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スラムダンク奨学生インタビュー #13
第13期生 モサク オルワダミロラ 雄太 ジョセフ

[連載]

#13 第13期生 モサク オルワダミロラ 雄太 ジョセフ

ルーツは国際的だ。ナイジェリア人の父と日本人の母を持ち、アメリカのニュージャージーで生まれ、日本の埼玉で育った。そしてバスケットボールに出会い、夢中になり、より高いレベルを求めて再びアメリカに渡った。夢の地で知ったのは、自分がどれだけ下手かということ。それが、新たなる成長のスタートだった。

聞き手・構成=宮地陽子


撮影/Charles Milikin Jr

ルーツを表す大事な名前

 とにかく名前が多く、長い。
 モサク・オルワダミロラ・雄太ゆうた・ジョセフ
「授業の最初の日とか、いつも(先生が)『ウーウー』みたいな感じになっちゃう」と笑う。
 どれだけ長く、どれだけ多くても、そのすべてが彼のルーツを表す大事な名前だ。苗字のモサクと名前のオルワダミロラは父の出身地、ナイジェリアの名前。オルワダミロラはナイジェリアの言葉で「神から富と繁栄のご加護を授かった」という意味で、家族からは略してダミロラと呼ばれてきた。父の名前(ベンガダモラ、略してダモラ)に似た名前としてこの名前が選ばれたという。
 雄太とジョセフはいわゆるミドルネーム。雄太は日本の名前としてつけた。もっとも、その名前で呼ぶのは日本人の母の両親、つまりモサクの祖父母ぐらいだという。ジョセフは生まれた地、アメリカの名前。聖書に出てくるヨセフの英語読みで、牧師の伯父が命名式でつけてくれた。
 長い名前は覚えられないという人のためには、「D(ディー)」という短い愛称もある。
「いろんなところに行っているうちに、ディーになっちゃったんですよね。ダミロラのDから取って」
 本人が「いろんなところに行って」と言うように、モサクは生まれて19年で日本とアメリカを転々としてきた。生まれたのはアメリカのニュージャージー。父の家族がナイジェリアから移り住んだ土地だ。生まれてすぐに日本に戻り、埼玉で育った。地元のインターナショナルスクール、クリスチャンアカデミーに通い、高校の途中で単身ニュージャージーに渡った。そこで1年半過ごした後、帰国。その直後に『スラムダンク奨学金』に合格し、現在はコネチカット州のセントトーマスモアスクール(STM)にいる。
 この数年でアメリカと日本を行ったり来たりしている理由は、バスケットボールだ。
 小さいときからサッカー好きで、小学生のときは少年野球をやったこともある。中学はスポーツがアメリカと同じようにシーズン制だったので、勧められてバスケットボールを始めた。まったくの初心者から見ると先輩たちのプレーはかっこよく、同じことをできるようになりたいと思った。運動能力には自信があったが、それでも最初は何もできず、ルールもわからず、友達相手の1対1でも負けてばかりだった。イライラすることも多かったが、それが負けず嫌いの心を刺激した。負けたくなくて必死に練習し、練習すればするほど上達して、バスケットボールにはまっていった。
 どれぐらいはまったかというと、学校の練習だけでは物足りなくなり、母が探してくれた地元のクラブチームに入り、さらには父の知り合いのつてで社会人チームの練習にも参加させてもらうようになったほど。バスケットボール・キャンプで勧誘されたことをきっかけに、インターナショナルスクールに通う選手を中心としたクラブチーム、東京サムライの練習にも参加するようになった。
 もともと身体能力が高く(運動会ではどの種目も1位だった)、としの割に身長も高かった。そのため、学校のチームではすぐに中心選手になり、ポイントガードでエースになるのに時間はかからなかった。
 急成長でうまくなることは楽しかった一方で、自分がいる環境に物足りないと感じるようにもなった。社会人チームで大人に交じって練習することでその物足りなさを埋めていたが、次第にアメリカに行きたいという気持ちが強くなっていった。中学1、2年のころのことだ。動画サイトで見るアメリカのバスケットボールに憧れていた。
「やるんだったら一番トップのレベルでやりたいって思ってやっていた。まわりの子たちよりうまくなっちゃうと、追いかける場所じゃなくなってしまう。もっとうまい人たちを見て、どうやっているのかを見て勉強したいなって思って、アメリカにずっと行きたかったんです」
 親とも相談し、アメリカの学校を探してみたが、留学は授業料が高く、難しかった。諦めて、日本で頑張っていこうと思い始めたときに、ニュージャージーに住む叔母から「アメリカに来たいなら、うちに来ていいよ」と言ってもらえた。そこで、高校ソフォモア(日本の高校1年)のときに単身アメリカに渡った。叔母の家に住み、いとこと同じ高校に通った。バスケットボールのチームは特に強豪というわけでもなく、アメリカのなかでは普通のレベルだったが、それでも、みんな本気でバスケットボールに取り組んでいる選手ばかりだったのが嬉しかった。
「みんな子どものときから遊びでなく、1年中、けっこう真剣にやっていた子たち。正直、僕は(日本にいた)中学生のとき、自信があっただけで下手だったんですよ(笑)。今、動画とかで見ると、技術面はそんなにうまくなかった。だからアメリカに来て、普通の学校でもうまくない選手でした。こんなにできないんだ、みたいな感じでしたね」
 ニュージャージーでの生活は1年半で終わりを迎えた。アメリカのバスケットボールに憧れ、行きたくて行ったアメリカだったが、2シーズン目が終わった直後に帰国を決めた。
「正直言って、おばさんの家でそんなに練習ができなかったんです」とモサクは、当時の状況を説明する。
 アメリカに行って、自分が思っていたほどうまくないとわかったモサクは、練習したくてしかたなかった。勉強もしっかりやっていたが、それ以外の空いた時間はすべて個人練習やトレーニングに使いたかった。しかし叔母には、高校生のうちからそこまでスポーツに力を入れることを理解してもらえなかった。両親と相談し、高校最後の1年は日本で過ごそうと考え、帰国した。
『スラムダンク奨学金』のことを知り、応募したのは、そんなころだった。日本に帰国する数カ月前に東京サムライのコーチから勧められて、アメリカから応募したのだ。帰国してすぐに一次審査を通過したという連絡があり、1カ月後に最終トライアウトのために再びアメリカに戻った。

