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『セカンドキャリア ――引退競走馬をめぐる旅』
片野ゆか
第6回 「馬を救う新しい仕組み」

[連載]

第6回 馬を救う新しい仕組み

 競馬の世界では毎年、約七千頭のサラブレッドが生産される一方で、約五千頭が引退して、その多くが行き場がなく行方不明になっている――。この問題について、競馬業界内から声をあげた調教師 (当時)の角居勝彦すみいかつひこさんは、「一頭でも多くの馬を救いたい」という信念のもと、二〇一三年十二月に一般財団法人ホースコミュニティを設立した。早速、着手したのは、引退した競走馬をセカンドキャリアにつなげるという、これまでにない仕組みをつくることだった。
 とはいえ角居さんには、調教師としての仕事がある。
 業界のアンタッチャブルともいえる話題を現役調教師が口にすることは、前代未聞であり風当たりは非常に強かった。高額な預託料を支払っている馬主からすれば「引退する馬のことを心配する暇があるのなら、目の前にいる馬が勝つ方法を追求しろ」というのが本音であり、この活動を続けていくためにも角居さんは、勝負の世界で結果を出し続けていく必要があったのだ。
 このとき角居さんに代わりプロジェクトの骨子をつくったのが、ホースコミュニティ現事務局長の矢野孝市郎やのこういちろうさん、そして当時事務局長として働いていた㈱TCC Japan代表の山本高之やまもとたかゆきさんだった。
「この仕事は天職」といいきる山本さんは現在、生まれ育った滋賀県栗東りつとう市を拠点に、日本で唯一の引退競走馬専用シェルターを持つホースコミュニティ施設TCCセラピーパークを運営している。私が元競走馬ラッキーハンターの一口馬主になったことは前述したが、もしこの施設と支援の仕組みがなければ愛らしい引退競走馬と触れ合えるチャンスに巡り合うこともなかったわけで、そう考えると天職の表現も大袈裟おおげさではないだろう。
 それだけに山本さんが、かつて東京でITベンチャー企業を経営していたと聞いて、振り幅の大きさに驚いた。ITから引退競走馬へ、いったいどうやって辿たどり着いたのだろう。


