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スラムダンク奨学生インタビュー #11
第6期生 山木泰斗

[連載]

#11 第6期生 山木泰斗

本気のプレーからあふれ出る気迫は強烈だった。自分をさらけ出してぶつかり合う日々に圧倒された。しかし、アメリカで味わった身を貫くような刺激こそ、求めていたものだと気付く。夢までの遠く長い道のりも目の前の一歩から。誰とでも打ち解けられる朗らかな人柄。その奥にあった山木泰斗やまきひろとの“芯”。それが純粋に100%バスケットボールに打ち込んだ日々から見えてきた。

※用語解説は記事末に記載します。

聞き手・構成=伊藤 亮


撮影/伊藤 亮

ルーティンはコーヒー

「ちょっと忘れ物をしちゃったんで、取ってきていいですか?」
 インタビュー冒頭、そう言って自家用車に戻った山木泰斗は、青いタンブラーを手に戻ってきた。椅子に座りながら、ズ……と一口すすって話し出す。
「コーヒーを飲むといい話ができるかなって。アメリカにいた時もプレゼンテーションの前に飲まないとダメで。飲むとすごい集中できるというか、考えがまとまるというか。バスケットボールをする時も、いつもコーヒーを飲んで軽く身体からだを温めつつ早めに練習に出てシューティングしてました、そういえば」
 好みの銘柄はない。苦味などにこだわりもない。ただ、絶対に買って飲まず自分で作る。なにか決まりを作ろうと試行錯誤しているうちに自然にできた習慣だという。
「これ、ルーティンですね。今思えばそうだ。全然意識してませんでした」
 周囲からの山木評は、
「ポジティブって言われますし、マイペースって言われますし、人によっては天然って言う人もいます」
「バスケットボール」と競技名を略さず口にする。質問一つ一つに対し、虚空を見つめながら答えを逡巡しゆんじゆんする。
「なんでバスケットボールが好きになったか……。自分でも思うんです。なんでだろう? 背が高かったのはあると思います。父親も背が高いし潜在的に自分も大きくなるだろうからって……でも……なんだろうな」
 必死に探す答えの先には、あっけらかんとした返答もある一方で、突拍子もない答えが待っていたりする。つかみどころがないようでいて、じつはつかみどころだらけだったりする。『スラムダンク奨学金』の第6期生は、独特で興味深い“間”の持ち主だった。

ホッケー部やサッカー部の選手との手合わせでアジャスト

 しかし、この独特の“間”が、相対している人間からすると親しみやすさを感じさせるから不思議だ。
「誰とでもスッと会話に持っていけるし、誰とでも近付けるんです。自分で言うのもなんですし、アメリカに行っても気付いていなかったんですが、人との距離を縮めやすいタイプらしいです。これはよく言われることで。もちろん相性はありますが、誰とでも仲良くできる。別に狙ってそうしてるわけではないはず……なんですけど」
 この“親しみやすさ”が、アメリカでの留学生活の助けになった。


