青春と読書
 プロ野球選手としては“晩年”を迎えた清原和博選手が大手術を受けても、現役を続行したいと表明しています。一方でサッカー選手の中田英寿さんは、あの若さで、あっさりと引退してしまいました。
 どちらが恰好良く思えるか、という質問に対して、中高年は圧倒的に清原選手に軍配を上げ、若者たちは中田さんの生き方を支持したという話を耳にしました。
 私は、この質問には即答できない、あやふやな人間であります。ただ清原選手の選んだ道の方が分かりやすい。中田さんの引退は唐突に思えました。
 中高年の人間にとって、中田さんの若くしての幕引きは、違和感をあたえるものなのでしょう。それはそれで、個人の感想ですからいいも悪いもありません。しかし、世代のまるで違う中田さんの生き方について、先立つ感情を抑えて、興味を持ち、考えられるようになれれば、とてもいい“第二の人生”を迎えられる気がします。
 団塊の世代のみならず、或る程度の年齢に達した男は、心の動脈硬化を起こしやすいものです。
 女は、我が道をゆける、存在の強い生き物です。たとえ鬱状態に陥っても、男よりも、逞しく生きられる人が圧倒的に多いのです。そこへくると、男は、強(したた)かではありません。眼鏡のツルのように、一度折れると取り返しがつかなくなる場合もあります。
 歳を重ねた男が心の動脈硬化を起こしやすい理由は簡単です。戦える場が次第に減ってゆき、いつかは戦力外通告を突きつけられるという不安を常に抱えているからです。
 多くの中高年の男たちが、清原選手の生き方を応援したくなるのは、そういう不安を乗り越えようとする彼の勇気と、生涯現役という夢を現実化している男に思えるからでしょう。しかし、清原選手の現役への拘(こだわ)りは、戦力外通告を受ける不安や、生涯現役の夢とはそれほど関係がないような気がします。完全復帰できたとしても、成績が残せなければ引退するしかない。数字で結果が表れるスポーツ選手の幕引きは、サラリーマンの場合よりも、遥かにはっきりしている。その分だけ、納得して、“第一の人生”から去ってゆけると思うのです。
“生涯現役”とか“前向きな人生”とかいう言葉を声高に口にする同輩の男に出会うと、何だかとても切なくなってきます。個人差がありますから、本当に強く逞しい人も稀にいますが、大概は、社会との繋がりが希薄になり、老いが忍び寄ってきていることに対する不安の裏返しが、そういう言葉を吐かせてしまうように思えます。弱音は吐かない、というのは男の美学です。しかし、それが過剰になると、偉大な先人の生き方を盲目的に崇め、自分の身近にいる部下や妻や子供の生き方が見えなくなり、ややもすると、自分の尺度だけで、相手を測り、つまらない人生訓を口にする“イヤなオヤジ”になりかねない。それを徹底すれば、それはそれで“どうしようもないが、可愛いオヤジ”だと微笑ましく見られる場合がないわけではないのですが、相手を萎縮させたり、相手から思わぬしっぺ返しを食うこともあるのです。
 中田さんの人生の選択に拍手を送る若者がいたら、なぜそういう思いを抱くのか、上手に訊き出す術(すべ)を身につけ、自分の意見を感情的にならずに相手に伝えられると、おのずと相手は、うまく口にできずとも本音を語るものです。
 リードするのは我々、中高年の役目です。若い人たちも、それを望んでいるところがあります。
“若者にはまだ負けんぞ”というのも結構な話ですが、がむしゃらに直球を投げ込んでくる若者と変化球で渡りあってもいいではないですか。若いのにまるで球に勢いのない若者に“若いのに情けない。俺の方がすごい”とは言わずに、相手の球の力に見合ったキャッチャー役を引き受ければいいではないですか。そういうコミュニケーション力を身につけ、若者に迎合するでもなく、民主的な振る舞いをするでもなく、相手と柔らかく接しながら、舵取りができるかどうか。たまには、相手に舵取りされてもいいぐらいの余裕を持てるかどうか。どういう“第二の人生”を送るかは、人それぞれですが、こういう気持ちを持っていることが大切だと思います。
 この立ち位置が、妻とも子供とも、そして、次世代を担う若者たちとも、風通しのよい付き合いができ、愉快な“第二の人生”を迎えられることに繋がる気がします。
“お婆ちゃんの知恵”という言葉があるように、歳を取っても女は、何らかの形で、若い世代に伝授していくものがある。しかし、“お爺ちゃんの知恵”という言葉は聞いたことがありません。パソコンやネットが主流になった現在、企業老兵の武器は、相手の心を開かせるための会話力しかありません。言葉を選んで相手との距離を縮めてゆくには、しなやかな心が不可欠です。
“このオッサン、意外にしぶといし、意外に元気やなあ”と相手が、老兵の価値を認めたら、どんな生活を送っていても、気分のいい“第二の人生”が訪れると私は思っています。


プロフィール

藤田宜永
ふじた・よしなが●作家
1950年福井県生まれ。
著書に『鋼鉄の騎士』(日本推理作家協会賞ほか)『愛の領分』(直木賞)『リミックス』『戦力外通告』等。




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