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スラムダンク奨学生インタビュー #12
第12期生 木村圭吾

[連載]

#12 第12期生 木村圭吾

いつでも、活躍できる場より成長できる環境を選んできた。自分よりうまい人たちといっしょに練習できることにワクワクした。もっとうまくなって、まわりに認めさせたい。その思いの先には、自然とアメリカがあった。決して楽しいことばかりではないが、選んできた道への後悔はない。

聞き手・構成=宮地陽子


撮影/和田篤志

やつらが無視できないぐらいうまくなれ。

「僕、この言葉が大好きで……」
 そう言いながら、木村圭吾きむらけいごが差し出したスマホの待ち受け画面には、こんな英語の文章があった。
“BE SO GOOD THEY CAN’T IGNORE YOU.”
 ―― やつらが無視できないぐらいうまくなれ。
 木村がシューターとしても、人としても尊敬するNBA選手、デイミアン・リラード(ポートランド・トレイルブレイザーズ)が、数年前、NBAオールスターに選ばれず悔しい思いをしたときにSNSに投稿した言葉だ。リラードは大学に入った頃は無名に近かったが、少しずつまわりに実力を認めさせ、今ではNBAオールスターの常連にまでなった選手だ。そんな成り上がりのメンタリティに、木村は憧れていた。
「僕とちょっと似ているかなって。僕も中学や高校のときに日本代表に1回も入ったことがなくて。でも、自分ではそのレベルにいると思うんですよね」
 訥々とつとつとした口調だが、語っている中身は熱い。
「アメリカでプレーしていても、八村塁はちむらるいさん(ワシントン・ウィザーズ)とか渡邊雄太わたなべゆうたさん(トロント・ラプターズ)、テーブスかいさん(元ノースカロライナ大ウィルミントン校・現宇都宮ブレックス)ぐらい活躍しないと誰も注目してくれないじゃないですか。『木村圭吾ってそういえばいたな』みたいな感じになっちゃう。だからリラードみたいに『みんなが無視できないぐらいにうまくなりたい』って。そういうメンタルが好き。有言実行しているところも大好きです」
 木村は、リラードの言葉を知るよりずっと前から「うまくなりたい」という気持ちに突き動かされてきた。中学も高校も、アメリカへの留学も、そして大学の進学先も、岐路にたつたびに、自分がうまくなれるかどうかを基準に決めてきた。
 バスケットボールを始めたのは母の影響だった。三重県出身の母はバスケ経験者で、教師になるために実業団には進まなかったものの、高校時代には国体の選手にも選ばれたほどの実力だったらしい。そのため、子どもの頃からいつも身近にバスケットボールがあった。母が買いそろえた漫画『スラムダンク』も愛読書だった。
「始めたときから、バスケは大好きでした」
 ミニバスの頃から、ただプレーするだけでなく、家族で映像を見て「反省会のようなもの」もやっていた。NBAもよく見ていて、好きな選手のプレーを真似したりもしていた。その頃から漠然と、バスケットボールの本場、アメリカへの憧れが芽生えていた。
「アメリカに行きたい気持ちになったのも、家族がバスケをそばに置いておいてくれたからというのもありますね」
 中学は、東京1位の実践学園じつせんがくえん中学を選んだ。家から遠く、朝練のために毎朝5時に起きなくてはいけなかったが、それでも、ミニバス時代に見て知ったレベルの高い選手たちが集まってきた環境にかれた。1年の頃は基礎トレーニングばかり。寒い冬でも屋上にある吹きさらしのコートでの練習が大半だったが、たまにAチームに呼ばれて上級生に混じって5対5をすると、刺激的で、楽しくてしかたなかった。
「こんなにうまい人たちがいるんだ、みたいな感じでした」
 2年、3年と進むにつれて、木村も少しずつ試合に出られるようになった。ミニバスのときはチームのポイントゲッターだったが、中学ではそれほど点を取った覚えがない。その中で、最も活躍した試合として記憶に残っているのが3年の全国大会決勝だった。
「すごく競っていた試合で、よくシュートが決まっていた。最終的に2点差で勝ったんですけれど、何回も逆転シュートとか、同点シュートとかを決めて。チームメイトの一人が13点、僕ともう一人が12点で、点数としてはそんなに多くないんですけれど、重要なところで決めることができました」


