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『セカンドキャリア ――引退競走馬をめぐる旅』
片野ゆか
第5回 手柄はすべて馬のもの

[連載]

第5回 手柄はすべて馬のもの

 引退した競走馬を深追いしてはいけない――。
 競馬の世界で長らくタブー視されていたこの問題について、あえて業界内部から積極的に声をあげるJRA(日本中央競馬会)調教師(二〇二〇年一月当時)の角居勝彦すみいかつひこさんが、一般財団法人ホースコミュニティを設立したのは二〇一三年十二月のことだった。以来、寝る間も惜しんで引退競走馬をセカンドキャリアにつなぐプロジェクトの拡大に向けて、精力的な活動を続けている。
 その原動力について「自分がここまでやってこられたのは、すべて馬のおかげ。彼らに恩返しがしたいんです」と語る角居さんの経歴は、とにかくきらびやかだ。調教師免許を取得して、廐舎きゆうしやを開業したのは二〇〇一年。その翌年には重賞競走初勝利をして二〇〇五年、二〇〇八年、二〇一〇年には最多賞金獲得調教師賞、二〇一一年には初めて最多勝利調教師賞を獲得している。翌年も同賞を得て、二〇一三年は最多勝利調教師賞と最多賞金獲得調教師賞をダブルで獲得、二〇一四年は最多賞金獲得調教師賞と優秀技術調教師賞に輝いている。
 比喩ではなく、これまで勝ち組人生を走り続けてきたわけだ。しかし、意外なことに、この世界に入るまで競馬や乗馬との関わりはゼロだったという。
「実家は金沢で、馬はもちろん動物とは無縁の家庭でした。若い頃によくある故郷を離れて別の世界を見たいという思いから、雄大な北の大地と馬へのふんわりとした憧れを抱いていました」と聞くと、すべて馬のおかげという表現もあながち大袈裟おおげさではないのかもしれない。
 競馬場にも行ったことがなかったという角居さんが、どのようにして競馬界のレジェンドと呼ばれるまでになったのか? まずは、そこからいてみることにした。


