青春と読書
 いまから6、70年前、日本の若者たちはたった一枚の「赤紙」で、戦地に向かった。海を、大地を、真っ赤な血で染めた悲惨な「昭和史」を『天切り松』にみごとに語らせた作者に、決死の特攻インタビュー。


 ――浅田さん、今回の『天切り松 闇がたり 第四巻 昭和侠盗伝』は、これまでの「匂い」とは明らかにちがいますね

浅田 そうですか。

 ――だって、出てくる言葉がちがいますよ。肉弾三勇士、東郷平八郎、金鵄勲章、永田鉄山、肇国の精神、それに統帥権の干犯だもの。

浅田 これを書いた時はね、まだイラク戦争もはじまっていない頃だったんだけど、いまの日本の国防論議、憲法問題を考えるうえでも、かなりタイムリーな出版だと思います。北朝鮮の問題からはじまって、中国や韓国の反日問題も起こって、急に日本人の間に危機感が高まってきたし。

 ――そうなんです。だから、読んでものすごくおもしろかったんです。いまから70年前、大日本帝国がどんどん戦争に向かっていくあの時代、安吉親分たちが死んでいく一兵卒のために、それこそ天に代わって不義を討ってくれたりするんですから、そりゃあ、痛快でした。

浅田 僕は今回の作品で、『天切り松』を通して昭和史、特に戦前史を描こうと思ったんです。そうなると、どうしても「戦争」は避けて通れないんですね。いや、そりゃあ、時代の表層を描くという手もあるし、小説だからそれでいいという理屈も成り立つ。だけど、僕は昭和史を描くと決めた以上、彼らが生きた重く深い時代をきちんと描いたうえで、彼らに大活躍してもらおうと考えました。そして、こういうわかりやすいストーリーを通して、「戦争」というものを語りついでいきたいというのが僕の本音です。

 ――それは、十分に伝わってきます。逆に言えば、この本の松蔵の語りを通して、浅田さんの「戦争観」がわかるということですよね。しかし、それにしても、「戦争」にお詳しいですね。

浅田 僕が自衛隊にいたからだと言わせたいんでしょうけど、実は、ちがいます。僕はね、子供の頃から、「軍事オタク」だったの(笑)。だから年齢のわりには詳しい。たとえば、第二夜の「日輪の刺客」の主人公永田鉄山と相沢三郎だって、僕の年代じゃ、詳しいことをほとんど知らないはずです。知ってました?

 ――陸軍軍務局長だった永田鉄山が相沢三郎に殺されて、やがてこれが、二・二六事件につながっていくのかな、そんな程度のことしか知りません。

浅田 昭和10年8月、陸軍省内でこの暗殺事件が起こったんだけどね、僕はこの事件の背景とその思想を徹底的に調べて1000枚ぐらいの小説にしようと以前からあっためていたんですよ。そのくらい、永田鉄山という人は大変な人でね、この人が相沢三郎中佐に殺されなければ、その後の日本は明らかにちがう方向に進んでいたはずです。歴史にイフは禁句ですけれど。つまり、そのくらい永田鉄山という人は昭和史のキーマンだった。でも、僕は今回の『天切り松』に惜しげもなく、そのエッセンスを入れてしまったんです。だから、これは読まないと損。なにしろ、1000枚分が凝縮されているんだから(笑)。

 ――相沢中佐の遺言までお書きになってますからね。

浅田 あれは、本当の遺言。それも調べてあったんだけど、ここで使ってしまって、惜しいことをしたと思って(笑)。

 ――東郷平八郎が松蔵に「天切り松」という二ツ名をつけてあげたというのは?

浅田 ああ、それは完全な思いつきです。でも、東郷平八郎というのは、気の毒な人でね。長く生きすぎたことで、かなり当時の軍部に利用され、戦後は厭戦意識が日本人の間で広まったために、いつの間にか消えていってしまったけど、世界では有名な人なんですよ。元はフィンランド産だけど、いまはオランダで生産されている「アミラーリ(提督)ビール」というのがあって、東郷元帥の肖像がラベルに描かれているくらいだから。だから、日本の一万円札の肖像が福沢諭吉ではなく、東郷元帥だったら、かなり円の価値もあがったんじゃないかな(笑)。

