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『セカンドキャリア ー引退競走馬をめぐる旅』
片野ゆか
第8回「馬語がわかる男」

[連載]

第8回 馬語がわかる男

 丸馬場の柵に沿うように走るのは、限りなく黒に近い褐色の馬だった。
 春の陽射ひざしのなかで美しい体毛を輝かせながら、左まわりに三回、四回と周回を重ねている。前日まで続いた雨のせいで地面が若干ぬかるんでいるせいだろうか、時おり足まわりが重そうに見えることもあるが、馬場の中央に立つ男性が励ますように指先を進行方向へ動かすと、馬もそれに応えるようにテンポ良く駆け続けていた。
 二〇二一年三月、私は再び認定NPO法人サラブリトレーニング・ジャパンがある岡山県吉備中央町きびちゆうおうちようを訪れていた。引退競走馬をセカンドキャリアにつなぐためにリトレーニングは必須事項で、なかでも最も重要といわれるグラウンドワークという人と馬の信頼関係を築くコミュニケーションメソッドについて知りたいと思ったからだ。
 グラウンドワークとは、具体的にはどんなものなのだろう? 
「詳しく知りたいのなら、宮田朋典みやたとものりさんにお会いになるのがベストです」
 サラブリトレーニング・ジャパン創設者の西崎純郎にしざきすみおさんによると、同会では宮田さんにリトレーニングに関する技術提供や指導を依頼しているという。
 宮田さんの名前を私が耳にしたのは、実はこのときが初めてではなかった。
 この世界には、馬語がわかるすごい先生がいるんですよ――それは二〇一九年九月、私が馬ワールドを探訪するきっかけになったTCCセラピーパークを初めて訪問したとき、セミナー後の親睦会で出会ったAさんが教えてくれたことだった。


