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新連載 『セカンドキャリア』
――引退競走馬をめぐる旅
片野ゆか
第1回 突然だが、馬主になった。

[新連載]

第1回 突然だが、馬主になった。

「それでは皆さんに、デモンストレーションのモデルを紹介します」
 女性講師の声をきっかけに、参加者の視線は柵の脇に立つサラブレッドに集まった。
 全身を包む赤茶の体毛は、筋肉の隆起に沿ってシットリとした艶を放っている。額には同色のたてがみがサラリとかかり、その斜め上には先の尖った耳がピョコリと立っている。眉間みけんにはミルクをひと垂らししたような模様があり、それが鼻先に向かってまるで極細筆の余韻を味わうように伸びている。こちらに向けられた丸く真っ黒な瞳は、好奇心に満ちて輝いていた。
 か、かわいい……! 声にこそ出さなかったが、私は脳内にキラキラとした物質が舞い上がるのを感じた。
 サラブレッドをこれほど至近距離で見るのは、生まれて初めてのことだった。あと数歩で手が届くところに、圧倒的な存在感の美しくて愛らしい動物がいる。非日常といっても大げさではない状況に、気分は益々ますます高揚した。
 程度の差はあるものの、どうやらそれは私に限ったことではないようで、集まった人々のあいだに華やいだ空気が広がっていった。
 馬の名前はラッキーハンター。八歳のおすで、かつてJRA(日本中央競馬会)が開催するレースで走っていた元競走馬だ。現在の本業は、ハンディキャップを持つ子どもたちの支援プログラムで活躍するセラピーホースだという。
「ラッキーは、とても大らかな性格のお馬さんです。だから今日のように人が集まる場所でも、落ち着いてモデルを務めてくれると思います」
 名前が呼ばれると顔の位置はそのままに、ラッキーハンターの片方の耳がクルリと動いた。さらに反対側の耳も少しずつ角度を変えていて、どうやら馬は左右の耳を別々に動かしながら周囲の状況を確認する生き物らしい。でも緊張している様子はなくて、やがて集まった人々に自分から首を伸ばして「誰?」「どこから来たの?」と語りかけているようにも見えた。
 馬のことが知りたい!
 そう思うようになったのは二〇一九年の初夏、インターネットで見つけたある記事がきっかけだった。
 日本初、引退競走馬とふれあえるコミュニティ施設がオープン―それは滋賀県栗東りつとう市にある施設によるプロジェクトを紹介するもので、記事には知られざる競馬界の事実が書かれていた。


