禅の心 茶の心 鵬雲斎 千玄室
一時ほどのブームは去ったが、それでも禅の何たるかを知ろうと、内外の人は関心を寄せている。多くの禅僧が、禅に関する出版をして分り易く説法をしておられる。かく言う私も臨済宗の禅僧である。茶家に生れ育って、後を継ぐためには、大徳寺(千家の菩提寺)の僧堂に掛塔し、修業し、管長から安名道号を拝することをしなければ、若宗匠の資格をいただけない。当然その定規に従うのである。昭和二十四年当時、私の師匠である後藤瑞巌老師は、妙心寺管長であったが、故あって大徳寺の管長を兼務で招請就任をされていた。そして、その老師のもとで條業参禅弁道させていただき、僧堂の生活も受けていたので、禅の何ものかをいささか体得し、『茶禅一味』なる意義は認知している。
この度、相国寺管長の有馬頼底老師が『無の道を生きる――禅の辻説法』を出版されることになった。この題名は、今迄にないものであると思う。禅僧は坐禅を組んで、多少なりとも自己悟認の悟りを開くことになると思われているが、それとともに冷暖自知、即ち行動に移すことが大事とされている。
この書は、従来の禅僧や学者の禅に関する書とは異なった角度で書かれている。それは有馬老師の自分の生い立ちから禅との出合い、そして体得した娑婆世界と禅宗社会での考えや思いを辻説法的に述べておられる。此処が読みごたえのあるところと私は思う。
荒れた世相に自らの総てを捨てて行脚説法をされた一休和尚の時代と、今の世は、丁度同じような時期も当るように思える。有馬老師が、法然上人や一休和尚と同じように、門口や辻に立って脱法をされたら、とその光景をこの本を通じて考えてみた。私も若い頃に僧堂から托鉢に歩いた。門口で喜捨された時の何ともいえない爽やかな心が、布施する者とされる者の間に通じ合ったことが忘れられない。有馬老師は、ものごとにこだわりを持たれない性格で、一見豪放磊落の様に見える風姿である。しかし、端然とされた禅僧としての老師に接すると、私の心も何か安静する。この本は人々の心を爽やかにし、前向きの姿勢を与え、また人生の指針となるものだと思う。多くの方に一読して欲しい一冊である。
(ほううんさい せんげんしつ/利休居士15代裏千家前家元) |
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『無の道を生きる――禅の辻説法』 集英社新書 2008年9月17日発売 定価:735円(税込) |
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