人はどこまで遠くなれるのか?
ジェシー・オーエンスといえば10秒2を世界で最初にマークした名スプリンターである。一九三六年のベルリン五輪では100メートル、200メートル、400メートルリレー、走り幅跳びと四つの種目で金メダルを獲得した。 オーエンスがシカゴで行なわれたNCAA選手権で叩き出した10秒2の世界記録は、その後、二〇年間も破られなかった。 〈しかし、この年はまだ、スター・ティング・ブロックの使用は許可されていなかった。また、当時のトラックの舗装はアンツーカー(煉瓦土)が主流で、今日のようなウレタンやゴムチップを使った「高速トラック」ではなかった。〉 知っていそうで知らない話である。著者の地道な検証作業が次の推測に説得力をもたらせる。 〈一九三八年以降、オーエンスがスターティング・プロックを使っていれぱ、もう一つ上の世界記録「10秒1」を出していた可能性は、十分あったはずだ。〉 そうかもしれない。私たちの日常生活がそうであるように、100メートルを取り巻く環境も日々「進化」している。 〈つまり、記録の進歩というものは、選手の能力の向上と、能力の発揮を助ける用具や施設の進化、この二つの要因がしばしぱ並行して、進歩を促してきたと言わざるを得ないのである。〉 最速の男――その称号を得ることは人類にとっての永遠の夢である。テクノロジーを同伴者にして、この先、人はどこまで速くなれるのか。 私が知る限りにおいて、100メートルという最もシンプルで、だからこそ奥の深い陸上種目を、史実に忠実に、そして体系的に解き明かした著作としては本書が白眉だろう。あと1ヵ月あまりに迫った北京五輪までに読んでおいて損はない。
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『10秒の壁「人類最速」をめぐる百年の物語』 集英社新書 2008年6月17日発売 定価:735円(税込) |
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