癒しオーラが半端ない、元競走馬のラッキーハンター 提供:筆者

 現在この国では、年間に約七千頭の競走馬が誕生している。だがその一方で約五千頭が引退して、その多くは行き場がなく行方不明になっているというのだ。読んだ瞬間、言葉を失った。これまで競走馬のその後について耳にしたことがないわけではなかったが、想像を絶する大量生産・大量消費だ。
 行方不明という言葉も、インパクト絶大で見逃せなかった。体重四百~五百キロもある大動物が、手がかりもなく影も形もなくなってしまうなんて、一体どういうことなのだろう。かろうじて想像できたのは、そこにはとんでもなく深い闇があるということだった。
 でも、それ以上に驚いたことがあった。
 引退競走馬を救済するプロジェクトによって、すでに複数の馬たちが適性に応じたセカンドキャリア、つまり第二の馬生をおくっているというのだ。その施設はTCCセラピーパークという名称で、JRAに所属する調教師や騎手、乗馬クラブのオーナーなど馬業界の人々と連携しながら実績を重ねているという。
 引退した競走馬を救う方法があるんだ!
 それは、私がこれまで想像したこともない嬉しい発見だった。
 これまで二十五年以上、私は愛犬と生活を共にしながら、ペット動物や動物園で暮らす動物と人間の関わりをテーマにしたノンフィクションを書いてきた。あらゆる生き物が好きで、そのなかにはもちろん馬も入っている。というよりも、個人ランキングの上位に食い込んでいるといってもいい。
 でも馬は、常に遠い存在だった。
 主な理由のひとつは競馬の存在だ。疾走する馬は美しくてかわいいと思うし、著名な騎手が人馬一体について語るインタビュー記事に引き込まれることもあった。しかし、ギャンブルに興味が持てないうえ、動物関連の情報が入りやすい環境に身を置いていると、競走馬たちが比喩ではなく“生命をかけて走らされている”ことがハッキリとわかってきて、なおさら直視できない気持ちになった。
 人間と動物の関係は、とかく矛盾に満ちている。しかし、ここ数年でアニマルウェルフェア(動物福祉)の概念が浸透して、今や日本でも無視できない状況だ。これはえや渇き、不衛生な環境、恐怖や抑圧に苦しむことなく、動物の習性に合った行動がとれるなど、科学的な視点や数値を基準につくられた世界共通事項だ。
 対象はペット動物や動物園の動物、そして畜産業で扱う産業動物(あるいは経済動物)も例外ではない。生産から屠畜とちくに至るすべての過程で、動物に不要なストレスをかけることは、欧米をはじめとした諸国で法律で厳しく禁じられ、その影響は日本の産業界にも及んでいる。今はまだ一部で新しい基準が段階的に導入されている状況だが、なかにはアニマルウェルフェアを重視した方法が食の安全や美味しさの評価につながり、経済的自立を果たす若い畜産業者もいる。
 でも競馬は興行、つまりエンターテインメントだ。
 天皇賞や日本ダービー、有馬記念など有名なレースが開催されれば、テレビや新聞で華やかなニュースとして報道される。サラブレッドたちは、ブラッドスポーツと呼ばれる世界で活躍するために生まれてきた、いわばアスリートなのだ。しかし、実際は多くの馬たちが、我々の窺い知れない場所へと送り出されている。
 それだけに引退競走馬を救済するプロジェクトは、私が初めて馬の世界に向きあえるきっかけといってもよかった。業界で長らくタブーとされてきた問題の改善について、複数の著名な競馬関係者が名を連ねている点にも骨太な印象を受けた。旧態支持者が大多数と想像できる世界だけに、キャリアへの影響を考えると内側から声をあげることは相当な覚悟が必要なはずだ。
 今、馬の世界では、これまでにない新しい価値観ができつつあるのかもしれない――。
 それは、かつて私がペット動物の世界に感じたことに似ていた。
 今から約二十年前、犬や猫の殺処分は絶対になくならないといわれていた。保健所や各地の動物愛護センターに持ち込まれるのは、無責任な飼い主によって行き場を失った動物たちで、それは住民の不用物を引き取る行政サービスのひとつだったからだ。
 しかし、それも少しずつ変化していった。
 犬猫の殺処分問題と直結している動物愛護法が改正され、動物を保護して新しい飼い主を探すことが行政業務のひとつになったのだ。熊本市動物愛護センターが、日本で初めて犬の殺処分ほぼゼロを達成したのは二〇〇九年のこと。不可能を可能にした快挙には、地元の動物ボランティアの存在が不可欠で、官民の協働事業の好例としても注目された。
 さらに保護動物の存在が広く知られるようになったのは、東日本大震災の発生がきっかけだった。被災した犬や猫のために何かしたいと考えた人々から、政府関連の動物救援組織に七億二千万円以上の義援金が集まったのだ。
 それ以降、保護犬や保護猫、譲渡会、不妊去勢手術といった言葉が、新聞やテレビで注釈なしに使われるようになり、情報番組やドキュメンタリー番組のテーマになることもめずらしくなくなった。
 環境省の統計では、平成元年の犬猫の殺処分は年間で約百万、二十年前は約五十万の犬猫が殺処分されていた。それが現在では三万程で、犬についていえば二十年前の五十分の一程になっている。
 今もペット業界のすべての問題が解決されたわけではないし、新しい問題も発生している。とはいえ世界は大きく変わったのだ。
 馬の世界とペット動物では、事情が大きく違うことも想像できる。しかし、継続可能な支援方法が提示され、それがたくさんの人に知られるようになれば、かならず世の中は変化していく。
 そう気づいたら、馬ワールドに俄然興味がわいてきた。でも同時に、はたと気がついた。
 私、馬について何も知らない……。
 彼らは日々、どんなことを考えて暮らしているのだろう。そもそも走ることが好きなのか、背中に人なんか乗せて嫌ではないのか、好物は本当にニンジンなのか、どんなときに心休まるのか、一晩中立って眠っているのか、そして彼らはどんな世界観のなかで生きているのだろう?


