青春と読書
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井上ひさし著 『ムサシ』
言葉の魔力が紡ぐ重層的な世界           蜷川幸雄

 この『ムサシ』の台本を受け取って最初に思ったのは、これは「現在の物語」だと考えた方がいい、ということでした。舟島の決闘から六年後、じつは死んでいなかった佐々木小次郎が宮本武蔵の前にあらわれ、再び果たし合いを申し込むことから始まるこの戯曲は、「復讐の連鎖」をいかにして断ち切ることができるかという現代でも答えを出すことが難しい問題に立ち向かっています。さまざまな伏線を張りながら最終的な結論に向かうのがいかに困難なことだったかということを実感させられながら、読み終わったとき、ああ、井上さんは答えを出したな、と思いました。そして見事に演劇的に構造化された豊かな戯曲になった、と。
 井上戯曲はとても重層的な世界が描かれていて、演出家も俳優も格闘しがいがある。井上さんはまるで座付き作者のように、俳優の生理を見ながら台本を書いています。短い間にすごい観察をしていて、その観察が台本に反映されている。そこでは俳優はモノとして抽象的に扱われていない。だから俳優は嬉々として井上さんの言葉を語る。声に出して読みたくなる。言葉が持っている世界が俳優の人間性を変えるんです。そして俳優が自分たちで回転し始める。それはまさしく言葉の力としか言いようがなくて、そんな魔力というのはめったにやってこないものなのです。木屋まい役の白石加代子さんが、あんなに楽しげに台詞を覚えているのを見たのは久しぶりのことでした。
 この戯曲は、描かれている物語の枠をこえて、たとえば第二次世界大戦の始まりから、戦後の日本がいろいろなものを失っていく過程を、年配の人たちがどういう思いで見てきたか、それに対して若者たちが、おなじものとは言わないけれ ど、何かを重ね合わせて見てくれたなら……そんな思いをいだかせてくれるような、大きな広がりを持った作品になっていると思います。
 戯曲の言語に触発されて作られる世界を、どれほど多層的に立ち上げていくかということ、そこに演出家として、井上さんの新作と格闘する喜びがありました。

(にながわ・ゆきお/演出家)
『ムサシ』
集英社単行本
2009年5月1日発売
定価:1,260円(税込)
ムサシ
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