質問に対し、虚空を見つめ自問自答する。「間違えのないように正確な答えを伝えるため」だが、どこかゆったりとした間に親しみやすさが漂う。撮影/伊藤 亮

『スラムダンク奨学金』は第5期生が「該当者なし」という理由で選出されなかった。この1期の空白が、6期生となった山木にのしかかる。サウスケントスクールへ留学直後は、アメリカの気迫に圧された。
「特に上の代のメンバーは日本人プレイヤーがチームにいなかったので、僕がポッと入ってきた時に“なんだこいつは?”って思いますよね。そこでシュートを決めないとボールが回ってこなくなる。相手にされなくなる。そんなこと経験してなかったのでキツかったです」
 予想はしていたが、レベルが高い。速い。大きい。すこし触れるだけでバランスは崩されるし、リム(※1)にアタックしても簡単にブロックされる。なにより、いついかなる時も本気。特に奨学生の先輩が不在だった山木にはフォローがなかったぶん、アメリカのバスケットを唐突に突き付けられた。
「どの奨学生も同じ感じだったのでしょうが、バスケットボールで留学しているのに認められないのはキツい。葛藤しますよね。日によってですけど、練習終わりとか『ちくしょう』ってなんともやりきれない気持ちになってました」
 幼い頃からテレビで夢中になって見たNBA。憧れたバスケットの本場・アメリカ。ずっと行きたかったアメリカ。しかし、実際に待っていたのは手荒い洗礼だった。
「最初は“これが、俺が行きたがっていたアメリカか……”と愕然がくぜんとしました。思っていた以上に強烈で圧倒されましたね。圧倒されました。言葉も、バスケットボールも、とりあえず圧倒されました」
「圧倒」という言葉を3回繰り返すところに実感がこもる。しかし、圧倒されっぱなしで終われない。「立ち向かわないといけない。そのためになにをなすべきか」。考えた末に出した結論は、
「ワークハーダーしかない。あと、アジャストしようと」
 誰よりも早く体育館に入りシューティングする。と同時に意識したのが“1on1ワンオンワン”だ。
「チームメイトでもいいし、バスケットボールをしているやつなら誰でもいい。1対1、2対2をしようと。アメリカ人のプレースタイルは、あまりにも違いすぎました。背は高い、腕は長い、身体は強い……そんな彼らにアジャストしなきゃいけない。そのために英語もまだ話せませんでしたが、とにかく誘っては勝負してました」
 驚かされたのは、バスケット部ではない人でも、勝負するととんでもなく上手うまかったことだ。最初のうちはサッカー部の選手にも1対1で負けた。
「体育館にいるやつをつかまえるんですけど、ホッケー部やサッカー部の連中なんですよ。なのに上手い。なんでバスケットボール部に入らないのか? と疑問に思ったほどです。だから、誰とやってもすごくいい練習になる。おかげさまでフィジカルに慣れて、チェックの素早さや高さにも慣れて、黒人特有のリズムにも対応できるようになりました」
 特別なことをしたつもりはない。みんながやっていたことに自分もならっただけ。しかし、英語が話せなくとも気さくに声をかけ、誰とでもバスケットができたのは本人の人柄もあっただろう。
「1対1、2対2でできたことを練習でも試す。それを繰り返しているうちに通用する感覚が得られてきて、チームメイトにも名前で呼ばれるようになって。僕が一番感じたのは、バスケットボールが違うということ。誰もが上手いし、誰とでもできる。でも、これぞアメリカというか。これこそ僕が憧れていたアメリカのバスケットボールだったんです」

“生きてる”感覚を求めて

 山形県酒田さかた市出身。父親がバスケット経験者。姉もバスケットをしていた流れで、小学校3年から始めた。低学年の頃から、父親の横でNBAや海外放送を見てアメリカへの夢を膨らませてきた。一方で、水泳も習っていたし、野球も父親に教えられた。チームに所属はしないまでも、サッカーやバレーボールも友だちとよくやった。その中で、なぜバスケットを選んだのか? 長い逡巡の末に出した答えは、
「どんな形でもいいので得点するのが特別なモーメントだったというか。あともう一つあるのは、あの勝負している感じ。たかがバスケットボールなんですけど、本気同士で削り合う、瞬間瞬間に集中できるところに“生きてる”感覚を得られるんです」
 中学時代で身長は180㎝台に。長身をかわれてセンター、フォワードとして県選抜にも選ばれた。高校は地元の強豪校・鶴岡つるおか工業へ。全国大会の経験はない。
『スラムダンク奨学金』のことは最初から知っていた。出会いは『週刊少年ジャンプ』。そこで第1期生の並里成なみざとなりとの記事を読んで「行けたらいいなあ」と幼心に興味が湧いた。その後も頭の片隅に奨学金の存在を置きつつ迎えた高校2年の冬、スランプに見舞われる。
「1~2年生の時はバリバリでスタメンだったんですけど、2年生後半から調子を落として、自分のやりたいことができなくて不満を持ってたんです。進路を考えるタイミングでスランプになり、なんというか……言うのであれば、世の中の人のあり方に疑問を持っていたというか。それもあって『スラムダンク奨学金』に応募したんですけど」
 アメリカへの挑戦に親も賛成してくれた。書類をダウンロードし、プレービデオを父親に撮影してもらった。「当たって砕けろ」のつもりが、書類審査で合格。トライアウトで渡米したのが、人生初のアメリカだった。
「トライアウトでは自分を出せました。ゾーンに入ってましたもん。ジャンプシュート(※2)をフェードアウェー(※3)で決めたとか、スリーポイントをどの角度から決めたとか、今でもよくおぼえています。プレイヤーにはあるんですよ、“あ、今日来てる”と分かる日が。この時は、現地の人とプレーできる楽しみと、相手が強そうだという緊張感がいい感じに混ざって最高の精神状態になったのではないですかね。だから合格の手応えはありました」
 帰国後、合格は部活帰りに父親からの連絡で知った。手応えは感じていたが、合格の瞬間は全身の力がすっと抜ける感覚をおぼえたという。
「ん? ほんとか? と半信半疑で。でも、携帯を見たら受かったみたいなことになっている。周りにいた仲間たちから『すげっ』って拍手もらって。自信になったかというと……たまたまトライアウトの時に実力が出せただけで、運もあったのかなと。アメリカで自分のプレーができた点は自信になりましたけど、合格後も高校では、自分の中ではあまりよくなかったかな。うん、よくはなかったですね」
 日本で、特に高校生活の後半は、どこか不完全燃焼だったかもしれない。「なにかが違う。ぎくしゃくしている。環境を変えて新たなことを学んでみたい」と考えるようになっていた。そんな18歳の青年に、アメリカはこれでもかというほどの刺激を用意してくれていた。