引退競走馬専用シェルターを持つTCCセラピーパーク 提供:筆者

 なにはともあれ、まずは馬に会ってみなければ始まらないと思った。
 競馬場はさすがに抵抗感が強いので、ひとまず思いつくのは乗馬クラブや牧場だ。でも馬に乗りたいわけではないのに、乗馬クラブを訪ねるのはあきらかに迷惑だ。観光牧場や観光ファームの名称がつくところも、個人的な質問をいくつもする場所ではないような気がする。私は、馬とふれあいながら、馬が好きな人々とあれこれ話がしたいのだ。しかし探せば探すほどに、そうした場所がないことがわかってきた。
 そんなときTCCセラピーパークの公式サイトに、セミナー開催の告知がアップされていることに気がついた。タイトルは「第1回TCCアカデミー開催のお知らせ・ホーステーピング入門講座&交流会パーティー」だった。
 ホーステーピングというのは聞き慣れない言葉だけれど、開催説明によると、人間のアスリートも使用しているキネシオテーピングの技術を馬の健康維持や怪我などのケアに応用したものらしい。動物にテーピングを使うなんて、これまで考えたこともなかった。馬ワールドは想像以上に奥深い。
 馬の知識ゼロの私がいきなり参加するのは無謀なような気もしたが、「誰でも参加可能」の一文もあるし、馬のケアをテーマにした内容が心温まる。現地に行けばかわいい馬たちにも会えるはずだ。
 そうして九月半ばの週末の朝、私は新幹線に飛び乗った。東京から京都まで行き、そこからJR琵琶湖線・草津線に四十分ほど揺られて石部駅で下車。駅からタクシーで緑豊かなエリアを十分ほど走ると、目前にリゾートムード溢れる施設があらわれた。
 この春に完成したばかりというTCCセラピーパークの施設は、ハイセンスつ温かみのあるデザインで、ガラス張りのロビーの先には、ナチュラルな木製の柵に囲まれた馬場が広がっていた。その左奥には、馬たちが暮らしている廐舎きゆうしやとかわいい屋根が付いた丸い馬場がある。想像以上に開放的で清々すがすがしいムードに溢れていて、初めての馬ワールドに少々気合いが入っていたのが、気づくと完全に肩の力が抜けていた。
 ホーステーピング入門講座は大盛況で、会場には定員の四十名を少し超えた人数が集まっている印象だった。講師の青野菜名あおのななさんは、一般社団法人キネシオテーピング協会認定のインストラクターで、ホーステーピングの技術を使って競馬や乗馬クラブなどで活躍する馬たちの体調管理やケアをしているという。
「テーピングというとガチガチに固定するイメージがありますが、ホーステーピングの特徴は引っ張らずに貼ることです。体の動きに応じて、テープにたくさん皺が寄るほど効果が高まります」
 青野さんは、キネシオテープで皮膚を引き上げることによって、皮膚と筋肉の間にある筋膜と呼ばれる組織層に隙間を作り、それによってダメージを回復させる効果があると説明した。レースやトレーニングによって疲労すると、組織層が潰れるため筋肉の疲労回復が遅れて怪我をしやすくなり、治療にも時間がかかってしまう。テープを貼って動くと常に緩くマッサージしている状態になり、疲労を蓄積することなくトレーニングができるという。痛みが緩和される効果もあるので、怪我の治療中でも適度な運動を続けることが可能で、これなら完全休養による筋肉の大幅減退も防げる。リハビリに時間がかかることもない。この原理は、基本的に人間のアスリートも同じだという。
 こうした座学を終え、デモンストレーションのモデルとして登場したのが引退競走馬のラッキーハンターだった。
「背中や腰に痛みや疲れが出ている馬は、たいてい首の筋肉も張っているんです。それを緩和するために、まずはここにテープを貼ります」
 青野さんは、ウエストバッグから取り出したロールタイプの黄色のキネシオテープを三十センチくらい引き出した。それを首の筋肉に沿って、テンションをかけないように貼っていく。ラッキーハンターは穏やかな表情のままで、なんだか気持ちよさそうだ。聞けば競走馬を引退した当時は、怪我や慢性的な疲労により満身創痍の状態だったという。そこにホーステーピングを取り入れたところ、痛みや苦痛が軽減したのかやがて嬉しそうに歩いたり、走ったりすることが増えていったという。
「へえ、そんなに効果があるんだ」
「ラッキー、元気になって良かったね」
 講習会はすっかりなごやかなムードに包まれ、感想を口にしたり、ラッキーハンターに話しかける参加者もいる。大切にされている動物と接していると、なぜこんなにも幸せな気持ちになるのだろう。やはりここに来て良かった。


