第18回柴田柴田錬三郎賞受賞記念エッセイ goin' home 青春と読書
 小説の賞をもらったのは、生まれて初めてです。小説現代新人賞の佳作になった『桃尻娘』の原稿をポストに放り込んだのは、28か9のことですから、もう30年近く前のことになります。私の作家としての履歴は「小説現代新人賞佳作」というところから始まって、佳作というのは「選外佳作」なんだから、受賞でもなんでもない。にもかかわらず、私の履歴には「小説現代新人賞佳作入選」とかいうようなわけの分からない文字がいつの間にか勝手につけられていて、私がなんかの賞を取ったんじゃないかと思われていたりもするみたいですが、小説で賞をもらったのは、今度の柴田錬三郎賞が、正真正銘の初めてです。それで、「俺は小説家であってもいいんだな」という風に思いました。別に、「これで小説家になった」とか「なれた」というんじゃありません。「小説家であってもいいんだな」という、かなりややこしい実感です。
 「あっちはよくて、こっちはだめなの?」というような感じ方は、もう四半世紀も前にやめていて、「自分と小説の賞は無縁だ」と思っていたので、受賞の知らせを受けての第一声は、「え?! なァに?」です。なんか感じることは一杯あったのかもしれないけれど、こっちは当座の原稿を書くのに手一杯で、不思議にも「判断保留」の状態が長く続きました。もちろん、「よかった。じゃ、俺は小説家やっててもいいんだ」という実感は、すぐに生まれましたけども。でも、そのややこしい実感の「内実」がどんなものかというとかなり曖昧で、説明に困るようなもんでもありました。「人に言っても混乱させるだけだろうから、黙ってよ」というのが、本当のところでもありました。そうしたら、授賞式の一週間前になって、私の一番古い担当編集者が「死んだ」という知らせがあって、これまた「え?!」ということになった。
 「一番古い担当編集者」というのは、私がポストに放り込んだ『桃尻娘』の応募原稿を読んだ人で、普通だったら活字にならない佳作が雑誌に掲載されたのは、彼のおかげかもしれない。一番最初に会った時、「僕が推したんですよ」と言っていた。
 新人作家と編集者というと、どうしても「編集者が育てる」で、ましてや私なんか選外佳作なんだから、そういうことがあってもいいはずなのに、育てられた覚えがまったくない。逆に私が、「編集者って、作家を育てるもんじゃないの」と言って、私より年下の彼は、「ま、いいじゃないですか」と言って笑っていた。おかげで私は、「編集者が作家の原稿に赤を入れる」とか「勝手に直す」ということが、今でも信じられない。そんな経験が一度もない。「なんて尊大なんだろう」の前に、「へのカッパだから意味がない」である。おかげで私は、編集者というものがどういうことをする人なのか、いまだによく分からない。「一緒にくだらないこと言って遊んでる以外に、なにすんだろう?」と、実のところ、今でも思っている。「だって、俺なんて佳作じゃん」とか言って、「佳作のくせに」とか言われて、佳作をネタにして一緒に笑っていた。
 そんな彼と最後に会ったのは、倒れてそのまま意識不明になって死ぬということが起こる、2日前だった。しかも、一緒に食事をするなんていうのは、10年振りくらいのことだった。「柴田錬三郎賞受賞」を知ってすぐに電話で「おめでとう」を言ってくれて、「たまにはメシでも食いません?」と言った。私は仕事のスケジュールが一杯で、「今、無理だよ」と言って、結局、意識不明になる2日前に、そんな未来があるとも知らずに会った。そして死なれて、「え?!」と思っているところに、「告別式で弔辞を言ってもらえません?」と頼まれて、あれこれと彼のことを思い出した――「彼のことを」というよりも、「彼とのことを」だけれど。
(一部抜粋)


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プロフィール

はしもと・おさむ●作家。
1948年東京都生まれ。
77年『桃尻娘』で講談社小説現代新人賞佳作。著書に『上司は思いつきでものを言う』『宗教なんかこわくない!』(新潮学芸賞)『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』(小林秀雄賞)等。



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