デイミアン・リラードは、異次元のシュート力に加え、メンタルの強さでも憧れの存在。彼の言葉を待ち受け画面にしている。

 中学最後の試合で、自分が活躍して全国優勝。これ以上ない最高の締めくくりのはずだったが、実は、全国優勝したことにはそこまで感慨はなかったという。
「みんな泣いていたんですけれど、僕だけ普通に『勝ったな』という感じ(笑)。もちろん優勝したいと思ってやっていたんですけれど、そこまではこだわっていなかったんです」
 この年の実践学園は公式戦では負けなしの全勝。チームメイトに実力のある選手がたくさんいたので、自分の調子が良くても悪くても関係なく、勝つことが当たり前だったのだ。
「だから勝敗よりも、自分がうまくなりたかった。1試合1試合で学べたかどうかを意識していましたね」

3ポイントの威力

 バスケがうまい人といっしょにやりたいという思いの延長線上に、はっきりとアメリカが見えてきたのはこの頃だった。小学生の頃からぼんやりと考えていたアメリカ行きの夢が、中学で全国優勝して、もっと確かなものになった。
「小学校のときから将来アメリカに行きたいと思っていたけれど、あの頃はあまり自信がなかったんですよね。自分が全国で通用するなんて思わなかったですし。でも中学で全国大会を戦って、対戦した相手の中によく知られたスター選手たちもいて、全国レベルでも通用するんじゃないかと思えた。それで、『アメリカはどんな感じなんだろう』と考え始め、その思いが強くなっていきました」
 しかし調べてみると、高校からアメリカに行くのは簡単なことではなかった。この頃、日本人で高校からアメリカに留学していた選手としては富樫勇樹とがしゆうき(千葉ジェッツ)が有名だったので、彼が留学していたモントロスクリスチャン校のことも調べた。しかし授業料が高額で、奨学金がないと難しそうだった。
「それに、行きたい気持ちはあったんですけれど、自分的にまだ準備ができていないと思った」
 そこで、アメリカに行く準備の一環として、地元に近い八王子学園はちおうじがくえん八王子高等学校への進学を決めた。毎年、セネガルなどからの留学生選手を受け入れているチームだということが決め手になった。毎日、身長や運動能力の高い留学生相手に練習できれば、将来アメリカに行くときの準備になる。
 八王子高校では1年のときから試合に出ることができた。中学より一つレベルが高い世界で、試合に出ると、対戦相手もうまい人たちばかり。
「1年のときはあまり活躍できなかったんですけれど、試合に出れて嬉しかったし、楽しかったです」
 高校に入る前に見たウインターカップの試合で憧れた選手がいた。当時八王子高校3年だった多田武史ただたけし(現秋田ノーザンハピネッツ)。八村塁率いる仙台の明成めいせい高校と対戦した試合で、3ポイントラインの1メートルぐらい後ろから次々と3ポイントシュートを決め、大差がついていた試合を僅差まで追い上げていたのが強く印象に残った。
「多田さんのおかげで、僕も3ポイントを頑張ろうと思えた。中学のときは全然3ポイントを打っていなかったんです。高校の先生から『お前はシューターになるから』って言われても、『シューター?』っていう感じだったんですけれど、あれで3ポイントの威力を知った」
 こうして木村は、高校3年間でシューターとして頭角を現すようになった。3年のときには公式戦で1試合9本の3ポイントを決めたこともあったほどだ。そのシュート力が、アメリカに渡ってからも武器になった。