筋肉疲労や身体の痛みを緩和する効果のあるホーステーピング 提供:筆者

 引退した競走馬を救うには、具体的にどんなことが必要なのだろう。講習会の後、この施設を運営するTCCJapan代表の山本高之やまもとたかゆきさんに話を聞いた。
「競馬の世界では、二~三歳と若くして引退するケースがめずらしくありません。しかも馬の寿命は、三十年以上とかなり長い。引退競走馬支援には、長期的なマネジメントが必要です」
 馬の飼育はとにかくお金がかかる。犬や猫などの愛玩動物のように、個人が一生丸ごと責任を持つことはほぼ不可能だ。そこで重要になるのがセカンドキャリア、つまり馬自身が稼げる場所を確保する仕組みだ。TCCでは、乗馬クラブや観光牧場のほか、セラピーホースを必要とする医療・福祉施設、神事などの伝統行事を運営する組織など全国約三十か所と提携を結び、馬たちの個性や心身の状態にマッチした場所へキャリアを繫いでいるという。
 意外だったのは、TCCJapanが株式会社ということだった。動物保護活動組織の多くは、NPO法人などの非営利団体で収入の多くを支援者からの寄付に頼っている。しかし、山本さんは「この事業は“馬と共に社会をゆたかにする”というミッションを掲げた、ソーシャル・イノベーションビジネスです」と説明した。この言葉の定義は多々あるようだけれど、ここでは「新しい社会的価値を創造して社会的ニーズや課題解決に結びつける事業」ということらしい。
 従業員数は、契約社員を含み約二十名。主な事業内容は、ホースセラピーを取り入れた児童福祉サービス「PONY KIDS」の運営で、収益のメインになっている。もうひとつは引退競走馬と全国の馬好きを繫ぐ支援コミュニティ事業「引退馬ファンクラブTCC」の運営で、二〇一九年九月現在で二千名ほどの会員を集めているという。またグッズ販売も行っている。リゾートムード溢れるTCCセラピーパークの施設は、すべて同社単独によるものと聞いて驚いた。
 その後、馬たちが暮らす廐舎も見学した。
 スタイリッシュなデザインの建物は掃除が行き届いていて、いわゆる獣臭は皆無だった。通路を進んでいくと、デモンストレーションモデルの仕事を終えたラッキーハンターが、馬房の前に置かれた大型扇風機の風に当たりながらニコニコしていた。都会に比べると格段に爽やかな気候だが、馬は暑さに弱く虫も苦手だと聞く。飼育担当者の愛情が伝わる細やかなケアに、こちらも嬉しくなってしまう。
「ラッキー、お疲れ様でした。扇風機いいね、気持ちよさそうだね」
 話しかけると、ラッキーハンターは鬣を吹き飛ばされながら、静かにフーンと鼻を鳴らした。