セカンドキャリアを歩むことになった元競走馬アンジュドゥロールと親しむ角居勝彦さん 提供:ホースコミュニティ

 スタートは、大学受験の失敗だったという。馬について学びたいと思った角居さんは、帯広おびひろ畜産大学を受験するが残念ながら不合格となり、同時に馬業界への就職を決意したのだ。
「親父は優しくて、なんとかツテを頼って北海道の牧場を就職先として探してきてくれたのです。そこはサラブレッドの生産と育成の両方をしているところでした」
 牧場の仕事は、住み込みで三百六十五日・二十四時間休みなしともいえる、気が抜けないとにかくハードな日々だった。新しく覚えることも多く、角居さんは、馬に関する本をたくさん買ってきて片っ端から読み込んだ。
 育成の仕事には、乗馬技術も欠かせなかった。牧場で働くスタッフの多くは、大学の馬術部や獣医畜産系大学の出身者、育成牧場の跡取りなどで、馬の経験ゼロの角居さんのような存在はめずらしかった。
「最初はまわりから、若いのだからとにかくやってみろ! 乗ってみろ! 落ちるな! と励まされながら自己流で練習しました。当時、専務の弟さんが日本大学馬術部のキャプテンで“こうやったらいいよ”と親切に教えてくれて、とても助かりました」
 体力的にキツイ仕事なので人の出入りは激しかったが、業界への先入観がなかった角居さんは「こんなものなのだろう」と素直に受け入れていたという。体力的にはハードとはいえ、馬たちを大切に世話して育てる充実感や喜びは大きかった。
 だがある日、事件がおこった。
「将来を期待される、とても良い馬がいました。しかし、放牧中に穴に足を取られたのか、夕方になって後肢あとあしをブラブラさせて帰ってきたんです。すぐに獣医師が診察したところ、すねを骨折していることがわかり、そのまま安楽死処分になってしまいました」
 競走馬は、骨折で生命を絶たれる動物なのか……! 突然、主を失った馬房を見て、角居さんは自分の胸に大穴が空いたような感覚に陥った。年齢的に死に直面した経験が少なかったこともあり、今まであたりまえのように目の前で生きて動いていたものが、突然いなくなる衝撃はあまりに大きかった。
 さらにショックだったのは、サラブレッドの出産時の事故が多いことだった。放牧中に流産してしまったり、お産の際に母子いずれか、あるいは両方が死亡してしまうこともあった。
「肢が曲がっていたり、目が無かったり……育てることができない馬もいました。健康体で生まれ育っていくことが、あたりまえでないことを思い知ったのです。競馬で戦う馬というのは、こうした経緯を経て育てあげられた特別な存在だということがわかりました」
 この職場は、生き物の生死と密接に関わっている。事実を知った角居さんは、馬たちの世話により熱心に取り組むようになった。一方で、次第にわかってきたのは、丹精込めて育てた馬たちの多くが心ない言葉にさらされているという事実だった。
 あの馬は、頭がオカシイ――競馬業界の人々が、そう口にするのを頻繁に耳にした。しかも、理由は常に曖昧だった。馬がそうした行動をとるのは、調教によるストレスのためなのか、しつけや気性に問題があるのか、それは生産者側が悪いのか、そもそもどのような状況なのか……? 詳しく説明されることは一度も無かった。しかし競馬場で働く人々は、いつも躊躇ちゆうちよなくその言葉を口にした。
「僕らが大切に育てた馬を“悪い”という人々の世界は、どうなっているのだろう、彼らはどのように馬を取り扱っているのだろう? そんな疑問から、競馬業界を自分の目で見てみたいという気持ちが大きくなっていきました」
 角居さんにとって、大きな転機になったのはジャパンカップの観戦だった。一着賞金三億円という現在の国内最高峰を誇るGⅠレースは、一九八一年にJRAが創設した日本初の国際招待競走で、このときは初開催から三、 四年目を迎えたところだった。
 世界を舞台に戦う馬とは、どんなサラブレッドなのだろう? 興味津々の角居さんは、レースが始まる以前に度肝を抜かれてしまった。
「当時の日本の競馬業界は今よりずっと泥臭いイメージが強く、荒ぶる馬を怖そうなおじさんが“おら!”などといいながら引いて、そういう馬が勝つと信じられていました。でもジャパンカップは、まったくの別世界でした。パドックで馬を引くのは、美しいドレスやスーツに身を包んだハイヒールの女性たちで、馬たちの振る舞いも穏やかでスマートでした。しかも、レースでは、そういう馬たちがぶっちぎりで勝っていく。同じ競馬で、なぜこうも違うのか? この世界は何なんだ!? と本当に驚かされました」
 角居さんはJRAへの転職を決意した。ちょうどこの頃、馬について体系的に学ぶことができる環境が整いつつあったことも魅力だった。それまでの競馬学校は騎手課程のみだったが、これからは世界に通用する馬づくりができる人材を育てる教育機関が必要という考え方が、業界に浸透しはじめたタイミングとも重なっていたのだ。
