なんですね」と思われること、つまり理解されることを徹底して嫌う。自己イメージの破壊に命をかける。ゆえに、また読者は語り手がなにを言いたいのかわからないまま引き揚げることになる。
 結局、ウェルメイドなお話というのは一時売れても、後々名作として残るのは、いびつなものなんではないか。ポーにしても端正な奇譚やエッセイより代表作『モルグ街の殺人』だもの! 推理小説の祖にしていきなり推理小説をナンセンス化してしまったこの名作に対する両氏のみごとな読み解きは、名探偵はだしだ。
 名作はフに落ちない。それが人を惹きつけるゆえんなのだと思った次第である。

(こうのす・ゆきこ/翻訳家)
『世界文学は面白い。文芸漫談で地球一周』
集英社単行本
2009年6月5日発売
定価:1680円(税込)
世界文学は面白い。文芸漫談で地球一周
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