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札所巡りはかねてより母の得意とするところだった。鎌倉観音巡りに坂東三十三カ所。秩父観音巡りなんて、今ちょうど三巡目をしている最中だ(一巡するのに何年もかける。気の長い話なのだ)。あんなに熱心に、楽しそうに繰り返し出かけているのだから、きっと何か魅力があるのだろうな、とうすうすは思っていた。 それにしても、今ひとつわからなかった札所巡りのおもしろさを、ヒョイと垣間見せてくれたのが御朱印帳だった。札所巡りの記念はなんといっても御朱印帳。美しい布貼りの、屏風だたみになった母の御朱印帳を見せてもらうにつけ、これはただごとではないな、と思いはじめ、その独特の雰囲気にわたしもいつしかひかれていった。とうとう旅行に出るときには、鞄にそっと自分の御朱印帳をしのばせるまでになっていた。 山歩きが好きなわたしは、今やザックにも小さめの御朱印帳を詰めては、よく峰みねを巡っている。山は昔から信仰の場でもあった。今も寺や神社が多い。そこで御朱印をもらって帰るのだ。自分が出かけていった神社やお寺の印が、少しずつでも御朱印帳にたまっていくのがうれしい。 そのくらいでよろこんでいるわたしが、いきなり札所巡りの檜舞台(?)ともいえる、四国八十八カ所をまわってきてしまったのだから大変なことだ。四国の巡礼といえば、もうお遍路さんの憧れのまと。巡礼においてはまだまだペエペエのわたしが、やすやすと遍路の最高峰、弘法さんとの「同行二人」の旅へなど、出かけてしまっていいものだろうか。少し図々しすぎるのではないか。まだ早い、と空海上人も言っているのではないか。でも行きたい。この機会を逸したら行けないかもしれない。で、行ってきてしまった。 八十八カ所全部まわってきてどうであったか。いろいろなお寺があった。大きなお寺、小さなお寺。派手なのから地味なの、変わってるのやあんまりやる気のなさそうなのや。頑張りが空回りしてるところや、今まさに高度成長まっただ中と思わせるようなお寺もあって、もう千差万別。八十八もあると、もう世の中の縮図といえる。ありとあらゆるタイプのお寺が勢揃いしていた。これが、ガイドなど一生懸命読んで行っても予想がつかない。 四国巡礼のガイドは大変詳しく、よくできているものも多いのだが、「本当のところはどうなのよ」という部分は書かれていない。何も悪いことを書けといっているわけではない。境内までの石段数がかなり多め、とか、納経所がちょっと遠い、とか。境内の雰囲気がしっとりとして結構である、納経所のおじいさんが変わっていておもしろい、などなど。お遍路さんが実際直面する問題(でもないけど)には触れられていない、ということ。 実際に霊場巡りに出かけてみると、実はそんなことばっかり気になって、ワクワクしたり、オロオロしたりしていた気がする。この寺はいつ誰が開基したか、なんてことよりも、「オオ、石段の苔がきれい」や「この梵鐘はいい音である」なんてことの方が、よりリアリティがあっておもしろく、興味のわくことがらだったのである。掃除が行き届いてなんて気持ちのいいお寺なんだ、あるいは、ここまで新しくしなくてもよかったのに……、などなど。ま、出かけていけばそんなのはみんなそれぞれに感じられることなのだから、ガイドに書いてある必要はないのだけれど。 そんなわけで、この巡礼の旅でわたしは、それぞれのお寺の「今」を見届けようとしていたように思う。せっかく自分のからだを運んで八十八カ所をまわるのだもの、自分の目に映ったものを、しっかり心に留めたかった。もちろんどれもが歴史のあるお寺だけれど、その歴史を背景に、今、札所がどんな姿をしているのだろうか、どんな空気感なのだろうか。いちばん興味のあるのはそこだった。こればかりはいくら資料を見てもつかめない。土地の人にも愛されているのだろうか、よだれかけがこんなにたくさんあるから、さぞ多くの人の信仰を集めているのだろうな。奉納された手作りのよだれかけや千羽鶴、美しい布紐などが数多くあるお寺は、どこも間違いなく雰囲気がよかった。これこそ正真正銘、現役のお寺。そんなことを感じるのが、巡礼中で最も充実したときでもあった。 本来のお遍路さんの姿とは、少しずれた我が巡礼の旅ではあったかもしれないけれど、人それぞれの旅でいいのだ。これをきっかけに、今度は秩父や鎌倉、はたまた下町の七福神巡りなどもしてみようと思いだした。それにはやはり、先輩である母の案内を乞うことにしようか。 |
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プロフィール
著書に『ごきげん!ひとり暮らしの本』『行くぞ!山歩き』『きもの、大好き!』等。 |