(株)TCC Japan代表・山本高之さんと元競走馬のリベルタス
提供:TCC Japan

 京都の大学を卒業して、経営コンサルティング会社に就職した山本さんが、その後、東京のベンチャー企業を経て起業したのは二〇〇六年一月のことだった。
「自分の故郷が“馬のまち”として広く認知されていると気づいたのは、東京で働くようになってからです。競馬好きの人からは『JRA(日本中央競馬会)のトレーニングセンターがある、あの栗東ですか』とよくいわれました。うれしかった反面、自分は馬のことを何も知らないという残念な想いを常に抱えていました」
 山本さんいわく、実際の“馬のまち”は競馬ファンが抱くイメージとかなり違っていた。栗東で暮らしていても、馬を近くで見たり触ったりする機会はまったくなかったという。
「高い壁に囲まれたトレセンは、気軽に見学できるようなところではなく、競馬とは関係ない仕事をする地元の人々にとっては遠い世界でした。馬に興味を持つきっかけもなく、個人的には競馬や乗馬には無縁でした」
 だが当時の山本さんは、もっと深刻な“残念事”を抱えていた。それは自身が経営する会社の事業内容だ。学生時代から起業を目標に努力し続けてきたが、気づいたら起業そのものが目的になっていたのだ。本当に自分がやりたい仕事は何なのか――悩みながらも、簡単には方向転換できない状況に陥っていたのだ。
 転機になったのは、二〇一一年の東日本大震災だった。
 災害発生からまもなく、山本さんは、現地を訪れてボランティア活動に参加した。そこで痛感したのは、復興を進めるためには、地域の活性化につながる人やモノをつなぐ仕組みづくりが重要ということだった。
「以前からソーシャルビジネスに興味を持っていたこともあって、これをきっかけにようやく決意できました。イメージしたのは、広い意味での社会福祉事業です。自分がやるべき仕事は、故郷の栗東に帰って地域を活性化させる新しい仕組みをつくることだと気づいたのです。同時に考えたのは、馬に関わらなければもったいない、ということでした」
 馬について情報を持たない山本さんの力になったのは、同じ栗東市出身で学生時代に出会った妻の妃呂己ひろみさんだった。
 現在、TCC Japanのホースセラピーを取り入れた児童発達支援事業〈PONY KIDS事業部〉責任者で、理学療法士の妃呂己さんは、父親が伝説の天才ジョッキーと呼ばれた元騎手の福永洋一ふくながよういちさん、兄は人気騎手の福永祐一ゆういちさんという、競馬界の大スターがそろう家庭で育った。だが意外なことに、大人になるまで競馬を身近に感じたことはなかったという。
「父が落馬して大怪我おおけがを負って引退したのは、私が生まれてまもなくのことでした。それ以来、父はリハビリ生活を続けています。子ども時代はJRAの社宅で暮らしていましたが、家のなかに競馬に関連するものはなく、父の仕事やキャリアについて詳しく知らないまま成長しました」
 妃呂己さんが父親の現役時代のことを認識したのは、中学一年生くらいで、兄の祐一さんが騎手をめざしたいといい出したときだった。
「家族は大反対しましたが、兄は競馬学校に合格して寮に入るために実家を出ました。その後も競馬の世界のことは、詳しくわからないままだったのです」
 馬との接点は、むしろ獣医師の祖父の影響が強かった。動物好きだった妃呂己さんは中学三年の夏休みに、北海道でサラブレッドの育成牧場を営む祖父の知り合いのもとに一か月滞在して、馬たちの世話をした。
「ファームステイは、とても楽しくて貴重な体験でした。朝は馬房の掃除や食事の世話、昼間は放牧をして、夕方になると馬たちを集めて廐舎きゆうしやに戻す作業を毎日手伝いました。馬の特徴や魅力、かわいらしさ、豊かな心を持つ動物だということがわかったのです」
 その体験から、一度は獣医師をめざそうと考えた。だがその後、母と祖父、妃呂己さんの三人で父の介護を続けるなかで、人間の医療やリハビリへの興味が大きくなり、高校卒業後は専門学校で理学療法士になるための勉強をすると同時に、通信制の大学で社会福祉を学んだ。
「ホースセラピーに興味を持ったのは、理学療法士として就職した横浜の病院での研修がきっかけでした。障がい者乗馬の普及を進めるRDA Japan主催で、オーストラリアから専門講師を招いて開催されたものでした」
 妃呂己さんがもっとも興味深く感じたのは、馬に乗ることで想像していた以上に、骨格や筋肉が刺激を受けるという事実だった。馬の背にまたがって揺れていると骨盤の動きが自然に発生して、それは自力で立って歩いているときと似た状態になることもあるという。歩行が難しい人でも、馬と接することで普段は動かせない筋肉を動かすことができるのだ。バランス感覚や体幹を鍛えたり、こわばった筋肉を緩めてリラックスさせる効果があることもわかった。
 馬に乗るだけで、普段やっているリハビリと同じ効果が得られると知った妃呂己さんは「自分も是非やってみたい」と思った。休日にボランティアスタッフとして手伝いながら勉強することも考えたが、しかし就職したばかりで覚えることが多く、職場も忙しかったため同時進行は難しかった。
「まずは理学療法士としてのスキルを磨きながら、ホースセラピーに関する情報を集めようと思いました」
 馬の世界にグンと接近したのは、その三年後のことだった。突然祖父が亡くなり、実家に戻ることになったのだ。これまで家族だけでおこなってきた父親の介護を行政サービスにつなげる手続きを妃呂己さんが進める一方で、兄の祐一さんは栗東を拠点に騎手として注目を集める存在になっていた。
「そのとき兄は、バレットの仕事ができる人を探していました。バレットというのは、レースのときに重量に合ったくらを準備したり、着替えを揃えておくなど、騎手の身の回りの世話をする人のことです。プライベートに立ち入る要素が多く、誰にでもお願いできる仕事ではないということで、私が引き受けることになったのです」
 こうして、平日は病院勤務、週末は兄の祐一さんをサポートする生活がはじまった。妃呂己さんは、この体験が競馬のイメージを大きく変えたという。兄の祐一さんが生命をかけて騎手をやっていること、一緒に仕事をする関係者それぞれがプロフェッショナルとしてどれだけ真剣に取り組んでいるかを知ったのだ。同時に、父の洋一さんがいかに偉大な人であったかも理解できた。これによって、今まで妃呂己さんが抱いていた“競馬は危険な仕事”というネガティブ一色のイメージが払拭されたという。
 山本さんと結婚して、東京で生活するようになってからは、GIレースで騎乗する祐一さんを応援するため夫婦で競馬場に駆けつけたり、食事を共にしたりするなど、三人で家族の時間を過ごすようになっていた。


