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スラムダンク奨学生インタビュー #9
第7期生 村上駿斗

[連載]

#9 第7期生 村上駿斗

周りに流されるままをよしとせず、自分の信じる考えをやりきることで結果を出してきた。その生き様はアメリカの地でも通用した。しかし、最善の判断が最高の結果を招くとは限らないことを知る。それでも信念を貫くか、新たな生き方を取り入れるか。18歳にして訪れた大きな葛藤。その先に下した結論は――

※用語解説は記事末に記載します。

聞き手・構成=伊藤 亮


撮影/伊藤 亮

「人と同じことをするな」

 体育祭では応援団長。合唱祭では歌も楽器もたしなんでいないのに指揮者。クラスでは学級委員。もちろんバスケットボール部では部長。特に中学生の時はなんでも率先して大事な役割を引き受けた。
「人と同じことをするな」
 教員である父に、ずっと言われ続けてきた。
「幼い頃から、みんなが持っているものを欲しいと言うと『よそはよそ。うちはうち』。どの家庭でも言われることでしょうが、僕の家では本気で言われていて。だから、人と違うことをする思考が根付いたんです。もっとも、中学の時はどちらかというと目立ちたかったんですが」
“周囲がそうしているから”は理由にならない。だから、『スラムダンク奨学金』へ挑戦することも躊躇ちゆうちよはなかった。
「アメリカはバスケの本場であること。あと高校を卒業後、みんなと同じように日本の大学へ進まなくてもいいのではないか、と考えていて」
『スラムダンク奨学金』に応募するとなると大学推薦の話は全て断らなければならない。将来を左右する重要な岐路。だが、迷わなかった。
「高校3年春に監督と進路に関する面談をした時に、『大学からの話も来てるが、どうする?』と言われましたが全部断りました。どこから誘われているのかも聞かなかった。もし有力な大学から魅力的なオファーが届いていたら迷うかもしれない。迷いたくなかったので『スラムダンク奨学金一本で』と話しました。もし不合格なら大学を一般受験する覚悟でした」
 人生を決める一発勝負。「今思い返すと、よくそんな自信があったなと思うんですけど」と笑うが、合格する自信はあった。中学時代、山形県のジュニアオールスターではキャプテン。全国から参加者を募り選考されるJr.NBA日本チームJOMO CHALLENGEでは、最終合格者12名中、最年少で唯一の中学1年生として選ばれた。3年時には県大会優勝。山形南高校に進学後もインターハイベスト16。ウインターカップにも出場。ガードからセンターまでこなすオールラウンダーとして県内では名の売れた選手だった。その過程で同世代の全国レベルの選手たちと知り合い、交流していたことで、進路に関する情報を得ていたことも大きかった。
「みんな、進学する大学の話をしていて。ということは、彼らは『スラムダンク奨学金』には応募してこないはず」
 だから、合格を知った時も平然と受け止めた。
「よーし、ここからいろいろやらないとって。やるからには何か爪痕を残したい。ディビジョン1(DIV1)の大学に進むことはもちろん、がんばっている姿を見せたい。現地では僕という人間を通して日本人が評価されてしまう。そういった責任を自らに課しました」
 やるからにはこれまでの奨学生とは違うことを。『スラムダンク奨学金』第7期生・村上駿斗むらかみしゆんとはたぎる野心を胸に2014年3月、アメリカへ飛んだ。

「いったい何が起こった?」

 英語は最大限準備していたつもりだった。
「バスケットで評価されても最後は英語の壁でDIV1に進めなかった先輩方が少なからずいた、という話を聞いていました。なので合格後も地元に来ていた留学生から英会話を習ったりしていたのですが」
 しかしネイティブの英語となると勝手が違う。理解できないことで余計重圧が襲う。だから、ただのピックアップゲームでも動揺した。何を話しているか分からないのはもちろん、チーム分けもよく分からない。思わず相手チームの選手にパスをしてしまい、周囲にいぶかしまれた。
「小学校4年でバスケを始めた時ですらそんなことしなかったのに。アメリカに来たらいきなりこんなことになるんだと。テンパってる自分に自分でびっくりしました」
 現実に直面してまず思ったことは、
「とりあえず勉強しよう」
 ということだった。
「まずは最低限の単語と文法を覚えて喋りたいことを伝えられるように。そこから英語の容量を増やす。まず目の前の足りないところから自分で考えてやっていきました」
 夏はIMGアカデミーで過ごしたが、バスケットより勉強。1日10時間以上集中した。
「勉強は嫌いですけど、要領はいいので。日本にいる時もテストの点数をとれると思うまでやった。大丈夫だと確信したら以降はやらない。危機感を覚えたらやるタイプです」
 無駄を省き、必要と考えたことだけに集中する性格。その要領の良さと集中力の高さは、すぐ、しかも飛躍的に伸びたテストの結果で証明された。