『その1.5秒をお前は頑張れない』

『スラムダンク奨学金』のことは小学生の頃から知っていた。高校留学に使えないのがもどかしかったぐらいだったので、自分の学年が対象になると、迷わずに応募した。
 書類選考で選ばれて行った初アメリカでのトライアウトはあまり力を出し切れなかった。シュートだけ打っているときはよく決まっていたのだが、ピックアップゲームではシュートチャンスは作ってもらったのに、思うように決められなかった。アメリカ人の選手たちから声をかけられても、何を言われているのかまったくわからなかった。
 合格できるという自信はなかった。「半分半分ぐらいな感じでしたね」と木村。受からなくても、別の方法でアメリカに行こうと覚悟を決めた。
 それだけに、合格の通知が来たときは嬉しかった。
「学校でテスト勉強していたらお母さんからLINEが来て、受かったよって。いっしょにいた友達に抱きついたりして(笑)」

 留学先のセントトーマスモアスクール(STM)に到着した日の夜は、時差ぼけと興奮で一睡もできなかった。少しでも早く朝練に行きたくて、朝5時に、寮で隣だった11期生のホール百音もねアレックスの部屋のドアをノックして起こし、体育館に連れていってもらった。そこには思い描いていたアメリカらしい光景があった。
「体育館には一人先客がいて、めっちゃ大音量でイケイケの曲がスピーカーからガンガン流れていて、ノリノリで練習していたんです。日本では音楽かけて練習とかしないじゃないですか。おぉ、アメリカだ、という感じでした」と笑う。
 何より嬉しかったのは、チームメイトたちが大きくて、運動能力が高かったこと。うまい人といっしょにやることが何より好きな木村にとっては天国だった。
「みんな僕よりもでかくて速い人ばっかだった。試合だけでなく、毎日の練習が全部刺激的でしたね」
 もっとも、楽しいことばかりではなかった。たとえば、夏の終わりに行ったキャンプでは、ほとんどボールを触ることもできないという経験をした。参加していたのは、ほとんどがNCAAディビジョンⅠ(D1)のチームへの進学が決まっている選手ばかり。まだ英語での会話もままならないのに、レベルが高く、知らない選手の中に放り込まれた木村には、ほとんどパスもまわってこなかった。たまにまわってきたときにシュートを外すと、さらにボールは来なくなった。話に聞いていたアメリカの洗礼だ。その前、夏の大半を過ごしたIMGアカデミーでD1の選手やアメリカU17代表選手と1対1をして自信をつけた後だっただけに、よけいに落ち込んだ。
「『俺、アメリカにいるわ』『パス来ねえんだ』っていう感じでしたね。STMではガチのトラッシュトークはあまりされたことなかったんですけれど、そこではいきなり『ゴー・ホーム』とか言われて」
 それでも気持ちを切らさずに頑張ったことで、キャンプの最後にはMIP(最も成長した選手)のアワードをもらった。
 STMに戻ると、パスが来ないということはなかったが、別の課題が待ち受けていた。日本でやっていたのと同じやり方では通用しないことがいくつかあったのだ。
 ヘッドコーチのジェリー・クインは、ふだんはとてもきさくで優しい一方で、練習中や試合中はよく怒るコーチだ。そのコーチ・クインから怒られたことの一つは、シュートセレクション。八王子高校ではチームの中心選手だったので、ディフェンスから厳しくマークされた難しい状況でもシュートを打ってきた。そういう中でもシュートを決められるという自信もあったし、最初の数本が決まらなくても、打ち続ける中で調子を上げていくだけの自由も与えられていた。
 しかしSTMでの木村は控え選手で、出場時間も限られていた。それでいて、シューターという役割だったので、数少ないシュートチャンスで確実に決めることを求められた。
「ジェリー・クインHCからはよく『無理なシュートを打つな』と怒られていました。タフショット(難しいシュート)を打っていたら顔を真っ赤にして怒られました。シューターなので、試合に出るとすぐ僕がシュートを打つためのフォーメーションをやることがあったんですけれど、1本目で決めないといけないプレッシャーもありましたね」
 日本にいるときとは違う役割を担うこと自体は受け入れていたが、それに慣れることは簡単ではなかった。
 ましてや、マッチアップする相手は自分より10㎝ぐらい長身の選手。日本の選手に比べて手も長く、運動能力も高い。そんな選手がブロックに跳んでくる。ブロックされないようにシュートリリースを工夫する必要もあった。