シンプルにうまくなりたかった。

 トライアウト初日は、本人によると「最悪」だったという。時差もあるなか、到着した日は興奮し、気合も入りすぎて眠れなかった。早朝3時に目が覚めた。
「何もやることがなかったから、腕立てとかやっていました。今考えてみると、すごいあほなことをしていたかもしれないけれど、すごい気合入っていて」と笑う。
 寝不足で挑んだトライアウト初日はいい思い出がないが、その夜はぐっすり12時間寝て回復。2日目はそれなりに活躍できた。それでも、合格する自信はなかったという。いっしょに最終選考を受けたほかの選手が、みんな自分よりうまく見えた。
 それだけに、奨学金合格の手紙が来たときは嬉しかった。何よりも、またアメリカに戻れること、そして求めていたような高いレベルで練習ができることにほっとしたという。
 と同時に、どうせアメリカに行くなら翌年春まで待たずにすぐ行きたいという思いが湧いてきた。3月にニュージャージーの高校を離れた後、6月に学年が終わるまではアメリカの通信制の高校に登録して勉強していた。当初は新しい学年になったら、渡米前にいたクリスチャンアカデミーに戻るつもりだったが、その1年を待てない気持ちになったのだ。通常、『スラムダンク奨学金』は高校を卒業した選手の留学が対象なのだが、状況を説明して、1年早く、高校最終学年で留学させてもらえることになった。
「シンプルに、アメリカでバスケがうまくなりたいんですよね。ほかのことも大事だけれど、正直言って、どうでもいいというか」