グラウンドワークを行うホースクリニシャンの宮田朋典さん
提供:筆者

馬語がわかる先生というのは、犬の世界でいうドッグトレーナーに該当する専門家のことらしい。さらにいてみると、宮田さんのトレーニング方法は日本では革新的なもので、競馬業界や乗馬業界のベテランを指導することもめずらしくないという。全国各地で講習会を開催するほか、競走馬の種馬場で種馬の調教に携わることも多く、ディープインパクトなどの有名馬に関わるなど業界で知らない人はいないらしい。
 そんなにすごい人がいるのか……! 私が感心して聞いていると、Aさんは「宮田さんのやり方や発想を馬業界のプロが取り入れてくれれば、この国の馬たちの扱いはもっともっと良くなるはずなんです」と力説した。どうやらその方法は、動物福祉の向上に直結しているらしい。
 そんなこともあって、西崎さんから宮田さんの名前を聞いたときは「すぐに連絡して、密着取材ができるようにお願いしよう」と考えていた。
 だがその計画は、新型コロナウイルス感染拡大の影響で完全に阻まれてしまった。二〇二〇年一月に初めて岡山を訪問した後、まもなく感染者増加のニュースが連日報道されるようになり、四月七日から東京圏および大阪、兵庫、福岡で発令された緊急事態宣言は、四月十六日には全国が対象になった。それが解除された後も、誰も予想していない未知のウイルスが相手だけに情報は錯綜さくそうし、判断基準は地域や個人によって差が大きくなるばかり。そのため気軽に取材依頼をできなくなってしまった――というのは、連載の第一回にも書いたとおりだ。
 しかし、引退競走馬支援プロジェクトの充実ということでは、かならずしも悪いことばかりではなかった。これまで講習会や講演会の仕事で全国を飛びまわっていた宮田さんが、サラブリトレーニング・ジャパンのリトレーニング責任者として引退競走馬たちに継続的に向き合うことになったのだ。
“馬語がわかる男”が自ら馬たちの心身をケアしているとは、これ以上にない最高の環境だ。
 タイミングを見計らうこと約一年、私はようやく宮田さんの仕事現場に密着する機会を得たのだった。
「まずは、丸馬場でのグラウンドワークを見てもらいましょうか」
 宮田さんは、リトレーニング中だという馬に声をかけながら、手際よくホルター(頭部に取り付ける馬具)を装着して馬房から連れ出した。廐舎きゆうしやを出て軽快な足取りで進む宮田さんの右側では、褐色の馬が歩調を合わせるように優雅に四肢を動かしている。
 放牧場が広がるエリアを抜けて、草原の一部を囲った丸馬場に入り宮田さんが中央に立つと、まもなく褐色の馬が駈歩かけあしをはじめた。手にしているホルターにつながった一本のロープは、常にゆるりとした状態が保たれていて、つまり無理に引っ張る、強制するなど物理的な拘束はどうやら皆無ということらしい。
 やがて宮田さんが馬の名前を呼ぶと、地面を蹴る四肢のテンポはスムーズにスローダウンして、正面から向き合うような位置で止まった。やや頭を下げて、柔らかそうな口先をモゴモゴと動かしている様子は、小声で何かをささやいているみたいだ。再び名前が呼ばれると馬はゆっくりと前進して、まるで懐に入るように宮田さんの右側にまわりこみ、同じ方を向いて静かにたたずんだ。
「よくできた。えらいね」
 宮田さんが優しく声をかけながらつややかな首筋をでると、馬はあきらかに安心したような穏やかな顔つきになった。
「これは引退競走馬が馬の社会と人との関わりを学び直すための、初歩段階のトレーニングです。人間にたとえると、母親との関係を幼稚園からやり直すイメージになります」
「母親との関係……ということは今、宮田さんは馬のお母さんの役割を担っているということですか?」
 私の質問にうなずいた宮田さんは、競走馬として生まれたサラブレッドの成長過程について説明してくれた。
「競走馬として生まれたサラブレッドが母親と一緒にいられるのは、生後六か月までくらいです。競走馬業界内では六か月離乳が通常ですが、本来の離乳は、母親に守られていた子馬がやがて他馬との関わりを増やしていく過程で少しずつ母親と離れていくものです」
 早期の離乳によって、母親を通して学ぶはずの馬の社会を知らないまま成長する競走馬たちが経験するのは、ほぼレースに関連することだ。しかも、その多くはわずか数年後には引退を余儀なくされる。
「馬の社会を一から学び直さなければ、馬どうしで良好な関係をつくることは難しく、馬のプロではない人間たちと、うまく関わっていくこともできません」
 馬は群れで生きる動物で、野生の馬は十数頭程で行動しているという。彼らの社会構造について、宮田さんは次のように説明してくれた。
「群れのなかで牡馬ぼばのトップは経験値の高い体力のある馬で、外敵や他の群れからはぐれてきた牡馬と戦う役目を担っています」
 その下には母馬や子馬、若馬たちがいるのだが、この群れ全体を束ねているのは、女帝と呼ばれる牝馬ひんばのトップだという。女帝は群れのなかでもっとも信頼を集める存在だそうだ。母馬は子馬が自立するまで世話をするといわれ、それまでに信頼関係やコミュニケーション方法、外敵から逃げる方法、安全を確認して群れに戻る方法を教えていく。