 もともと馬について大学で勉強したいと思っていた角居さんにとって、競馬学校の日々は予想以上に面白く充実していた。
「今も昔も、馬について教えられる人材は限られますが、学校では業界トップの先生に習うことができます。栄養学や獣医学、騎乗技術などを通じて、これまで牧場で接してきた馬たちが、ようやく科学的に理解できました」
 特に印象的だったのは、馬の身体構造に関する授業だった。人が乗ることを許してくれる動物は、馬のほか象やラクダなどさして多くないが、なかでも前肢に近い場所に乗ることができるのは馬だけだという。前肢付近は揺れが少ないうえ、人間がまたがる際の安定感も抜群にいい。一方、象やラクダは後肢の近くに乗らなければならないため揺れ方は激しい。サラブレッドは人間が改良を重ねた品種だが、この特徴は野生馬についても同じと角居さんは説明する。
「骨格的なことについて詳しく学ぶほどに、いかに人間が乗るのに適した動物なのかがわかりました。奇跡といっても大袈裟ではない、神様がそのようにつくったとしか思えない身体構造なのです」
 当時の競馬学校の全課程四か月を修了して卒業した角居さんは、栗東りつとうトレーニングセンターで廐務員として働き、数年後には調教助手試験に合格した。牧場時代に数えきれないほどの落馬を経て、調教の仕事に携われるまでになったのは「馬の身体からだを科学的に理解できたから」だという。
 念願だった調教現場の仕事は順調で、四年目で担当した馬の勝利によって経済的にも恵まれた。だが担当馬の引退後は、成功体験にとらわれすぎて結果が出せないまま、一時はウインドサーフィンや釣り、スキーなどに明け暮れたこともあった。だが三十歳のとき、同年齢の従兄弟いとこの訃報で目が覚めた。優秀なテレビマンとして志なかばだった彼の無念を思うと、迷走する自分が恥ずかしくなった。
 調教師をめざそうと思ったのは、心機一転で移籍した廐舎の松田国英まつだくにひで調教師に背中を押されたからだった。
「調教師免許試験は、合格率わずか数パーセントの狭き門です。北海道の牧場で働いていたとき、そこを訪れる調教師は誰からも先生と呼ばれ、まるで神様のようにあがめられていました。自分がなれるとはとても想像できませんでしたし、まわりからも簡単じゃないぞと何度もいわれました」
 それでも廐舎のボスは「受けてみろ」と勧めてくれた。
 合格までの三年間は、人生で一番勉強した。調教助手の仕事をしながらなので、平均睡眠時間は一日に三、 四時間だ。モチベーションを保てたのは、松田廐舎のメソッドに魅力を感じたからだった。松田調教師は、現在の競馬業界でも少数派といわれるチーム制で仕事をするスタイルを早々に取り入れて、情報の一元化やマニュアル化、ミーティングの実施など革新的な運営方法を実践していた。この方法を競馬業界に広めたい、馬それぞれの個性や適性を引き出すベストな調教を実現させたい――その想いが、角居さんを合格へと導いた。
 ところで競馬業界をめざすきっかけになった疑問――手塩にかけて育てた馬をなぜ悪くいうのか、についてはどのように解明されたのだろうか。
「競走馬の使命は、勝つことです。速く走るためにハイカロリーの餌を食べ、負けん気の強い馬どうしが競いあってトレーニングを重ね、身体能力や闘争本能を磨きあげていきます。生産牧場でも気性の強い馬をつくることが重視され、その結果レース以外の場面で扱いが難しくなることも多くなります。そういう馬を競馬業界では“うるさい馬”というのですが、牧場時代に馬を悪くいわれていると感じたことは、この世界の正解だったのだということもわかってきました」
 競馬はブラッドスポーツと呼ばれるように、速く走るとわかれば、扱いが難しいといわれる気性の強い牡馬ぼば牝馬ひんばを選んで交配させることもいとわない。こうして生まれた馬に厳しい調教をすることによって、人間に対して攻撃的になることもめずらしくないという。
 それを踏まえて角居さんが気づいたのは、“そういうもの”として片付けないことの重要性だった。
「馬も嫌なことが重なれば、当然ながらストレスを受けます。イライラしたり攻撃的な態度を示す理由は何なのか、どこかが痛いのか、苦しいのか、満足できない何かがあるのか、常に考えながら接していました」
 あの馬たちとどこが違うのだろう――心のなかには、常にジャパンカップで見たドレスの女性が引く馬たちの姿があった。
「キャリアを重ねるうちに、馬の気持ちに近づけたのかもしれないと思うこともありますが、相手が動物である限り正解は得られないし、勝手な擬人化も許されません。悩みながら、答えのないまま進み続ける……それが、調教の仕事なのです」


