青春と読書
 東京にいた頃、京都の芸妓や舞妓は遠い存在だった。テレビで見たり、祇園や先斗町(ぽんとちょう)の路上ですれちがったりした時には、その美しさや華やかさに目を惹(ひ)かれたものだが、自分とは別世界の人たちだと思っていた。
 ところが5年前に京都に仕事場を移し、北野天満宮の門前にひらけた上七軒(かみしちけん)という花街に足を踏み入れる機会を得た。
 第一次遭遇(そうぐう)は、友人に誘われてビアガーデンに行ったことだ。上七軒では毎年7月と8月に歌舞練場の庭でビアガーデンをひらき、芸妓や舞妓が当番で接待にあたっている。料金も手頃で彼女たちと話をする機会もあると言われて同行し、京都ならではのはんなりとした雰囲気にしばし酔った。
 第二次遭遇のきっかけは、友人の紹介でT先生に出会ったことだ。作詞家として著名な先生に、上七軒の中里というお茶屋を紹介していただき、ある秋の夜に座敷に上げてもらった。
 床の間のある閑静(かんせい)な座敷で酒を飲みながら、芸妓や舞妓と話をしたり舞を見物するばかりである。それでもこれまで経験したことのない心地よさを覚え、店を出た時には仕事の疲れやストレスがすっと抜けていた。
 彼女たちの鍛え抜かれた所作や話術のせいばかりではない。店に一歩足を踏み入れた時からお供(迎えの車)で送られるまで、あらゆることに配慮した完璧な接待術が、男としての自信と誇りを呼び覚ましてくれたのである。
 先達(せんだつ)から男の器量はこうした場所で磨くものだと聞かされていたが、その意味が初めて分った。しかも600年ちかくつづく上七軒には、今も古き良き伝統と文化が生きている。
 一介(いっかい)の小説家には敷居が高いが、この街に通わなければ京都に仕事場を移した甲斐がないと思った。
 以来足しげく出入りするようになり、花街の魅力と奥深さに触れるうちに、この街を舞台にして小説を書きたいと思うようになった。
 上七軒は室町時代、八代将軍足利義政の許しを得て設立された花街である。歴史的なエピソードには事欠かないが、もっとも有名なのは豊臣秀吉が北野天満宮でおこなった大茶会との関わりである。
 秀吉が聚楽第(じゅらくだい)の完成に合わせて催した天下の盛儀(せいぎ)に、上七軒のお茶屋も多大な協力をし、褒美(ほうび)として御手洗(みたらし)団子を売る特権を与えられた。
 おそらくこれは洛中の花街を統率(とうそつ)する権利に等しいものだったはずで、上七軒では今でも団子5つを刺した串を2本組み合わせた図柄の紋を用いている。祇園が団子4つの串の紋を用いているのは、向こうが格下だからだと、この街の人たちは胸を張るのである。
 この北野大茶会を背景にして芸妓の恋を描きたい。そう考えて史料を調べ始めると、秀吉がこの茶会に新政権の命運をかけてのぞんでいたことが見えてきた。
 秀吉は大茶会の3月前にバテレン追放令を発し、キリスト教を禁じて神仏を重視する姿勢を明らかにした。
 ところがこれにはキリシタン大名やイエズス会、そして南蛮貿易を主導しているスペインの反対があり、この局面を乗り切るために大茶会を利用しようとしたのである。
 詳細については拙作をご覧いただきたいが、不幸なことに10日の予定で始めた大茶会はわずか1日で中止になった。その原因は何なのかと思い巡らしているうちに、バテレン追放令に反対する者たちが秀吉を暗殺しようとしたのではないかと考えるようになった。
 それを命じられた刺客と、洛中一の芸妓である北野太夫との悲恋。これこそどこか切ない趣(おもむき)のある上七軒には似つかわしいと思った。
 酒の席で構想を語ると、それなら映画にしようとか、主題歌もヒットさせて街おこしにつなげようとか、周囲も大いに盛り上がった。気の早いI先生は、映画のための主題歌と挿入歌まで作り、「これが正夢(まさゆめ)になるように頑張れ」と励まして下さった。
 中里の女将(おかみ)さんにもいろいろな面でご協力いただいたし、芸妓さん舞妓さんにも腹を割った話を聞かせていただいた。それだけに雑誌に載った作品を読んでもらうプレッシャーは大きかったが、その緊張感が作品の空気を引き締めてくれたのではないかと思っている。
 これから上七軒では2月25日の梅花祭、4月15日から25日までの北野をどりと行事がつづく。七本松から北野天満宮への風情ある参道を歩きながら、拙作の雰囲気を味わっていただければ幸いである。


【安部龍太郎さんの本】

 『恋七夜』
単行本
集英社刊
2月26日発売
定価:1,680円(税込)
プロフィール

あべ・りゅうたろう●作家。
1955年福岡県生まれ。
著書に『生きて候』『天馬、翔ける』(中山義秀賞)『浄土の帝』『天下布武』『武田信玄の古戦場をゆく』等。



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