母親役の宮田さんを信頼する引退競走馬
提供:筆者

 馬は家畜化されて久しい動物で、人間と共に暮らしてきた歴史が長い。私のなかではそのイメージが強すぎて、恥ずかしながらこれまで馬のみで構成される社会が存在するとは想像もしていなかった。それだけに頭数の目安や役割分担が、これほどはっきりとわかっていることにとても驚いた。宮田さんにそう伝えると、これは日本の競馬業界や乗馬業界でもあまり知られていないことだ、と説明されて再び驚いてしまった。
 その主な理由は、現在の日本の馬業界のルーツが主にイギリスやドイツの軍馬技術と深く関係している点にあるという。一方、宮田さんが身につけたのは、二十代で渡米して学んだウエスタン乗馬の文化をベースにした技術や知識だ。
 宮田さんの肩書きは、ホースクリニシャンという。直訳すると馬の臨床医だが、これは米国人のモンティ・ロバーツが考案した調教技術「Join-Up」や、ナチュラルホースマンシップなどの行動心理学に基づくトレーナーの名称を指す。
 一九三五年生まれのモンティ・ロバーツは、カリフォルニア州でロデオ競技場を運営する父親から馬術をたたきこまれ、わずか四歳で馬術大会で優勝して、それ以降はハリウッド映画の子役スタントマンとして活躍するなど、乗馬界の天才少年として育った。しかし、父親の伝統的で残酷な馬の扱い方には、子ども時代から激しい抵抗感を抱いていた。それは馬を従順にさせるために、恐怖心をあおる行為や暴力、物理的な拘束を十日近くも続けて馬の自発性を完全に破壊するという方法だ。
 その様子は『馬と話す男 サラブレッドの心をつかむ世界的調教師モンティ・ロバーツの半生』(モンティ・ロバーツ著、東江一紀あがりえかずき訳、徳間書店)に詳しく書かれているが、残酷な描写が連続するかなりショッキングな内容だ。それだけに少年時代のモンティの怒りと憎悪、父親を反面教師に馬との信頼関係を深めることで成立する調教方法を確立させていった情熱や感受性には深く共感できる。なにしろ父親が一週間以上かけてやっていた血みどろの馴致じゆんち作業が、わずか七歳のモンティの考案した方法では、かすり傷ひとつつけずに二~三日でできてしまったのだ。
 馬は「この人は信頼できる」と理解するとロープなしで後をついて歩くようになるというから、なんだか犬のようでもある。さらに馬にとってもっともハードルが高いくらを付けるトレーニングも、スムーズにおこなえたというから驚いた。本書に登場するエピソードの数々には、馬という動物を理解するための情報があふれている。また、わずか十三歳で信頼できる愛馬と共に野生馬を追い込む仕事をするために三週間も荒野の旅をしたり、無名時代の都会っ子のジェームズ・ディーンにアメリカ西部の作法を教えるなど、ワクワクするような冒険たんやアメリカ文化史的な要素が豊富な点でも、ラストまできつけられる一冊だった。
 ちなみに現在、モンティ・ロバーツは八十七歳にしていまだ現役で、調教師やホーストレーニング講習会の講師として活躍している。公式サイトには、コロナ禍に対応した世界各地から受講可能な「Join-Up」オンラインセミナーの案内もある。
 日本の競馬や乗馬の多くが英国発祥のブリティッシュスタイルを基盤としているなかで、米国のウエスタンスタイルを背景にした宮田さんは孤高の調教師ともいえる。
「三十年前、行動心理学に基づいて馬と信頼関係を築くという発想は、日本の競馬界や乗馬界ではほとんど理解されませんでした。服従させることで馬をコントロールしなければならないと考える人が多く、こうして人間の横に立つことさえ馬に許さない人もいました」
 苦笑いをする宮田さんが、艶やかな馬の首筋に優しく手を添えると、馬は甘えるように少しだけ顔を傾けた。筋肉隆々の立派な体軀たいくながら、その姿は頼れる相手のもとですっかり安心した子馬のようにも見えた。
 私がふと思い出したのは、かつて犬の世界でも「犬にめられないために、飼い主がリーダーシップをとる」という軍隊型の服従式ドッグトレーニングがもてはやされた時代があったということだった。例えば散歩のとき、犬は飼い主と並んで歩調をあわせ、しかも飼い主のつま先のラインよりも前に出てはいけないというルールがしつけの基本事項にもなっていた。米国のマッチョ文化を背景にした、動物行動学とは無縁のメソッドで、今では完全に過去のものになっているが、二十年近く前の熱心な愛犬家たちのあいだでは服従させること=犬と上手うまく付き合う最善の方法と信じられていたのだ。
 その後、犬科動物研究が急速に進んだ結果、犬はおおかみの亜種であり、また野生で暮らす狼の群れ社会は軍隊式の上下関係ではなく、聡明そうめいで愛情深い親とそれに学び協力する子どもたちで構成されていることがわかっている。犬と馬はまったく違う動物とはいえ、親子関係をベースにした社会経験が重要だということは共通しているようだ。
 宮田さんのやり方が少しずつ受け入れられるようになったのは、今から二十年近く前のことだ。みつく、蹴るなどの攻撃行動のある馬の扱い方について相談したい――そう連絡してきたのは、JRA(日本中央競馬会)調教師として開業して間もなかった角居勝彦すみいかつひこさんだった。角居廐舎では“馬には、母親が子どもを世話するような気持ちで接するように”を信条のひとつにしていた。競走馬それぞれの才能を引き出してベストの状態にするためには、人と馬の信頼関係に基づいた調教方法を取り入れる必要があり、そのためには宮田さんが実践する行動心理学に基づいたトレーニングは不可欠だったのだ。