〈PONY KIDS事業部〉の責任者で理学療法士の山本妃呂己さん
提供:TCC Japan

 馬と地域を結ぶソーシャルビジネスを栗東でやりたい――。
 山本さん夫婦の相談に、祐一さんから提案されたのは福祉事業だった。馬と共に過ごせる場所でデイサービスなどを提供する福祉事業所の構想は、リハビリ生活を続ける父の洋一さんの存在が影響していたことはいうまでもなく、妃呂己さんがこれまで温め続けていたホースセラピーへの思いともピタリと重なった。
 同時に山本さんが耳にしたのは、引退競走馬に行き場がないという事実だった。実は、祐一さんをはじめ、この問題に心を痛めている騎手が少なくないこともわかった。
 引退した競走馬たちが、福祉事業所で活躍する――これこそ、山本さんが思い描いていたソーシャル・イノベーションビジネス=新しい社会的価値を創造して社会的ニーズや課題解決に結びつける事業だった。
 東京では子育てに専念していた妃呂己さんは、東日本大震災を機に栗東市に移住してまもなく、県立の自立支援センターで理学療法士として働きはじめた。福祉分野の仕事が未経験だった山本さんは、東京で事業整理を済ませて栗東に戻った後、デイサービスを提供する社会福祉事業所のスタッフとして経験を積みながら、新規事業の準備を進めることになった。
 だが引退競走馬へのアプローチは、山本さんが想像していた以上に難航した。
「競馬業界最大のタブーということもあり、部外者がコンタクトできる状態ではありませんでした」
 突破口は、祐一さんから紹介された角居さんだった。現役の調教師が引退競走馬を救う話などしたら、馬主から総スカンをらって仕事が無くなる可能性さえある――それが業界の常識と聞かされていた山本さんは、堂々と声をあげる角居さんに感銘を受けた。
 馬と馬業界について勉強したいと考えた山本さんは、福祉事業所で仕事をしながら、ホースコミュニティ設立と同時に事務局長としてリサーチを担当することになった。二〇一四年から開始した調査対象は、当時すでにホースセラピーを実施していた施設や乗馬クラブ、観光牧場、実績のある団体など四十数か所。山本さんは全国を飛び回り、実際に馬と接している人々の話をじっくりと聞いたのだ。
「わかってきたのは、乗馬クラブや牧場どうしは横のつながりが強固ではなく、そのため業界全体が情報不足に陥っているということでした。引退競走馬をセカンドキャリアにつなぐ話については、興味を持ってくれる人が多く『つないでくれる人がいればやりたい』という声が集まりました」
 このリサーチをきっかけに、ホースコミュニティとTCC Japanは複数の乗馬クラブや牧場と連携する体制をつくっていった。
 さらに山本さんと矢野さんは、プロジェクト実現に必要なことを整理するためミーティングを重ねていった。山本さんの調査に基づいたプランに、馬主協会で働いていた矢野さんが競馬業界のリアルな情報を加えていく。そこには数えきれない課題があったが、そのひとつは、多くの人に引退競走馬の支援活動を理解してもらう仕組みをつくることだった。
 そこで山本さんが考えたのは、引退競走馬と全国の馬好きをつなぐ支援コミュニティ事業「TCC FANS(現在の名称は、引退馬ファンクラブTCC)」だった。これは引退競走馬を救う方法について情報発信しながら会員を募り、一口馬主制度などで、誰でも気軽に馬たちを支援できる仕組みだ。
 一口馬主制度で預託料を確保した馬たちは、終生飼養しゆうせいしようを前提とし所有権はTCCのまま連携する乗馬クラブや牧場でセカンドキャリアを歩む。こうすれば、やがて高齢で働くことが難しくなっても生涯を支えていくことができる。支援する会員は、全国各地で暮らす馬たちのもとに出かけていき、触れ合いや乗馬などができるという内容だ。
 全国で五百万人といわれる競馬ファンのなかには、まだ引退競走馬の問題に気づいていない人、表立って口には出さないけれど引退競走馬に想いを寄せている人がいるはず。また競馬や乗馬の知識や経験にかかわらず、純粋な馬好きのなかにも「馬のために何かやりたい」「馬と触れ合いたい」という人は少なくない、と山本さんは考えたのだ。