アメリカのバスケットと「Same Page」するために

 アメリカで圧倒された理由。それは「いついかなる時も本気」であったことに尽きる。
「自分もバスケットボールになれば感情を出す時はあります。でも、それは日本人目線であって、アメリカでは当たり前のこと。日本だと周囲に合わせたり、譲り合うことの方が多い。それでいい面もあります。が、みんなが協調するとどこかふわっとした感じになる。なあなあといいますか。アメリカでは一人一人が本気なのがスタンダード。毎日本気でぶつかり合うことで成長を実感する。そして、みんなが本気でぶつかり合っていてもチームが一つになる。そこが見習うべきところです。自分をさらけ出して、遠慮しないで全て出して見えるものがある。それがいいんです、単純にいいんです」
 実際、アジャストしだしてからは成長を肌で感じることができたし、自分のプレーが通用する感触も得た。なにより、高校時代に陥った自分を抑え疑問を抱きながらのプレーではなく、自分をそのままさらけだすバスケットは「生きている感じ」を直に感じられて心地よかっただろう。雑念を排し、ただただバスケットに集中してみたい。もし山木が日本でそう望んでいたのだとしたら、アメリカは厳しさも含めてまさにうってつけの、希望通りの環境だった。
 しかし、シーズンに入るとプレータイムはもらえたりもらえなかったり。シーズン開幕直前に癖となっていた右肩を脱臼してしまったこともある。しかし、理由はケガよりも他にあると考えた。
「ケガがあろうがなかろうが、いい選手はいいプレーをしますから脱臼は言い訳にならない。むしろ問題はコミュニケーションでした。アメリカのバスケットボールはセットプレーが多くて、どの場面ではどう動く、という型がたくさん決められているんです。それを『Same Page』と言って同じページ、つまり全員が同じイメージを共有する。でも、僕はいつも2ページくらい遅れて追いかけていた感じ。ついていくのに精一杯でした」
 コーチ・ジェフには「おまえはバスケをする前に英語を求めろ」とよく言われた。誰とでも仲良くできる人柄で人間関係には問題ない。意思疎通ならできる。コーチとの関係も良好だった。アシスタントコーチだったモース・ウィリアムは、今も「コロナ禍が過ぎたら遊びにおいで」と誘ってくれる。一方で、細かな戦術面のすり合わせにはどうしても一定の英語力が必要だった。
「練習中も試合中も会話がとにかく速いんです。自分はゆっくりしゃべってもらわないと分からないので、そのたびに『え? ん?』と戸惑ってしまう。英語のスピードについていけませんでした」
 もともと英語は、興味はあるものの熱心ではなかった。渡米してすぐ、TOEFLを受けて力試しをした。大学に進学できるラインは120点中60点。しかし初めてのトライでは「20点いくかいかないか」。『スラムダンク奨学金』に合格してから1年の間は家庭教師をつけて英会話を習っていたが、現実は厳しかった。
「授業も大変……でしたね。言っていることが聞き取れず、ずっと先生の発した言葉を心の中でリピートするマンブリングをしてました。今思えば効果はあったと思いますが」
 結局、サウスケントスクール留学後半でもTOEFLのスコアは40点にとどまる。ディビジョン3(DIV3)の複数の大学から声がかかったが、進学するには英語の結果が必要だった。
「卒業が近くなっても、まだアメリカにいたい気持ちが強くありました。家族も後押ししてくれて。そこで、右肩の脱臼癖を治す手術をしつつ、復帰までの間を英語に注力するためにウエストバージニア大に進むことにしたんです」
 奨学金事務局や日本人の知人の勧めもありウエストバージニア大学へ。一度バスケットボールから距離を置き、英語の勉強に集中した。そして2学期にはTOEFLで合格ラインの60点を突破。サウスケント時代にスカウトされていた複数の大学のうち、アシスタントコーチも勧めていたライカミング大学へ、翌年から半額の奨学金を得て進むことになった。