 これをきっかけに複数の調教師や生産・育成牧場などからの依頼が増え、競馬界にグラウンドワークが少しずつ浸透していったという。
「それでも受け入れているのは、業界の半分にも満たない。現在でも、馬を扱ううえでグラウンドワークは意味がないというプロは少なくありません」
 しかし宮田さんは、人が馬を深く理解できるという点から、グラウンドワークは日本の馬文化の裾野を広げるためにも重要と考えている。
 ここからは、さらに馬の世界について詳しく解説してもらうことにした。まずは宮田さんが馬の母親の役目をするということについて。
「母親の重要な役目のひとつに、先に逃げるように子馬を促し、安全になったら呼び戻して群れに帰ってくるようにする、というものがあります」
 リトレーニングでは、①指示のもとで一定の距離感で接する、②どのような状態であっても、母親役である人間のサインに気づいて理解する、③指示によって安全な場所に戻ってくる、④安心できる場所でリラックスすること、という体験を繰り返しながら信頼関係を徐々に深めている。
 若馬の心理の基本のひとつは、「不安を感じたら迷わず逃げること」だと宮田さんはいう。そういえば、顔の真横に目がある彼らの視界は真後ろを除く約三百五十度で、常に身の回りの警戒を怠らないと聞いたことがある。その情報から私は、馬というのは魚眼レンズで見たような世界で暮らしているのだ、と長らく思いこんでいた。しかし、それは完全な間違いで、実は頭上と鼻先、足元はあまり見えていないという。彼らの視界は、上下が切り取られた筒状のスクリーンのようなものなのだ。そのため鳥が上空からあらわれたり、枯れ葉が舞い落ちたりするだけで、馬たちは驚いてしまうことさえあるという。
「彼らは、正面から近くを見るのも苦手です。目と首の位置の関係から一部に死角があり、鼻先近くはピントが合わないので不安です」
 説明を聞きながら、宮田さんの正面で立ち止まってやや頭を下げた馬が、柔らかそうな口先をモゴモゴと動かしていたことを思い出した。こうして馬が頭を下げて口先を動かしているのは、リラックスして自分で判断する余裕があるときにする行動のひとつだ。それは放牧場で草をんでいる姿にピッタリとあてはまり、これこそが馬にとって“ストレスの少ない快適な状況”なのだという。とはいえ彼らの口先とひづめはとても鋭敏で、地面から伝わる外敵による振動にも常にアンテナを張っている。風の音や揺れる草木に注意を払うことも多く、それは捕食動物が草むらを走り抜けてくる音に似ているからなのだそうだ。
 被食動物として生きるのは、なんて大変なのだろう……。本来の馬たちの心理や感覚について知ると、つくづくそう思わないではいられなくなった。
 外敵が近づいたときにもっとも危険なのはパニックになることで、過剰反応や慌てた行動は捕食動物の狩猟本能を刺激してしまう。生き残るために大切なのは、気持ちをコントロールしてパニックにならない経験を積み続けることだ。しかし、母親との経験が不足している馬の多くは、怖いという気持ちを抑えて安全を確保するために指示を聞いたり、情報を得たりする経験が不足している。
「引退競走馬のリトレーニングの大部分は、離乳時点に立ち返る母性的な要素のものです。引退直後のサラブレッドのなかには、驚いて走り出したらパニックが高まる一方というタイプも少なくありません。そのままの状態では、人や馬が声やボディランゲージで話しかけてもコミュニケーションは成り立たないのです」
 宮田さんがリトレーニングで目指しているのは、どこにいっても幸せに生きられる馬にすることだという。特に重要なのは、むやみに怖がらないこと、人間と信頼関係がつくれることで、この二点が揺るがなければストレスによる病気や驚いて怪我けがをするリスクが格段に減る。リトレーニングは、健康寿命を延ばすことにつながっていると宮田さんは説明した。
 丸馬場のなかでは、トレーニングを終えた褐色の馬がゴロンゴロンと地面に転がっていた。四肢を動かすたびにまわりに飛び散る泥から、解放的な気分を楽しんでいることが伝わってきた。
「ご機嫌ですね。やりきったー! という気分なのでしょうか」
「今日は足元が滑りやすかったので、少し怖かったはずです。そういうときは人に集中しにくくなるので、いつもより大変だったと思いますよ」
 微笑ほほえむ宮田さんに見守られながら、片側のおなかをすっかり泥んこにした馬はダイナミックに反転すると、さらにゴロンゴロンを続行させた。艶やかな被毛は台無しで、このあとのお手入れのことを考えると大変だけれど、でもその表情はリラックスしていて、とてもうれしそうだ。
「えらいね。トレーニング、頑張ったね」
 あまりにかわいいので声をかけると、丸い目がエヘヘと笑ったような気がした。それだけにその後の宮田さんの言葉は、あまりに意外だった。
「このコは、ここに来たとき、人と目も合わせられない、ごく一部の人しか触ることができない、一瞬もじっとしていられない馬だったんです」
 彼の名前はコペルニクス。