 ――よくわかりました(笑)。

浅田 まあ、そういうことも含めて、この本は僕の「歴史観」「戦争観」の集大成にもなっているように思いますね。

 ――僕は第四夜の「王妃のワルツ」も好きだなあ。満州国皇帝の弟溥傑のもとに嫁がされる絶世の美女を黄不動の栄治がダンスパーティの会場から連れ出す話。

浅田 嵯峨公爵のお嬢さん、嵯峨浩っていうお姫様なんだけど、絶世の美女なんです。この実在のお姫様にからむのが、いまインターネットのファンサイトでやってる僕のすべての作品の登場人物人気投票ベストテンで、断トツ一位の黄不動の栄治ですから。いい絵になっているでしょ。

 ――「わたくしを、盗んでくださいまし」「一夜ならば」なんていいですねえ。ひとりで勝手に盛り上がってますけど。

浅田 これも、当時の国策ですね。勝手に満州国を作っておいて、その国の皇族に日本人の血をまぜてしまおうというのが、軍部の発想なんだから。人身御供を助けてやらなきゃ、背中の黄不動が泣くでしょう。

 ――そうしたなかにも、浅田節というか、浅田ワールドというか、お得意の東京弁が駆使されてますよね。これをお書きになっているときは、楽しかったでしょう。

浅田 そりゃあもう(笑)。これはご当地小説だもの。誰だって、自分が生まれ育った土地の物語をそのふるさとの方言で書いていたら、力も入るし、楽しいに決まってますよ。

 ――出てきますからね、いわゆる東京の言葉が次々と。「屁のつっぱり」だとか、「こちとら」とか「伝法な口をきく」とか。

浅田 僕は昔から使われていた東京の言葉にこだわっているけれど、言葉がなくなるということは、その土地の精神が消えていくということだと思ってます。言葉というものは、そこに住んでいた人たちが何百年にもわたって培ってきたもの。つまり、人が生きてきた風土そのものなんですよ。それが、どんどん消えていけば、当然、そこに生きていた人たちの精神までなくなっていく。だから僕は、こだわる。たとえば、盛岡で生まれ育った人が久しぶりに故郷に帰ってきて、昔、自分たちが使っていた言葉が通用しなかったら寂しいでしょう。それでも、まだ山があったり、川があればいいよ。東京なんかそうした景色まで変わってしまう。江戸っ子の僕が、この『天切り松』を通して東京の言葉にしつこくこだわるのは、そこなんです。

 ――でも、言葉というのは通じないとまずいんじゃないんですか。「四の五の言わずに往生しやがれ」なんて、いまの若い人にわかるかなあ。

浅田 雰囲気はわかるでしょう。でも、ここで踏ん張らないと、東京弁はなくなってしまう。つまり、東京弁がなくなることで、江戸っ子の精神まで喪失するという悲しみを、この本に詰め込んでいるわけ。精一杯の愛惜の念を込めてね。その意味で言えば、落語とか歌舞伎には感謝しなければいけない。江戸の言葉をきちんと後世にも伝えているんだから。歌舞伎の言葉がわからないって文句言う人はいないでしょう。

 ――つかぬことをおうかがいしますが、浅田さんは、ふだんでも松蔵調にしゃべるんですか。

浅田 仕事の時は標準語ですね。同窓会では生粋の東京弁ですよ(笑)。

 ――最後の質問。東京弁を駆使する松蔵を通して、浅田さんが昭和史をお書きになるのは、はっきり言って、僕はこれからもものすごく楽しみなんです。ただ、このまま続けていくと、松蔵がどんどん年をとっていってしまいませんか。

浅田 いま四巻目ですけど、まだ続きを書きたいね。松蔵が満州や上海に行ってもおもしろいと思ってるけど、書き方に工夫がいる。でも、ファンなら、松蔵の年齢については、いちいち詮索しないように(笑)。


【浅田次郎さんの本】

『天切り松 闇がたり 第四巻 昭和侠盗伝
単行本
集英社刊
5月26日発売
定価:1,575円(税込み)



プロフィール

あさだ・じろう●作家。
1951年東京都生まれ。
97年に『鉄道員』で直木賞を受賞。2000年に『壬生義士伝』で柴田錬三郎賞を受賞。著書に『プリズンホテル』『王妃の館』『オー・マイ・ガアッ!』等。



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