青春と読書
 第1巻がアメリカで発売されてからの24年間に、世界29か国で3500部を売り上げた「エイラ」のシリーズは、日本でも21年前から逐次、翻訳刊行されており、多くの人たちに読まれてきました。しかしこのたび、その第5巻がアメリカ等で刊行されたのを機に、著者ジーン・アウル氏からの「従来の抄訳ではなく、完訳版を出して、この作品の本当の面白さを、より多くの日本の読者にわかってほしい」という強い要請で、新たに完訳決定版の「エイラ――地上の旅人」を刊行することとなりました。35000年前の太古の時代を生きぬいた少女エイラの物語は、その壮大なストーリーで、どんな未来小説よりも遠い世界へ、皆さんをお連れすることでしょう。ちなみに、本シリーズの第5巻は、本邦初訳であり、完結篇の第6巻は、現在ジーン・アウル氏が執筆中です。
 シリーズ第1巻『ケーブ・ベアの一族』(上・下)の刊行にあたり、このシリーズを初訳のころから愛読し、今回の完訳版を待ち望んでいたとおっしゃる江國香織さんに、この作品の魅力をうかがいました。


 ――まず、江國さんとエイラ・シリーズとの出会いについて教えてください。

江國 21歳のころ、児童書専門の書店でアルバイトをしているときにこのシリーズを知りました。お店では、お客様に説明するために話題の本は皆で読んでいたんです。先に読んだ人たちのなかではずいぶん評判で、「絶対面白いから」と強く薦められました。
 時代物を読むのがあまり得意ではなかったので、読む前は取っ付きにくい話なのでは、と思っていました。とくに、原始時代の話となると、なんだか荒々しい感じもするし。ただ、エイラ・シリーズは、当時は児童書として置いてあったので、大人の本だったら敬遠する時代物でも、難しくて読めないということはないだろうという気持ちでした。

 ――エイラ・シリーズについて、どのように感じていましたか?

江國 まずは、ディテールに興味を持ちました。こういう物を食べているとか、赤ん坊を何で包むとか、そういった、原始時代の生活の細かい部分です。それ以前、『大きな森の小さな家』のシリーズで、すごく細かい部分、食べ物とか着る物、たとえば動物の腸を膨らませて風船にするというような描写に、とてもひかれていたのですが、エイラにも、それと同じ魅力を感じたんです。
 最初は、主人公をずいぶん自分に引きつけて読んでいました。35000年前の世界に生きている人物ということはあまり感じませんでしたね。エイラは、児童書の主人公にふさわしく、無力で小さい健気な子供。実は決して単なる無力ではないのですが。クロマニオン人であるエイラはネアンデルタール人の部族に育てられるわけですが、体のつくりや、習慣の違いによってできないことが多く、そのあたりは、当時とても自分に近いように思いました。ところが、あらためて完訳版を読んでみると、エイラに対しての感じ方が、ずいぶん変わっていたんです。

 ――完訳版をお読みになって、どのように印象が変わったのでしょうか?

江國 エイラは児童書ではなく、小説として書かれたものだったということを認識しました。
 初訳を読んだときは、この話はエイラという少女の成長物語であり、冒険談である、としか認識していなかったのですが、今回は、この本に出てくる男女関係のあり方など、かつて見えなかった部分をずいぶん発見しました。そして、以前のように、エイラに自分を重ねるということはありませんでした。主人公ひとりの心の動きにだけ共鳴するのではなく、そのほかの登場人物の気持ちも考えさせられる、非常にエンターテインメント性の高い物語だということを認識しました。
 また、完訳版ではジェンダーの問題が、相当浮き上がってきたように思います。それは、完訳になったせいもあるでしょうが、私自身の変化というのも大きいと思います。最初に読んだときからは、20年もたっているわけですからね。男女関係のあり方については敏感になってしまった。小説の取材で家庭内暴力について調べたのですが、そのあとエイラを読んだら、もう、そのものですね。
 エイラの育った部族では、女は男に絶対従わなくちゃいけない、殴られてもしかたがない。エイラの育ての母親は、夫に逆らわなかったので、立派な女性だと皆に誉められているのだけれど、後の文章に「夫の子どもは欲しくなかった」とか「彼が死んだときにも悲しくなかった」など、ものすごいことが書いてあるので驚きました。再読するまでは、その場面の記憶はありませんでした。
 完訳版は言葉ひとつとっても、エンターテインメント性というものを強く意識しているように感じました。たとえば「パンチを浴びる」という表現や、「何日もそのテーマについて考えた」という文章があって、「パンチ」とか「テーマ」という言葉は、私が覚えている前の訳と、はっきり違っています。もちろん時代とともに言葉の使い方も多少変わりますが、新しい訳は、この小説の持ち味にとてもあっていて、より物語性を深めることにも成功しているようです。
 この本に限らず、以前読んだ本を読み返すと、前には気がつかなかった部分が見えてきたり、以前はすごく良いと思ったことがそうでもなくなっていたりすることで、自分自身の変化に気づきますが、今回の完訳版にかんしては、とくにそれが多かったように思います。