角居さん(手前)が差し出すニンジンを美味しそうに食べるGI馬サートゥルナーリア 提供:ホースコミュニティ

 角居廐舎がチーム制で仕事を進めるのは、日々考えをめぐらせながら馬たちにとって可能な限りベストの状況に近づけていくためだという。だが現在も多くの廐舎では廐務員一名に馬二頭という担当制が採用されている。同じ廐舎に所属していても、各々が独自の手法で仕事をする職人集団というムードが強いという。
「廐舎で働くのはベテランから新人、腕利きなど、それぞれの力量はバラバラで、長く働いても馬の扱いがなかなか上手うまくならない人もいます。馬の心身の状態や必要なことを見極めなければならないとき、担当者の能力によって誤差が生じたり、対応方法についてアイデアがなくなったとき、犠牲になるのは馬なのです」
 この業界では、競走馬について「あたり」「はずれ」という表現で評価することが少なくないという。それについても角居さんは、大きな問題意識を抱いている。馬の素質や気質、健康状態を本当に理解したものではなく、担当廐務員の力量に応じて評価が変わる可能性が否めないからだ。
「馬にとっては、ここだけが生きる世界なんです。馬房ひとつ隔てて『隣はいいな。気持ちを理解してくれるし、ごはんも好みを考えて美味おいしいものをもらえる。それにひきかえ自分は怒られてばかり。食事の内容も分量も全然満足できない……』というような、担当者による扱いの差がおこる状況は、絶対に避けなければいけないと思っています」
 このスタンスは、病気や怪我けがを見落とさないことにもつながるという。
 栗東トレーニングセンターの角居廐舎を見学したときに耳にした“馬には、母親が子どもを世話するような気持ちで接するように、といわれている”というスタッフの言葉の真意をより鮮明に感じることができた。
 とはいえ相手は、人間の何倍もの体重を持つ動物だ。もともと気性の強い血統を交配させた個体が多いので、隙を見せると危険を伴うこともある。それを回避するためにも、ビシッとした態度で対峙たいじすることも大切と角居さんはいう。具体的にどういうことなのか訊くと「馬から見て逃げ腰にならず、馬が動いても基本的に体幹軸をずらさないこと」というから、なんだか武術のようだ。
「一番シンプルで安全な方法は、複数の人間で対応することです。それは集団で威嚇するという意味ではなく、ひとりが動きを制御している間に他の二人がくらを付けたり、足を上げさせたりするということです。馬の方も暴れても意味がない、と理解します」
 なるほど、こうした点からもチーム制は有効なのだ。
 そのとき、私はふと気づいた。これはアニマルウェルフェアの話だ。競馬そのものが動物福祉に反しているという指摘もあるけれど、限られた条件のなかでも動物がなるべく快適に過ごせるように、生態や個性にマッチした環境を可能な限り整えようという考えは、産業界・経済界でも重要事項として浸透しつつある。角居廐舎で実践されているやり方は、おそらく競馬業界で結果を出すこととアニマルウェルフェアを両立させるひとつの方法なのだ。
 とはいえ勝負の世界で、すべての馬を勝たせることは難しい。引退競走馬支援について本格的に考えはじめたのは、角居さんが調教師として成績を出しはじめた開業七、 八年くらいの頃だという。


