輝き出す今日 田中優子
読み終わったあと、身体が温かくなり、肌が潤い、自然とほほえんでいた。言葉とは、なんて面白いのだろう。「先行きが不透明」「景気回復のきざしはない」「超高齢社会がやってくる」と言われる。そしてこれらは現実になるだろう。しかしそれを、「今日よりよい明日はない」と言い換えてみたらどうなるか。場合によっては同じ事実をさす。しかし、とたんに「今日」が輝いてくるのだ。今がかけがえのない特別な瞬間に思え、大切な時間が流れ始める。本書はそういう言葉で満たされている。
これは著者がポルトガルで耳にした言葉だという。同じようにポルトガルでは「サウダージ(郷愁)」が大切にされる。著者は、「追い求めても得られない憧れのようなものを、未来に、ではなく、取り戻せない過去に求めるとは、なんとお洒落なセンスでしょうか」と言う。私もそう思う。希望とか未来とか夢よりむしろ、過去や記憶の中にこそ大事なものがひそんでいると思っている。それが私の江戸研究の根拠だ。共感ナるところが多い。
本書は全体が玉村豊男という希有な才人の生き方と価値観に満たされている。何より言葉がきらめいていて、私は思わず書き留めていた。「暮らす、ということは、一日を過ごす、という意味です」
――考えてみればそうなのだ。しかし高度成長以後の日本人は、暮らしを未来に預けた。今日は明日の豊かさのためにある、と思い込んだ。まなざしは未来にしか向けられず、「前向きに」生きることがよいとされた。暮らすとは、今日を生きることであるのに。
「ああ、今日も一日よく働いた。でも、まだ仕事は残っている。さあ、明日もがんばろう。……いくらやっても終わらない。だから明日に繋がるのです」――これは農業の手間についてである。「手間の豊かさ」という言葉を、私はときどき使う。手間を省くことが豊かさなのではなく、充分に手間をかけられることこそが、豊かさなのである。思わず足もとをみつめ、足もとのきらめきに気づく本だ。
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『今日よりよい明日はない』 集英社新書 2008年6月17日発売 定価:714円(税込) |
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