 ――主人公のエイラについては、どのように思われましたか?

江國 今回、エイラにたいして、以前より感情移入できなかったと先に言いましたが、それは、エイラが単なる物語の主人公ではなく、文明の象徴のように感じる部分もあったからだと思います。初訳では、淡々と描かれていて、それほど気にならなかったんですけれど、エイラのビジュアルについて、金髪に青い目の女の子なんて、とてもハリウッド的な気がしました。
 エイラは確かに物語を引っ張っていく存在。読者に、まるで彼女がいないと進まない乗り物にのったように感じさせる、力強い主人公です。エイラは読者を35000年前の世界に連れて行くために投入された、完璧なヒロインなんだなあと感じました。
 装丁のエイラのイラストは、私が文章で感じたエイラそのものです。とくに、下巻カバーの座っている姿は、太古の世界に連れて行ってくれるガイドのようで、とても好きです。

 ――エイラ以外の登場人物や、エピソードについて興味深い部分があれば教えてください。

江國 とくに1巻については、表面的にはエイラが主人公なんですけれども、ケーブ・ベアの一族のほうが断然重要なのだと思うんですね。
 エイラがいることによって、ネアンデルタール人の一族と、クロマニオン人の違いもわかるし、それぞれの魅力を感じさせる。エイラは私たちにとっては、ビジュアルもかわいいし、気持ちもわかりやすい、そして何より物語を進めていく強いエネルギーを感じさせる人物です。でも、エイラの役目として何よりも重要なのは、エイラがケーブ・ベアの一族に大きな影響を与えるという部分だと思います。彼女は成長し、賢くなるにつれ、部族の人々とのあいだに軋轢を生んでいくわけですが、その出来事によって、彼女だけが成長するのではなく、実はケーブ・ベアの一族全体が変化していくのです。

 ――2002年にアメリカで出された第5巻(本シリーズでは、2005年10月〜12月刊行予定)、次の6巻(現在執筆中)と、読者の期待もふくらんでいるようです。続巻についてどのような期待を持っておられますか?

江國 私の個人的な興味としては、今後エイラがどのようになっていくかというよりも、エイラが見せてくれるもの、つまり今回彼女がケーブ・ベアの一族を見せてくれたように、新しい種族、新しい場所、あるいは子どもから大人、母親へと成長しいろいろな立場になった視線で見せてくれるものに期待があります。
 このシリーズの大きな魅力は、なんといっても長いということ。時空を超え、未知の世界にどっぷりとひたれるのは、とても幸福なことだと思います。





エイラ―地上の旅人
『ケーブ・ベアの一族』上・下
ジーン・アウル著/大久保寛訳
単行本
発行=ホーム社
発売=集英社
9月24日発売
刊行記念特別定価:(各)2,100円(税込)(2005年12月31日まで)
定価:(各)2,415円(税込)
プロフィール

えくに・かおり●作家。
1964年東京都生まれ。
『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』で山本周五郎賞、『号泣する準備はできていた』で直木賞を受賞。著書ほか多数。



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