名古屋競馬場で開催されたイベントで。若手ジョッキーと共に引退競走馬支援の重要性を訴える角居さん(右) 提供:ホースコミュニティ

「問題意識を持ったのは、調教助手時代です。中央競馬では三歳の夏までに一勝もできなければ、この場を去るしかない。地方競馬や乗馬につながるのはごく一部で、多くは殺処分です。現役競走馬用の馬運車ばうんしやは、馬が進行方向を向く縦積みなのですが、引退馬は横積みで輸送されます。馬たちはいつもと違う状況に激しく動揺しますし、毎日世話をした我々もたまらない気持ちになります」
 この思いを言葉にしてはいけない――頭ではわかっていても、角居さんは常に葛藤していた。自分の不手際で勝てなかったのか、調教を間違えたのか……? 数えきれない自問自答からやがて、上手く走らせることができなかった馬に、もう一度チャンスを与える方法はないかと考えるようになった。
 引退競走馬の問題について、競馬界の最大組織であるJRAの責任は大きい。角居さんは調教師として立場が上がるとともに、組織として馬の福祉を考える必要性について質問や提言をしたこともあった。だが二〇一〇年当時、JRAの反応はかんばしくなかった。その理由について角居さんは、JRAがかつて引退競走馬に対する助成事業を展開したものの、残念な結果に終わってしまったことと関係していたのではないか、と推測している。
 ちなみに民間組織としては、このときすでに引退競走馬の支援や保護活動をする団体が複数存在していた。国内でもっとも活動歴が長い認定NPO法人引退馬協会は、千葉県香取かとり市を拠点に代表理事の沼田恭子ぬまたきようこ氏が一九九七年に前身のイグレット軽種馬フォスターペアレントの会を設立して以来、二〇二二年現在まで、四半世紀にわたり活動を継続・拡大している。引退馬という言葉そのものが一般的ではなかった時代から、引退した馬たちが終生安心して暮らせる仕組みをつくるために孤軍奮闘を続けてきた歴史を持つ。
 こうした活動は、すべて競馬業界の外側でおこなわれてきた。各団体が独自に支援・保護活動を展開しているため、巨大な競馬業界を動かすほどのムーブメントにはつながりにくい。
 角居さんが考えたのは、競馬業界の内側から引退競走馬の存在や魅力について発信することの重要性だった。特にきつけられたのは、ホースセラピーの存在だ。これは馬を介して、不登校や引きこもり、ハンディキャップなど何らかのサポートが必要な子どもたちを支援する活動だ。引退競走馬のセカンドキャリアは、従来は乗用馬への転用くらいしかなかっただけに、これからの社会で広く求められる仕事として大きな可能性を感じたのだ。
〈第一回サンクスホースデイズ〉を開催したのは、二〇一一年十月で、場所は兵庫県内の総合馬事施設三木みきホースランドパークだった。
 人が馬に感謝するというテーマを軸に、馬術の実演や乗馬体験のほか、当時まだあまり知られていなかった障がい者馬術やホースセラピーについて紹介するイベントだ。当日は、子どもから高齢者まで、幅広い年代の来場者でにぎわった。メイン会場では、角居さんをはじめ現役人気騎手や馬術競技のオリンピック代表選手、元プロ野球選手など、業界内外の著名人によるチャリティーオークションがおこなわれ、立ち見が出るほどの大盛況だった。さらに二〇一二年八月には、馬産地として有名な北海道浦河町うらかわちようで第三回を二日間にわたって開催して、こちらも大成功だった。


〈サンクスホースデイズ〉で実施している体験乗馬。初めての乗馬に笑顔になる子どもを自らサポートする角居さん 提供:ホースコミュニティ

 しかし、角居さんにとって新たな課題も浮上した。
 イベントの開催費用は各地の馬主から募ったもので、引退競走馬に対する関心の高さやその潜在性について実感することができた。だがイベント開催を継続的な活動につなげることは難しい。引退競走馬支援活動を広げるためには、馬たちをセカンドキャリアにつなぐ仕組みをつくり、それを運営する専門組織が必要だということを痛感したという。
 こうして角居さんは、二〇一三年十二月に一般財団法人ホースコミュニティを設立した。その翌年から早速、開始したのは、全国各地でホースセラピーを実施している組織を対象にしたリサーチ作業だった。
「若くして引退する馬たちを救うためには、馬自身が稼げる環境づくりが不可欠です。引退競走馬をホースセラピーの現場につなげるためには、何が必要なのか、まずはプランづくりの土台になる調査を実施しました」
 調査対象にしたのはこの当時、継続的にホースセラピーを実施していた全国の組織や団体、グループなど四十数か所だった。セラピーの規模や頻度をはじめ、実施にあたり上手くいっていること、困っていること、組織の運営者やそこで働くスタッフにとっての課題や悩み、馬業界への要望、苦情など、あらゆる質問を重ねることによって、競馬業界にいる自分たちに何ができるのかを考えていくことにしたのだ。
 レースでは勝てなかったサラブレッドたちが、セカンドキャリアでは福祉や医療の現場でセラピーホースとして活躍する――これまで誰も考えたことがなかった、引退競走馬を救う新しい仕組みがつくられようとしていた。

(つづく)

片野ゆか

かたの・ゆか●ノンフィクション作家。
1966年東京都生まれ。2005年『愛犬王 平岩米吉伝』で第12回小学館ノンフィクション大賞受賞。著書に『ポチのひみつ』『北里大学獣医学部 犬部!』『ゼロ! 熊本市動物愛護センター10年の闘い』『動物翻訳家 心の声をキャッチする、飼育員のリアルストーリー』『平成犬バカ編集部』『竜之介先生、走る! 熊本地震で人とペットを救った動物病院』『着物の国のはてな』等多数。

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