青春と読書
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高橋源一郎著 『いつかソウル・トレインに乗る日まで』
ある男の、愛と闘争の物語               江南亜美子

 小説家になろうとしたものの、一篇の「物語」すら満足に作れなかった男が、まるで物語のような恋に落ちる。それも、昨今はやりの「ケータイ小説」ばりの大メロドラマに。男は五十五歳、女は二十歳。舞台は韓国、男は今は亡きかつての恋人の娘に出会い、「時間の感覚をなくしたよう」に感じる。身も世もなく愛し合うふたり。永遠につづくかと思われたその恋は、まったき純愛であり、しかし官能のきわみへとふたりを連れてゆき、その実、三日目に衝撃的な展開をみせて、とうとつに終わる――。
 あの高橋源一郎が、あの「ポストモダン小説の旗手」と今なお呼ばれる作家が、今回書いた新作は、そんなラヴ・ストーリーだ。だが、驚くのはこれだけではない。
 男は学生時代、熱心に「革命」運動に挺身し、ゆえに拘置所に入った経験をも持っているのだ。小説ののっけから、男はその過去について若い世代から問われる。「ほんとうのことを教えてください」と。「『革命』ってなんですか?」と。
 高橋源一郎その人の来歴を知らずとも、彼が「あの頃」を自作の中心的テーマに設定したとなると、なにか「告白」めいたものを期待する読者は多いだろう。ノスタルジー? 自己批判? ただし、そんな外野からのざわめく声を置き去りにするかのように、男は、ひたすら恋に落ちていくのだった。同志でもあった韓国女性の、忘れ形見と。
 平和と闘争、両方の象徴である名を持つ女、花城(ファソン)は、男の手帳の予定で埋まったページを無邪気にも聡明にも破りすて、男は、白紙となった手帳に自身とファソンの言葉を書きつけてゆく。紙上に顕現するのは、男の過去であり、思想であり、愛の考察であり、「物語」でもある。問いに、「ほんとうのことなんてのはないと考えるべきだ」と答えた男が、運命の女に導かれて語りはじめた、ヒズ・ストーリー=ヒストリーとはいかなるものか? 過去を飼い馴らし、男は「時間」を取り戻すことができるのか?
 リーダブルにして、深遠。パンドラの箱を開けた高橋源一郎の、新しい一面が見えること請け合いの一冊である。

(えなみ・あみこ/書評家)
『いつかソウル・トレインに乗る日まで』
集英社単行本
2008年11月5日発売
定価:1,890円(税込)
いつかソウル・トレインに乗る日まで
陳舜臣推理小説ベストセレクション/炎に絵を
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