高校時代から磨いてきたシュート力は、アメリカに出てからも最大の武器。セントトーマスモアでもシューターとして起用され、シーズン通して3ポイントシュートを41%、フリースローを90%の高確率で決めた。撮影/ Charles Milikin Jr

「僕は小さいし、リバウンドを取れるわけでもなかったし、シュートを決めないとコートでの存在意義がないじゃないですか。シューターとして限られた時間で点を取ることを求められていた。結局、それにはシーズンが終わるまでアジャストできませんでした」と認める。
「後悔はしていないんですけれど、不完全燃焼でしたね。課題を見つけたけれど克服できなかったっていうのが一番悔しいです」
「全力を出していない」と怒られることもあった。日本ではまわりに比べて身長が高く、必死に頑張らなくても活躍することはそれほど難しいことではなかった。しかしアメリカでは、それは通用しなかった。どこかで手を抜いていると、コーチ・クインに見透かされ、練習の前や後に注意されることも度々だった。
「例えば、28秒で走らなくてはいけないランがあったとして、コーチ・クインに『100%でやればお前は26秒で入れるのに、いつも27・5で入る。その1.5秒をお前は頑張れない』みたいな感じで怒られました。あと『お前がちゃんと頑張れば、今、5校ぐらいからスカラシップをもらっている』とも言われました」
 指摘されたことは確かに当たっていた。それでも、最初は怒られることに納得がいかなかった。28秒以内で入っていたし、D1からスカラシップをもらっているような選手が、自分よりもっとぎりぎりの時間で走っていた。それなのに自分だけが怒られることを理不尽に思っていた。
 しかし、毎回怒られているうちに、少しずつその理由がわかってきた。
「アメリカだと僕は身長が低いほうで、小さいのに頑張らないで活躍している選手はいないじゃないですか。そういう頑張りで差をつけないといけないんだと気づいたんです」
 最近、よく見ているNBA選手がいる。ミルウォーキー・バックスのブリン・フォーブス。ドラフト外からNBA入りして5年目の選手だ。有名な選手ではないし、派手なプレーをするわけではないが、身長が自分と同じくらいで、シュートフォームも似ていると言われ、意識して見るようになった。


U17米代表選手と1対1したり、210cmの選手にマークされたり、渡米1年目から色々な経験をした。撮影/和田篤志

「僕と何が違うかなと思ったら、シュートの確率はもちろん違うんですけれど、それでも、それは追いつけるレベルにあると思うんです。ただ、それ以外の面がもっと違う。ダンクができるし、スピードも違う。それに、細かいところを本当に頑張るんですよね。コーナーまでちゃんと走っているし、スクリーンをもらう前にちゃんと逆側にフェイクしてからもらいに行っているとか、相手がすぐ下がったら打てるとか。シュートの技術云々以外の、シュートに行くまでの技術とか、そういうところが本当に違うとわかりました」
 日本にいたときには、考えたこともなかった部分だった。動画サイトでアメリカ人選手のプレーはよく見ていたが、トリッキーなドリブルワークを見て真似したり、派手な部分ばかり目がいっていた。そうでなく、細かなところまで手を抜かないところに目が行くようになったのは、それだけでも成長の証だった。