トレーニング後のゴロンゴロンで泥んこになったコペルニクス
提供:筆者

 地動説を唱えた中世の天文学者と同じ名前を持つこの馬の父親は、ディープインパクトだという。その名を聞けば、競馬にうとい私でも超一流の血統を継ぐ馬だということくらいはわかる。しかし二〇一四年一月に生まれたコペルニクスは、二〇一六年十一月に中央競馬でデビューして以降、怪我が多かったために競走馬として厳しい日々を送り、地方競馬をはさんで、二〇二〇年五月のレースを最後に引退している。サラブリトレーニング・ジャパンにやってきたのは、宮田さんがここの専属になってしばらくしてのことだったという。
「最初に会ったときは、何を考えているのかまったくわからなくて、ずいぶんと悩みました……」
 当時のことを思い出したのだろう、宮田さんは一瞬、遠くに視線を泳がせた。調教のプロとして追い詰められた経験だったことが伝わってくる一方で、宮田さんの懐に入るように寄り添うコペルニクスの様子を思うと、簡単に「そうだったんですか」とはとてもいえなかった。
“馬語がわかる男”をこれほど苦悩させるとは、コペルニクスはどんな馬だったのか。人間とのコミュニケーションを激しく拒否していたという、その理由は何だったのだろう?
 驚きとともに好奇心が刺激されるのを感じながら、しかし私は、事態がさらに複雑だったことを知った。
 廐舎に戻ると、宮田さんは二頭の馬を紹介してくれた。
「こちらの馬の名前はプラトン、隣の馬房にいるのはフランクリンです」
 いずれも黒に近い褐色の被毛が美しく、なんだかコペルニクスに似ている。というよりもそっくりで、いつの間にさっきの泥んこを洗い流したのだろうと一瞬、思ったほどだった。
「この馬たちの父親もディープインパクトで、母親もすべて同じロベルタという馬です」
 コペルニクスとプラトン、フランクリンは、なんとリアル三兄弟だという。そして外見と同様に、彼らは心と身体からだに同じ問題を抱えていたのだった。

(つづく)

片野ゆか

かたの・ゆか●ノンフィクション作家。
1966年東京都生まれ。2005年『愛犬王 平岩米吉伝』で第12回小学館ノンフィクション大賞受賞。著書に『ポチのひみつ』『北里大学獣医学部 犬部!』『ゼロ! 熊本市動物愛護センター10年の闘い』『動物翻訳家 心の声をキャッチする、飼育員のリアルストーリー』『平成犬バカ編集部』『竜之介先生、走る! 熊本地震で人とペットを救った動物病院』『着物の国のはてな』等多数。

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