青春と読書
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 著者の高橋睦郎氏によれば、「遊ぶ」とは、思うことを素直に行動へと移し、かつそれが宇宙自然の理に適っているという、本来は神にしかできない行為を表す動詞だった。それを我が物にしたいと願って、人は神に倣おうとする。祭りも、政治も、戦争も、恋も、旅も、文芸も、すべて神に近付こうとする人間の「遊び」だったのである。しかし、自由で生気に満ちた「遊ぶ」心は明治維新で絶えてしまった。それを慨嘆し、なんとか復活させたいという高橋氏の意気込みが、本書からは強く伝わってくる。そして、右の意図に基づいて、記紀から江戸末まで、和歌、漢詩、俳諧、日記と物語、能、歌舞伎、茶の湯、音曲といったさまざまな項目について、多くの表現や言説が取り上げられていく。そういう意味で、『遊ぶ日本』は高橋版日本文学史(あるいは日本文化史)となっている。
 随所に興味深い切り口が見出せて、読んでいて飽きないが、全体を貫く価値観を一言でまとめれば、記紀に見られる神話的な想像力が日本の古典文学をずっと支え続けていた、ということになるだろう。薬子の変で祖父平城上皇が失脚した事件によって在原業平に生まれた不遇意識が、反逆心に置換され、天皇制の聖域の象徴ともいうべき伊勢の斎宮を姦す出来事につながっていく。そのような業平と斎宮の関係は、スサノヲと彼に姦されたアマテラスの関係へとさかのぼることができるとされる。また、『新古今和歌集』の編纂は、詩神=詩魔たるスサノヲが後鳥羽院に取り憑いてなさしめた神の遊びであった。そして、承久の乱で敗れた後鳥羽院は、スサノヲが高天原を逐われて降り立った出雲と同方向にあるからこそ隠岐へと流されてしまうという。
 そういえば、高橋氏自身、実際の風貌や物腰もどことなく神様ふうだ。本書は、詩の神様が今の世に降臨して、人間に遊びの楽しさを伝授なさった本なのかもしれない。

(すずき・けんいち/学習院大学教授・日本文学)
『遊ぶ日本 神あそぶゆえ人あそぶ』
集英社単行本
2008年9月5日発売
定価:3,360円(税込)
遊ぶ日本 神あそぶゆえ人あそぶ
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