スラムダンク奨学金トライアウトでの1 対1 。まだスピード頼りで、ほかの候補選手の技術の高さに感心させられていた。
写真提供/スラムダンク奨学金事務局

 この「シンプルに」は彼の口癖。どうやら、自分のなかで大切にしていることを語るときに出てくる言葉のようだ。
「うまい人たちのまわりでやるほうが絶対にうまくなれるし、セントトーマスモア、バスケのレベルがすごい高いんですよ。夢のような学校というか。中1のときから行きたい、行きたいと言っていたような学校にやっと行ける。(日本であと1年やるより)アメリカに行って、誰も自分のことを知らないかもしれないけれど、そのなかでひたすらやっていくほうがいいです、って話をして」
 STMのヘッドコーチ、ジェリー・クインからは、1年早く来ても試合にはあまり出られないと言われていたが、それでもかまわないと思ったという。
「シンプルにうまくなりたかった。試合に出れなくても、うまい選手たちの近くにいるほうが自分もうまくなれると思った」
 実際、試合にはあまり出られなかった。試合での起用はPG(ポストグラジュエイト=高校卒業した後の学年)の選手が優先で、モサクはまだ高校シニア(日本の高校3年)だったからだ。それでもチームメイトたちと練習し、ベンチから試合を見るだけでも勉強になった。そして、自分の実力がまだまだ足りないということも痛感した。
「経験したことがないようなレベルでした。こんな高いレベルのバスケはやったことがなかったので、何をしっかりやらなくちゃいけないかとか、何をやらなくていいっていうところをまだわかっていなかった」
 コーチ・クインからは、「君には才能があるから、今は辛抱強く努力するんだ」とアドバイスされた。実際、運動能力だけなら平均より少し上だと感じた。しかし、それだけではサイズがある選手にはかなわない。どうやったらこのレベルでも試合に使ってもらえるようになるのかを考えていた。


初めてダンクができたのは15歳前後。当時は「ギリギリできた」程度だったが、今では難易度の高いウインドミルダンクもできるようになった。
撮影/ Charles Milikin Jr

「僕はまわりと比べて身体からだがでかいわけでもないし、しかも細いほうだし、この中でやるためにはやっぱり技術がすごいうまくないと生きていけないとわかった。バスケをもっと知らなくちゃいけないんだなって。(選手としての)個性も必要だけれど、コーチが作ったシステムのなかで、どうやって自分の個性を出せるか。高いレベルになってくるとみんなうまいから、コーチとしてはでかくて強い子たちが一番使いやすい。そのなかで自分は何をやれば、その子たちよりうまいのかを考えて、その子たちより技術をうまくしないといけないんだなっていうのを学びました」
 試合に出られないなかでも、間違いなく成長につながるきっかけはつかめていた。ただ、大学進学を考えると、1年では足りなかった。
「目標がD1(NCAAディビジョンⅠの大学)だったんですよね。ずっと、子どものときからの夢。でも、自分はまだそのレベルに達していない。試合もそんなに出ていないし、難しいだろうと、シーズン中からそういうことを考えていて」
 もともとの『スラムダンク奨学金』の留学期間は、2020年5月で終わってしまう。悩んでいたときに、井上雄彦いのうえたけひこ氏が『スラムダンク奨学金』のスタッフと共に視察と応援のためにSTMを訪れた。思い切って、もう1年STMにいたいと直訴。少ししてからOKの返事が来た。
 後から思うと、これは大きかった。コロナ禍で当初の予定より2カ月早く、3月に一時帰国しなくてはいけなくなったからだ。STMに戻れることがわかっていたことで、日本でも焦らずに、トレーニングに励むことができた。

