ある大学で「四谷怪談」の講義をしていた時のことである。女子学生の一人が欠席した。なにげなく彼女はどうしたのか、と聞いたらば、「顔がはれて――」。私はすぐさま授業を中止して、学生たちを連れて四谷の於岩稲荷に参詣に行った。
そうしたらばなんということか。神社の前にテレビカメラが待ち構えている。丁度お盆に放送する番組の撮影だったからだが、「なんで学生の一団が来たのか」と聞かれて、私はさらに冷汗をかいた。事情を説明しても到底理解されそうにもなかったからである。
ことほど左様にお岩は今でも恐ろしいのである。この本は、そのお岩のイメージがどのようにして出来たのかを小林恭二が縦横に論じた快著である。
日本人は崇りが好きなのだということからはじまって実はお岩の誕生には隠された秘密があることがあきらかになる。時は文化文政の表面ははなやかに見えても貧富の格差ははなはだしい時代。おそろしい怨念のお岩は、実は善女であったのが、貧困にあえぐ女たちの信仰の対象になり、ついには「於岩稲荷」となるまでがつぶさに描かれていて、さながら一編のサスペンスを読むが如き面白さである。
おそろしい怨念をもつ神格が一転して守護神になるのは、たとえば西欧にもある話(ギリシャ悲劇の「王女メディア」のヒロインは、その後子供の守り神になったという)だが、お岩の場合はもっと複雑で屈折している。そこの事情が生々しく描かれているのが、この本の特徴である。当時の人々の生活、お岩を主人公にした「四谷怪談」の作者鶴屋南北の出自と人生、お岩を初演した三代目尾上菊五郎の芸風、さらには当時の劇壇の事情、そういうものがからみ合って「お岩」が出来上がっていく。
このプロセスのなかで小林恭二は、南北がお岩を通して一種の社会的な解放を描いたことを指摘している。これは卓見であり、傾聴に値する。南北得意のどんでん返しも、「お岩」の崇り神から守護神への転進も、所詮はこの解放によっているからである。
異色の「四谷怪談」論である。故郷が明らかになってお岩も成仏することだろう。
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『新釈 四谷怪談』 集英社新書 2008年8月19日発売 定価:735円(税込) |
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