私たちには過去があり、現在があって未来がある。でも、どこまでが過去なんだろう?現在はいつからはじまったのだろう? いつになったら未来が来るのか? わからないから、私たちはじたばたし、うろうろとさまよい続けるしかない。
かつて学生時代をともに過ごした、五人の男女が登場する。フリーライターとしてそこそこ成功している充留。別れたりヨリを戻したりを繰り返している裕美子と正道のカップル。専業主婦の麻美。学生作家として華々しくデビューしたが、今は落ちぶれている宇田男。彼らは今、三十五歳。三月、裕美子と正道の「離婚パーティー」ヘの招待状からはじまって、翌年五月の充留の結婚式までが視点を変えて語られ、物語は進行する。
誰もが現在に行き詰まり、大小の鬱屈を抱えている。どうしてこうなってしまったのか。どこでどう間違えたのか。彼らは考え、記憶を手繰る。それで結局、知ることになる。「過去」なんて、便宜上の言葉に過ぎないのだと。過去を片づけて今を生きることなどできなくて、私たちはただ、長い一本の道を、歩き続けるしかないのだと。
角田さんらしく、彼らを取り巻く事ども――住居、恋人、仕事、食べたもの、聴いた音楽、歩いた場所 etc.――の詳細な描写とともに、一人一人が口から出した言葉、出さずに心の中だけで呟いた言葉が、饒舌に書き込まれている。読者はある語り手に自分を重ね、あるいは自分が知っている誰かを重ねるだろう。が、次の章でべつの語り手があらわれると、それまでの共感や反感がぱたりと裏返りもする。同じ過去を共有していても、見ていた景色は一人一人違う。「正しい過去」がないとすれば、「正しい生きかた」もまた、絶望と逡巡と戸惑いの森に分け入って、一人一人が個別に探し出すしかない。
途方もない、でもすこぶる面白い、という本書への感想は、そのまま生きていくということへの思いに繋がっていく。
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『三月の招待状』 集英社単行本 2008年9月5日発売 定価:1,470円(税込) |
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