みんなと同じことをやっているだけだと、
うまくなるのは難しい

 9月、STMに戻ってきたモサクを見て、コーチ・クインはその成長ぶりに驚いた。つねづね、彼の練習の姿勢には感嘆し、「私が(40年以上)コーチをしてきたなかの誰よりも練習熱心」と称賛しているが、この半年での変化は、そのことの証でもあった。
「日本から戻ってきたディーはとても成長していました。前より背も高く見え、力強くなり、自信もつけていたのです。うちに来て2年目で、慣れていたのも大きかったですね」とコーチ・クイン。
 モサクによると、STM1年目のシーズンを通して自己分析ができていたことで、3月に帰国したときには自分のなかでは何が足りないのか、何を練習しなくてはいけないのかの課題がはっきりしていたという。帰国した直後は体育館も使えなかったので、近所の公園でトレーニングに励んだ。社会人バスケで知り合った人といっしょに、朝と夜に様々なスキルワークに取り組み、課題をクリアすると難易度を上げていった。ドリブルやパスをはじめ、シュートを打つまでの過程に必要なスキルに力を入れた。
「前はシュートだけがほぼできていた。今も、シュートを決めないとだめだと思うし、そこが大事で、一番の個性だと思うんですけれど、シュートからつながるものがないと。たとえばディフェンスが近づいてきたら抜けるかとか、そういう練習とかをしました。ドリブルのハンドリングとか。プレッシャーが来たら抜けるかとか、そういう練習もいっぱいして。あとは瞬発力を上げたり、身体もかなり鍛えました」
 そうやって最大限の努力をすることは、彼にとっては当たり前のことだった。
「みんなと同じことをやっているだけだと、みんなよりうまくなるのは難しい。人一倍頑張りたいなという気持ちでいます」


外では話を聞く側にまわることが多いが、家での素顔は、本人いわく「おっちょこちょいで超うるさい」。
撮影/ Charles Milikin Jr

 日本でのトレーニングの成果は自分でも体感している。以前はスピードだけで勝負していたところを、帰国中に身につけたスキルを使うことで、緩急をつけて攻められるようになった。
「全部がゆっくり見えるようになりました。前はスピードだけでやっていて、速いから抜けちゃっていたんですよね。でも今は自分の身体をコントロールできるスピードのなかでしっかりできる。自分が使えるスピードのなかで動けているなっていう感じです」
 身体を動かす練習だけでなく、時間があると動画を見て研究することも欠かさない。単に好きな選手のプレーを追うだけでなく、チーム全体のなかで誰がどんな動きをしているのか、試合全体の流れを見ることが多い。動画を何度も止め、「この人、ここにいるべきだなとか、あの人、これをやるべきだな」などと考えながら見ているという。そういった試合の見方は、中学のときに東京サムライのコーチから教わった。
「3~4試合ぐらい見ていると、絶対に何か一つは勉強になるところがある。これは使えるなぁって思うところが絶対にある。けっこう勉強になります」

いつもの年ならD1からのオファーがあるレベル

 去年11月、モサクはNCAAディビジョンⅡ(D2)のストーンヒル大学にコミット(入学の約束)したと発表した。D1でプレーすることを目標に、そのためにSTMに戻ってきたのだが、結果的に選んだ進路はD2だった。コロナ禍で大学側でも奨学金枠がどれだけ空くかがわからず、リクルーティングがいつもと同じようには進まなかったことも影響していた。 コーチ・クインは、「いつもの年ならD1からのオファーがあるレベル」と太鼓判を押す。それでも、来るかどうかわからないD1のオファーを待つよりは、全額奨学金をオファーしてくれたD2の強豪、ストーンヒル大を選んだ。
「自分のなかでも、もう少し待てばD1に行けたのではというのは今でもあるんですけれど、どっちを選ぶかになってきて、今はシンプルにうまくなりたいっていうのが大きくて。試合に出て、そのなかで自分の実力を測るのもすごい大事だっていうのもわかってきたし、(自分が目指しているところには)どこからでも行けるっていうか、シンプルにうまくなってそのレベルに行けばいいというのがわかってきた。完璧な理想のところでもないかもしれないけれど、そこが、一番高くまで行けるレベルに近いなら、そこに行こうかなと思って決めました」
 コーチ・クインからも、「今は行先よりも機会が大事」とアドバイスされた。とはいえ、コーチからそう言われたから妥協したわけではなく、あくまで自分で納得して決めたのだと胸を張る。今は、今秋からの大学シーズンに向けて、ストーンヒル大の試合映像を見て、自分がどんなプレーをすれば試合に出られるかを研究中だ。
「試合に出すのはコーチたちが勝てる選手だと思っている人。コーチたちにどうやって信じてもらうかだと思います」
 ストーンヒル大のコーチからは、ディフェンスを称賛されたという。
「正直、自分ではそんなにディフェンスうまいとは思っていないから、そこを褒めてもらってちょっと安心しました。ディフェンスができる選手って試合に出してもらえるし。自分ではオフェンスのほうが強い(得意)と思っている。ディフェンスが強くてオフェンスも強かったら、試合は出れるかな」