ライカミング大の4年間で感じた変化と成長

 ペンシルベニア州にあるライカミング大で日本人は一人。それでも、バスケットを封じた1年間の鬱憤うつぷんを晴らすかのように、1年からガードとして試合に出た。ライカミング大はDIV3とはいえ強豪校。山木が1、2年時にはリーグ優勝も果たし、1年の時はNCAAトーナメント(※4)まで出場している。
「チームメイトのレベルも高くて、必死についていったのが1年生。2、3年生の時にだいぶ対等にできるようになって、4年生の時は最上級生としてチームを引っ張りながら試合に出ていた感じです」
 サウスケント時代から課題だったコミュニケーションは、大学でもついて回った。しかし、年次が上がり、試合経験が蓄積されていくとともに行動は変わっていった。
 忘れられない試合がある。2018年11月20日のサスケハナ大学戦。この試合に向けた練習ではフォーメーションが崩れ、自分も勘違いからミスをし、チームは「Same Page」とは言えない状態にあった。そして山木は調子の良さを感じていたにもかかわらず、コーチから「外れろ」と言われてしまう。このことに納得がいかず、練習後コーチのオフィスへ直行した。
「自分が間違っていたところとコーチのやりたかったところを確認して、メモを取って、ボードに描きながらさらに確認して。それを翌日の練習で下級生に伝えてチーム練習が上手くいったんです。そして迎えたサスケハナ大戦でコーチに『ヒロ、行け』と言われて。試合はたしか敗れたんですが、そこで活躍できた時に“俺、成長したな”と」
 サウスケントスクールで1年、ウエストバージニア大学で1年、ライカミング大学で4年。計6年のアメリカ生活のなかで最も変化と成長を感じられたのが、ライカミング大学の4年間だったという。


サウスケント時代、ピックアップゲーム中にスカウトしてきたライカミング大。日本人一人の境遇でも4年間で中心選手に。写真提供/山木泰斗

 ケガを治し、英語もクリアし、本当にバスケット漬けになれた4年間。ライカミング大では「シニアゲーム」と呼ばれる4年生の引退試合があった。その試合前にはコートでセレモニーが行われ、花束を渡され記念撮影をするなどして卒業する4年生たちを祝福する。その最後の試合で撮影されたプレー写真は今、酒田市の実家の部屋に額に入れて飾られている。もしなにかで行き詰まりを感じることがあっても、当時の空間と時間をいつでも取り戻せるように。それほどまでにこの4年間は、アメリカでやりたかったこと、バスケットでやりたかったことを実現できたという意味で、自分史に深く刻まれているようだ。

今を一生懸命生きる

 ポジティブでマイペースでたまに天然……周囲からはそう見られる。だがその実、本人は考え込んでしまうところがあるという。
「壁に当たって葛藤して、内向的になってしまうのも分かります。自分もアメリカで上手くいかなかった時はサッカーの本田圭佑ほんだけいすけのドキュメントをずっと見てました。自分と同じように海外に挑戦している人のことを見て希望をもらっていたというか。自分を慰めるツールとしてよく見ていたのを思い出します」


(写真右)手作りコーヒーを入れる使い込まれたタンブラー。現在はアメリカで使っていたものとは別のものを使用。(写真左)自宅に飾ってある「シニアゲーム」の写真。思い入れの強い1枚だ。撮影/伊藤 亮