自分一人で考え、乗り越える方法

 去年3月、アメリカでも新型コロナウイルス感染が拡大したことで、予定より2カ月早く『スラムダンク奨学金』の期間を終え、進学先が決まらないままに帰国した。コロナ禍でなければ、シーズン後のオープンジムで大学コーチにプレーを見てもらえるはずだった。実際、過去の例を見てもそこで進学先が決まることは多いのだが、オープンジム自体を開催できるような状況ではなかった。そうなると大学に売り込む材料になるのは、不完全燃焼で終わったSTMでのシーズンだけ。「『シーズンの試合だけで俺はアピールできるのか?』と焦っていました」
 そんな中で、D3のセントジョセフ大から声がかかった。いくつかD1の大学からも興味は示してもらいながら高校のときの成績が足りずに話がまとまらず、声をかけられていたD2の大学に行くしかないかと考えていたときだった。
 ディビジョンの組み分けだけ見ればD2より下のD3の大学だったが、ほかにはない魅力があった。D1の名門コネチカット大で長年コーチをしていた殿堂入りの名将、ジム・カルフーンがヘッドコーチを務めているのだ。途中でD1へ転校できるようなサポートもしてくれるという。チームメイトには、コーチのもとでプレーしたいと、D1から転校してきた選手もいる。実際、昨季は下級生の選手しかいなかったにもかかわらず、D3の大学の全米ランクで最高13位だった。
「ずっと自分が一番うまくなれる選択をしてきた。今回もD3というだけであまり強くない大学みたいに思われがちなんだけれど、僕的にはここに来てよかったと思っています」
 D1の大学に進学という目標も、まだ諦めていない。むしろ諦めていないからこそ、今の大学を選んだ。
 人生、いつでも思うようにいくわけではない。そういう状況に直面しても、自分で考え、乗り越える方法を考えられるようになったのは、スラムダンク奨学生としてアメリカに出てきて一番成長を感じるところだった。
「アメリカに来てすごく楽しいこともあったんですけれど、勉強やバスケの悩みなど、きついこともあった。日本にいたら親も近くにいますし、仲のいい友達もいるので相談できるけれど、アメリカではそういうのを一人で乗り越えてきた。そういう経験をしたことで、この先バスケを続けていくうえではもちろん、ほかのことでも、きついときに頑張れる人になってきたと思うし、これからも頑張れると思います」
 ―― やつらが無視できないぐらいうまくなれ。
 きょうも木村はそのフレーズを胸に、さらにうまくなるためにもがいている。

文中敬称略

COLUMN
♯12 木村圭吾

「SLAM DUNK」で
好きなキャラクター、シーンは?


『SLAM DUNK 新装再編版』19巻より

山王工業の沢北が好きで、シーンで言うと、湘北対山王の試合で流川にやられたとき、沢北が「やられたらやり返しゃいーんすよ……3倍にしてね」というシーンが大好きです。沢北って、山王で1年のときから活躍しているじゃないですか。僕、そういうのに憧れがあったんです。アメリカに行ったり、何でもできる。しかも、すごい負けず嫌いっていうところがすごい好きです。僕も負けず嫌いなんで。そういうところ、沢北かっこいいなと思いますね。井上先生にサインをもらったときも、みんな花道とかを描いてもらっていたんですけれど、「僕は沢北なんで」って、沢北でお願いしたぐらいです。

© 井上雄彦 I.T.Planning,Inc.

■スラムダンク奨学金とは

『スラムダンク』の作者・井上雄彦の「この作品をここまで愛してくれた読者とバスケットボールというスポーツに、何かの形で恩返しがしたい」という志から始まり、高校卒業後、大学またはプロを目指しアメリカで競技を続ける意志と能力を持ちながら、経済的その他の理由でその夢をかなえられない若い選手を支援することで、その目的を果たそうと設立された。2008年から毎年、高校卒業見込み、またはそれに相当する学生を若干名選考し、現地でのセレクションを経てアメリカのプレップスクールに送り出している。これまでに15名が留学し、多くの選手がBリーグやアメリカの大学などで活躍している。

スラムダンク奨学金
主宰:井上雄彦、アイティープランニング有限会社、株式会社 集英社
協力:公益財団法人 日本バスケットボール協会

木村圭吾

きむら・けいご
2000年11月8日生まれ、東京都出身。実践学園中学校3年時に全国大会優勝。八王子学園八王子高等学校に進学し3年時に出場したウインターカップで1試合平均41・3得点を記録し、ベスト16に。2019年『スラムダンク奨学金』第12期生として、セントトーマスモア校に入学。20年コネチカット州セントジョセフ大学に進学。シューティングガード。184cm、82kg。

『PLUS/SLAM DUNK ILLUSTRATIONS 2』

井上 雄彦 著

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本体3,600円+税

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