 モサクにとって、日本からアメリカに出て来てNBAの世界で活躍している八村塁はちむらるい(ワシントン・ウィザース)や渡邊雄太わたなべゆうた(トロント・ラプターズ)は憧れであり、目標であり、そして自分も頑張ろうと思わされる存在でもある。いずれは自分もNBAでという気持ちは常に持っている。
「子どものときからずっとNBAに行きたいと思ってきたし、今でも諦めたくない。やっぱり、一番うまいところでやれたら嬉しいっていうか。そういう選手たちのなかで活躍したい。中途半端にやるのが嫌なので」
 中途半端は嫌い―― 。これまでもその思いで、妥協することなく自分が成長できる場所を求めてきた。そんな19歳の彼の前には、無限の世界が広がっている。

文中敬称略

COLUMN
♯13 モサク オルワダミロラ 雄太 ジョセフ

「SLAM DUNK」で
好きなキャラクター、シーンは?


『SLAM DUNK 新装再編版』20巻より

『スラムダンク』は、中1のときにアニメで見ていました。出てくるキャラクターの中では桜木花道が一番好きです。別に自分に重ねているわけではなくて、アニメのキャラとして面白くて、がむしゃらにバスケを頑張る感じがいいなぁと思います。好きなシーンは、最後の(湘北対山王工業戦終了の場面の)桜木と流川のハイタッチのシーンですね。あの二人がハイファイブする感じ、言葉がなくてもすごくわかります。

© 井上雄彦 I.T.Planning,Inc.

■スラムダンク奨学金とは

『スラムダンク』の作者・井上雄彦の「この作品をここまで愛してくれた読者とバスケットボールというスポーツに、何かの形で恩返しがしたい」という志から始まり、高校卒業後、大学またはプロを目指しアメリカで競技を続ける意志と能力を持ちながら、経済的その他の理由でその夢をかなえられない若い選手を支援することで、その目的を果たそうと設立された。2008年から毎年、高校卒業見込み、またはそれに相当する学生を若干名選考し、現地でのセレクションを経てアメリカのプレップスクールに送り出している。これまでに15名が留学し、多くの選手がBリーグやアメリカの大学などで活躍している。

スラムダンク奨学金
主宰:井上雄彦、アイティープランニング有限会社、株式会社 集英社
協力:公益財団法人 日本バスケットボール協会

モサク オルワダミロラ 雄太 ジョセフ

もさく・おるわだみろら・ゆうた・じょせふ
2001年12月5日生まれ。埼玉県出身。2017年アメリカ・ニュージャージー州に渡りランコカスバレー高校に編入。19年にユニバーシティ・オブ・ネブラスカ高校(通信制)からスラムダンク奨学金第13期生としてセントトーマスモアスクールに高校最終学年で編入。21年9月よりストーンヒル大学に進学予定。ポイントガード、シューティングガード。191cm、79kg

『PLUS/SLAM DUNK ILLUSTRATIONS 2』

井上 雄彦 著

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