 2019年5月、ライカミング大学を卒業した山木は、故郷に戻った。そしてホームセンターなどで日払いのアルバイトをしつつ、クラブチームでバスケットを続けていた。アメリカにいる頃から、日本のBリーグのチームに誘われてはいた。だが、大学4年時に痛めた左肩の手術に、新型コロナウイルス感染拡大の影響が重なり、事態は変わった。
「大学の時に、今度は左肩を二度ほど脱臼して。それで調子がくるい、違和感も出てきて相手とコンタクトするのに不安を覚えるようになりました。もしこの先日本でプロになるのなら、今のうちに手術しておいた方がいいだろうという判断で。現在、状態はよくなったのですが、チームとの契約まではなかなかたどり着けず……」
 取材時点では、まだBリーグのチームとの契約に至っていなかった。焦りがないといったら噓になる。ついつい不安が頭をよぎる。だが、そのたびに思い直すことがあった。
「これが現実ですから。アメリカの時も同じような状況は散々あったので、今もその一つととらえています。とにかく、今できることをやろうと心がけて。今を受け止めて毎日できることを探してやり続けるだけです」
「今を一生懸命生きること」。これが『スラムダンク奨学金』から始まったアメリカ生活6年で学んだ教訓だ。
「サウスケントに行って、日本では通用したものがまったく通用しなかった。そこでどうすればいいのか。精一杯試行錯誤して、少しずつ工夫を加えて行動に移す。そこで失敗、成功したことを踏まえてまた次を見つけていく。何度もその繰り返しで今の自分があるんです。アメリカでは毎日“今できることをやれ”と自分に言い聞かせてました。ネガティブになった時、それでもなにかを得て、どのように結果が出る形に結び付けられるよう“今”を変えられるか。ついつい将来を考えたりするのですが、そうじゃないといましめてます。今、なにかを積み重ねてその先、1年後の自分につなげていこう、と」
 アウトサイドからはスリーポイントシュートを狙う一方、果敢にリムアタック(※5)してシュートかパスでディフェンスのリズムを崩すプレースタイル。アメリカではコーチに「ファーストステップが速い」と評価されたように、脚力には自信がある。アメリカで相対したのは巨体かつ身体能力の高い選手ばかり。彼らを相手にリムアタックするには当初勇気が必要だったが、必死に観察して自分のできる範囲に落とし込んで身に付けた。
「人と話す時はきちんと伝えようと丁寧になりますが、バスケットボールをする時は割り切っているので。ちょっと感情が入るかな」
 アメリカ仕込みのスピードあふれるリムアタック。本気の山木泰斗のプレーは、日本でどう映るのか。2020年11月、B2のパスラボ山形ワイヴァンズに通訳として契約した。ここから選手契約を目指し、山木泰斗の一生懸命な今は続く。

文中敬称略

■用語解説
※1 リム: ゴールのリング部分のこと。
※2 ジャンプシュート: 止まった状態からジャンプし最高到達点でボールを放つシュート。
※3 フェードアウェー: 後方にのけぞるようにジャンプしながらボールを放つこと。
※4 NCAAトーナメント: 全米大学体育協会が主催する大会。ディビジョンごとに年に一回開催され上位チームが出場し、トーナメント方式で優勝を争う。
※5 リムアタック: ドリブルでゴールを目指して切り込んでいくこと。

COLUMN
♯11 山木泰斗

「SLAM DUNK」で
好きなキャラクター、シーンは?


『SLAM DUNK 新装再編版』13巻より

好きなキャラクターは流川楓です。冷静で淡々と、でも華麗にゴールを決めるところに憧れるんです。しかもスリーポイントからダンクから全部決める。ウキウキしてきますね。特にダンクは僕からするとダントツでかっこいい。幼い頃からNBAを見て育ってきたので、「バスケットボールプレイヤーとしてダンクができたらかっこいいな」とずっと憧れていました。その点も含めて、華があるプレイヤーはやはり惹き付けられます。自分にとって流川は目指すべきプレイヤーの理想像です。

© 井上雄彦 I.T.Planning,Inc.

■スラムダンク奨学金とは

『スラムダンク』の作者・井上雄彦の「この作品をここまで愛してくれた読者とバスケットボールというスポーツに、何かの形で恩返しがしたい」という志から始まり、高校卒業後、大学またはプロを目指しアメリカで競技を続ける意志と能力を持ちながら、経済的その他の理由でその夢をかなえられない若い選手を支援することで、その目的を果たそうと設立された。2008年から毎年、高校卒業見込み、またはそれに相当する学生を若干名選考し、現地でのセレクションを経てアメリカのプレップスクールに送り出している。これまでに15名が留学し、多くの選手がBリーグやアメリカの大学などで活躍している。

スラムダンク奨学金
主宰:井上雄彦、アイティープランニング有限会社、株式会社 集英社
協力:公益財団法人 日本バスケットボール協会

山木泰斗

やまき・ひろと
1994年9月4日生まれ、山形県出身。中学生時に山形県選抜に選ばれ、地元の強豪・鶴岡工業高校に進学。2013年スラムダンク奨学金第6期生として、サウスケントスクールに入学。14年ウエストバージニア大学の語学コースで英語習得に専念。15年にライカミング大学(四年制)に入学。19年同大学卒業。20年11月パスラボ山形ワイヴァンズと通訳として契約。シューティングガード。188cm、82kg。

『PLUS/SLAM DUNK ILLUSTRATIONS 2』

井上 雄彦 著

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