仕事を終えて、専用扇風機で涼むラッキーハンター 提供:筆者

 馬と挨拶するときは、最初に手の甲をいでもらう。というのは、ついさっき講習会の参加メンバーのひとりに教えてもらったことだ。ちなみにこの方法は初対面の犬と会った時と同じで、グーにした手を嗅がせてこちらが何者なのかを理解してもらうという意図がある。どうやら馬の嗅覚も、犬に負けず劣らず情報収集能力があるらしい。
 ラッキーハンターは、私の手の甲にピタリと鼻先をつけてスーハー、スーハーと熱心に嗅ぎはじめた。馬の鼻先はムニムニしていて温かく、予想以上に細かく動いて、犬とはまた違った次元で物事を判断しているようだ。やがて鼻先は手首から腕へと移動して、どうやらコチラを無害と判断してくれたらしい。
 私は艶やかな首筋に手を伸ばし、筋肉に沿ってゆっくりでてみた。するとラッキーハンターもそれに応えるように、顔を寄せてきてくれた。手の平に感じる優しい圧から彼自身の意思を感じ、なおさら嬉しかった。
 まだ一握りとはいえ、全国にはラッキーハンターのように個性や適性に合ったセカンドキャリアを得て、人間を幸せにしている馬がいる。少しずつだが、その数は着実に増えている。これまで競馬界でタブーとされた問題に挑んだ人々が賛同者を集め、その潮流が社会を動かしはじめているのだ。
 引退競走馬支援の世界には、いまだ知られていない人と動物に関わる物語がたくさんありそうだ。
 東京に戻ってまもなく、私は本格的に引退競走馬の取材を開始した。知識ゼロのスタートなので手探り感はかなり強いけれど、新たな企画が予想不能なのはいつものことだ。これから馬ワールドをずんずん歩きまわっていれば、やがて全貌が見えてくるだろう。
 しかし、それからわずか数か月、誰も予測していない事態が勃発した。新型コロナウイルスの感染拡大だ。その影響で人との交流や会食、地域を越えた移動、イベントやセミナーの開催がほとんどできなくなってしまったのだ。
 とにかくやりにくいのは、常に感染拡大の中心が東京ということだった。相手は未知のウイルスだから情報は錯綜さくそうするばかりで、判断基準は個人によって大きく違ってくる。そして馬に関わる人々の多くは、感染者数の少ない地域に暮らしている。この状況で満員電車が走る都市に住む縁もゆかりもない人間(私のこと)が取材協力のお願いをするというのは、いかにも非常識な感じがしてハードルが高い。コロナ禍で市民権を得たZoomを使ったインタビューも、動物モノの取材ではほぼ無力だ。
 収束のきざしは見えないまま季節はめぐり、私は何をどうすればいいのか、しばらくわからなくなっていた。だがあるとき、ニュースサイトの見出しを目にしてハッとなった。無観客開催でも競馬の売り上げ絶好調――コロナ禍で何もかもが停滞しているような気がしていたが、毎年七千頭が誕生して五千頭が引退する状況は変わることなく続いているのだ。
 とにかく今、できることをしなければ!
 ふと浮かんだのは、「引退馬ファンクラブTCC」の引退競走馬の共同オーナー制度だった。馬の飼育費用はどんなに安くても、年間で百万円以上かかるといわれている。セカンドキャリアで稼ぐとはいえ、すべてをまかなうことは難しいし、将来のための貯蓄も必要だ。こうした引退競走馬の生涯をサポートする仕組みが、一か月に一口四千四百円、半口二千二百円で参加できるホースオーナー制度なのだ。
 ――そうだ、馬主になろう!
 サポートする馬は、決まっていた。
 ピカピカの体毛にクルリと丸い目が懐かしい。というよりもあの訪問以来、スマートフォンに保存した写真をくりかえし眺めていた。また会いたいな、どんな性格なのか詳しく知りたいな、などと思いながら再会を果たせないままだったが、初めて馬を身近に感じる体験をさせてくれたという意味で、すでにラッキーハンターは私にとって特別な馬になっていた。
 早速申し込むと、事務局から受付完了メールが送られてきた。微々たる支援とはいえ、これで私も晴れて馬主だ!
 馬主になって写真を眺めていると、さらにいとおしさが増してきた。「私のカワイイ、お馬さん」などと声に出してみると、想像以上の多幸感が胸を満たす。
 犬や猫と関わるときとはまた違う、ちょっと華やいだ非日常感は馬パワーによるものなのだろうか。気分が上がった勢いで、ラッキーハンターの写真と一緒に引退競走馬の共同オーナーになったことをSNSにアップした。
 見知らぬアカウントから意外なメッセージが届いたのは、それからわずか一時間後のことだった。


(つづく)

片野ゆか

かたの・ゆか●ノンフィクション作家。
1966年東京都生まれ。2005年『愛犬王 平岩米吉伝』で第12回小学館ノンフィクション大賞受賞。著書に『ポチのひみつ』『北里大学獣医学部 犬部!』『ゼロ! 熊本市動物愛護センター10年の闘い』『動物翻訳家 心の声をキャッチする、飼育員のリアルストーリー』『平成犬バカ編集部』『竜之介先生、走る! 熊本地震で人とペットを救った動物病院』『着物の国のはてな』等多数。

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