改装した古民家を拠点にホースセラピー事業がスタートした
提供:TCC Japan

 一方、準備を進めていた福祉事業は、当初の予定から少し方向転換していた。山本さんと妃呂己さんが現場で働いてみて実感したのは、発達支援が必要な子どもたちへのサポートの重要性だった。
「勤務していた自立支援センターは、十八歳から六十歳が対象の施設でした。そこでは二十歳前後の若い人に接することも多かったのですが、共通して感じたのは社会生活や仕事をするために必要な準備やサポートが不足しているということでした」
 もっと早い段階から関わることができていたら……。そう感じることが何度もあった、という妃呂己さん。中学生時代のファームステイ経験から、子ども時代に馬の世話に関わることは、社会性を身に付けたり、相手への思いやり、誰かの役に立つ達成感など、人生に必要ないろいろなことが得られると実感していた。
「ホースセラピーを取り入れた支援プログラムを組み立てる際に、どんなことが必要なのか、効果があるのかなど、具体的にイメージすることができました。馬に乗るだけではなく、触れ合うことで心のケアや精神的な成長につながる体験が提供できると思ったのです」と妃呂己さんは説明する。
 これをもとに、山本さんは児童福祉サービス事業の構想を固めていった。ひとつは三歳から六歳を対象にした〈児童発達支援〉、もうひとつは六歳から十八歳対象の〈放課後等デイサービス〉の提供だ。これらは厚生労働省の補助対象にあたる福祉サービスで、発達支援などのサポートが必要と認められ、市町村が発行する受給者証があれば、行政が九割・利用者が一割の金額負担で利用することができる。このプランは社会的な必要性とともに、経営面でも早期に自立できる可能性があった。
 だがホースセラピーを実施する事業所用の土地の確保は、予想以上に難航したという。
「理由は、まさに馬でした。栗東に住む多くの人は、ホースセラピーどころか、乗馬についてもほとんど知りません。しかも、馬は危ない、臭い、汚いというネガティブなイメージが定着していました。ようやく市街地から離れた場所に古民家が見つかり、そこを改装して事業所にすることになったのですが、地元向けの説明会では罵声を浴びることもありました」
 山本さんは、苦笑いとともに当時の様子を語ってくれた。そこまで激しい反応が出る理由は何だったのだろう?
「ひとつは、一般市民とトレセンの人々との溝です。今はかなり変わりましたが、かつて競馬関係者は荒くて派手なやんちゃ者が多い、といわれていました。生活時間帯が違い、一般市民の地域活動に参加しにくいことも、隔たりを深くしていた理由のひとつだと思います」
 一九八〇年生まれの山本さんの子ども時代は、「トレセンの子と付き合うな」とはっきり口にする大人もいたという。一般市民にとって、馬はなんとなく怖い未知の動物で、そこにトレセンのイメージが重なってしまっていたのだ。
 しかも、多くの人にとって“知り合いの知り合い”までたどればトレセン関係者がいる。古民家に馬を連れてきて何かやる計画がある――そう聞けば「そんなことができるわけがない」「素人には無理」「危険」「糞尿ふんにようの処理はどうするのか」といった意見が出るばかりで、そこから「プロがダメだというのだから、ダメに決まっている」と結論付けてしまう人が多かった。“馬のまち”ゆえに、ゼロどころかマイナスからのスタートだったのだ。地元の空気を知る山本さんにとって予測の範疇はんちゆうだったとはいえ、罵声続きの説明会はさすがにこたえた。
 運命の出会いが訪れたのは、そんなときのことだった。


