青春と読書
 宝塚歌劇団から、拙著『プラハの春』を舞台化したいという打診があったのは、1997年5月『プラハの春』が出版されて、ほどなくのことであった。
 阪急グループの祖、故小林一三氏の令息で、現阪急電鉄会長として、関西財界のリーダーである小林公平氏のお声がかりという説明を受けた。降って湧いた夢のような話であり、半信半疑であった。苦い人生の経験もあって、夢のような話は必ず雲散霧消するという思いに、正直なところそれほどの期待はしていなかった。
 当時、私はまだ外務省に在職中で、地球規模環境にかかわる国連条約関係の仕事にたずさわっていた。月の半分以上はニューヨーク、ジュネーヴ、モントリオールなど国際会議を飛び歩く生活だった。その後、フィリピンのミンダナオ島ダバオに赴任し、宝塚の話はますます遠いものになってしまった。ところが2000年3月外務省を定年退官と同時に、ふたたび宝塚側からアクセスがあり、2001年になって話はいっきに実現に向け加速した。とはいえ私は宝塚の舞台を見たこともなく、そもそも阪急と宝塚歌劇団との関係も知らない門外漢であった。さすがに宝塚歌劇団は原作者を教育する必要を感じたに違いなく、週末を利用し1泊2日の日程で、歌劇団の本拠地宝塚にお招きいただいた。
 生れてはじめて宝塚歌劇を花組公演『ミケランジェロ』で知った。私は長いドイツ勤務で、彼の地のオペラやオペレッタを堪能したこともあり、いささかの通を気取るところもあった。また、ニューヨークやロンドンで、本場のミュージカルを見たこともあり、こうした舞台をそれなりに分かっているつもりでいた。それが『ミケランジェロ』の舞台で粉砕された。まさしく目から鱗の鮮烈な初体験であった。宝塚の舞台は、世界にひとつしかない舞台芸術である。欧米人が決して創造することができず、いわんや絶対に真似することもできない神秘の舞台空間であるといって過言ではない。
 その秘密はタカラジェンヌにあった。宝塚屈指といわれる演出家にして脚本家、谷正純氏との出会いもさることながら、去る3月半ば近く『プラハの春』を上演する星組の立稽古を、原作者の特権で拝見して知ったことである。立稽古は部外者禁制という……。
 体育館のような広い稽古場に、百名を超える宝塚乙女の大集団である。専科、彩輝直、星組は英真なおき、香寿たつき、渚あき、安蘭けい、夢輝のあ、秋園美緒、朝澄けい、真飛聖、叶千佳、そうそうたるトップスター群に圧倒された。まさしく百花繚乱である。
 その稽古場に清々しい緊張がみなぎっているのに気づいた。俗に言う緊張ではない。見えない秩序が存在し、まるで小宇宙の星座のように、それぞれのスターがきらめき発するエネルギー、いや、オーラである。気がつけば稽古場の隅には、一様に黒いレオタードをまとう乙女たちの一群がいた。背筋をのばし膝に手を置き整然と腰掛けている。彼女たちの目は演技する上級生、先輩に注がれていた。食い入るように見つめていた。
 初舞台を踏む第88期舞台生、つまり難関の宝塚音楽学校に入学し2年間の修業を積んだ卒業生48名、タカラジェンヌの卵である。小林一三翁の遺訓「清く、正しく、美しく」をモットーに躾られ養成された小さなスターたちだった。宝塚歌劇団は自己完結的組織である。しかも徹底したエリート集団である。欧米のオペラやミュージカルのように、そのつどオーディションで選ばれ契約する舞台集団とは根本的に違っている。礼儀作法をはじめ人間としての基本を叩き込まれた共同体である。もとより、彼女たちの個性は最大限に尊重されている。
 演出家の谷正純氏をはじめ劇団スタッフ、香寿たつき、渚あき、主演スターと夕食をともにした。目の前に対座する彼女たちは、意外なほどどこにでもいる娘に見えた。しかし何かが違っていた。凜として華があった。人生について、恋愛について率直に語りあった。
「春江先生、わたしたちはタカラジェンヌです。人もうらやむ夢のスターになれてこんな幸せはありません。それだけに何かを犠牲にしなければならないのは当然です」
 堀江亮介役の香寿たつきが吐いた何気ない言葉である。いきなり脳天を一撃されたようなショックを覚えた。彼女たちの芸を支え、独特の雰囲気を醸すのは、まぎれもなく「ノーブレス・オブリージ」だった。昨今の日本では死語となっている言葉である。
 折から、国家、国民、国益を口実に、腐肉を貪るハイエナの如く犯罪的なまでの利権あさりが指弾され、追い詰められると涙ながらに家族を語って取り繕った政治家。声高に関西弁をまくしたて、ワイドショーをにぎわせながら自らの不正により国会議員を辞職した女性政治家。気概もプライドもなく、やくざまがいの野卑極まる男に恫喝されたあげく、殴られ足蹴にされながらも、保身に汲々とするばかりであった外務省キャリア官僚たち。自らの犯罪的失敗に責任をとるどころか、国民の血税である公的資金に尻拭いさせ当然とする厚顔無恥な銀行家など。腐食溶解しつつある末期的日本にあって、タカラジェンヌの存在は救いに思えてならない。清く、正しく、美しい宝塚乙女あるかぎり、日本はまだ再生の可能性を秘めると信じたい。さて、『プラハの春』はどんな舞台になるのだろうか。

 ※『プラハの春』は6月28日〜8月11日、東京宝塚劇場(東京・日比谷)で公演されます。


【春江一也さんの本】

『プラハの春』上・下
集英社文庫
集英社刊
好評発売中
定価:本体(各)686円+税

プロフィール

はるえ・かずや●'62年に外務省に入省。'68年チェコスロバキア日本大使館在勤中、「プラハの春」事件に遭遇する。著書に『プラハの春』『ベルリンの秋』がある。



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