セラピーホースとして活躍中のポニーのライト(左)と一番星(右)
提供:TCC Japan

 知人に同行して訪れたのは、北海道のとある馬の競市せりいちだった。その一角にたたずんでいた馬は、真っ白な体に真っ黒なつぶらな瞳、グレーのたてがみはフワフワで、その間からはフカフカした毛に覆われた耳がのぞいていた。
 山本さんは、ビロードのような滑らかな白い首筋をでて、気づけばゴージャスな鬣に顔を埋めるように抱きついていた。
「かわいい! おまえ、めちゃカワイイな!」
 世の中に、こんなに愛らしい動物がいるのか。これまで犬も猫も馬もかわいいと思っていた山本さんだが、突き動かされるような気持ちは初めてだった。今すぐ連れて帰りたい……! これが一目れというものなのだろうか?
 美しい小ぶりなその馬は、一番星という名のポニーだった。名前を聞いて、山本さんはさらに縁を感じた。
「このプロジェクトの行き先を照らし、先導してくれる存在があらわれた! そう思いました」
 準備中の福祉施設は、引退したサラブレッドをセカンドキャリアで活躍させる場所にする予定だった。しかし、まずは限られたスペースでも飼育可能で、子どもたちに威圧感を与えにくいポニーと共に、新しい仕事をスタートさせようと考えていたところだったのだ。
 だがこのときは事業所の土地についても交渉中で、飼育スペースも確保できていなかった。慌てて乗馬クラブを経営する友人に連絡して、一番星を一時的に預かってもらうことになった。
「これまで綿密に準備をしてきたのに、まさか自分が馬を衝動買いするとは思ってもいませんでした。それでも、早く一番星を迎えに行かなければ! という気持ちが強まり、おかげでプロジェクトの進行をスピードアップさせることができました」
 二〇一五年九月、山本さんは、児童福祉事業〈PONY KIDS〉をスタートさせた。セラピーホースとして活躍するのは、一番星とライトという名前のポニーたちだ。古民家を改修した事業所は交通不便な立地だったが、それでも利用者は順調に集まった。保護者や学校、そして子どもたち自身に、馬と地域社会を結ぶ新しいビジネスが受け入れられたのだ。
 しかし、引退競走馬支援プロジェクト実現のためには、もうひとつ絶対に欠かせない課題があった。それはリトレーニング(再調教)をする体制を整えることだ。現役の競走馬たちは、生まれたときからこれまで騎手を乗せて、ひたすら前に向かって速く走ることだけを目的にしたトレーニングを積んできた。これはアスリートとして生きるためのもので、そのままでは人間社会で共存することは難しい。サラブレッドたちがセカンドキャリアで活躍するには、心身ともに疲れを癒し、乗馬やホースセラピーの世界で必要なことを身に付ける必要があるのだ。
 そのためにはリトレーニング技術を持つ人材、場所、飼育費用、人件費などがなければ成り立たない。前例のないプロジェクトゆえにリトレーニング技術が確立されているわけではなく、山本さん、そして一流の調教師の角居さんにとってもこの点は手探り状態だった。
 この問題をクリアしないかぎり、引退競走馬支援活動を広げることは不可能だ。だが妙案もなく、しばらく時間ばかりが過ぎていった。
 ある人物から面会の申し込みがあったのは、そんなときのことだった。当時の状況について「かもがネギを背負ってやってきたようなもの」と説明する角居さんによると、どうやら降って湧いたような話らしい。
 鴨はどこからやってきたのか、そして背負ってきたネギの正体は何だったのだろう。

(つづく)

片野ゆか

かたの・ゆか●ノンフィクション作家。
1966年東京都生まれ。2005年『愛犬王 平岩米吉伝』で第12回小学館ノンフィクション大賞受賞。著書に『ポチのひみつ』『北里大学獣医学部 犬部!』『ゼロ! 熊本市動物愛護センター10年の闘い』『動物翻訳家 心の声をキャッチする、飼育員のリアルストーリー』『平成犬バカ編集部』『竜之介先生、走る! 熊本地震で人とペットを救った動物病院』『着物の国のはてな』等多数。

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