高校時代も下宿生活だったため、寮生活にはすんなり順応。ただ、雪国育ちでもサウスケントの冬は厳しかったとか。撮影/スラムダンク奨学金事務局

 新学期となる秋に帰ってきたチームの面々も、2~3カ月前までピックアップゲームすらまともにできなかった村上が流暢りゆうちように英語で話していることに驚いた。
「『いったい何が起こった?』と聞かれたので『日本に帰らずIMGで勉強してた』と英語で説明して。コーチのケルビン・ジェファーソンもすごく喜んでくれた。『おまえがどれだけ努力したか、話していれば分かる』って。バスケではないですが学業のハードワークを評価してくれて、チームメイトにも認めてもらえました」
 新シーズン前の時点で英語をクリアし、チームにも溶け込んでみせた。以後も村上の快進撃は続く。サウスケントスクールではランチ時に成績優秀者の発表があるが、発表される生徒の常連になった。さらにチームでもスタメンを早々に勝ち取ることに成功するのである。
 村上の代のバスケットチームは、実力者が居並び例年以上にハイレベルなチームだった。
「最終的にDIV1に進んだ選手が6人はいました。レベルの高さは最初から分かっていたんです。なぜかというと、寮に各選手のポストが設置されているんですけど、大学からすごい量の勧誘レターが届く。大げさでなく100通以上のレターがポストに入っているのを見たんです。たしかに全員すごい実力だった。逆にいえば、このなかでスタメンになり試合に出られれば、自分はDIV1レベルだということ。なのでプレータイムを勝ち取りに出ました」
 将来のNBA候補生がそろうなかでも、さらに飛び抜けた存在がいた。トレモント・ウォーターズ。2019年のNBAドラフト2巡目、全体51位でボストン・セルティックスに入団したスター候補。しかも、ポジションは村上と同じオールラウンダー型のガード。身長は村上より低い175㎝で年齢も 二つ下だ。
「弟と同じとしなんですよ。日本だったら年齢が一つ違うだけで相当実力差がつく世代なのに、めちゃくちゃうまい。年齢は関係ない、世界は広いと気付かされたのが彼の存在です。これはかなわない。それでも試合に出るためにできることを必死に考えてました」
 チームはNBAを目指す選手ばかり。当然アピール合戦になる。だが試合では完全エースのトレモントが全部やってしまう。選手のなかにはスタンドプレーに走る者もおり、チームのまとまりに欠けていたのが問題だった。そこで選手同士が話し合いをするなか、トレモントを活かし、かつチームを機能させる役割として村上の名前が挙がった。
「トレモントとコンボガード(※1)という形で僕が出る。ガードが僕しかいなかったのもありますが、『シュントを使った方がいい』と何人かが進言してくれて。その後コーチに呼ばれていきなり『次の試合からスタメンで行くぞ』と」
 チームにはトレモントがいる。だから、自分は余計なことはせず、彼が疲れた時は代わりにボールを運ぶなどサポート役に徹する。舵取り役となるポジション柄英語をマスターしていたこと、そして最初からチームメイトに人柄を分かってもらえていたことが功を奏した。
 コーチ・ジェフに信頼されていたことも大きかった。
「決定権があるのはコーチで、バスケを教えてくれるのもコーチ。であれば、本人から少しでも多くを得て試合に使ってもらおうとしていた部分はあります。普段からみんな授業の空き時間などにコーチルームを訪れてテレビを見ながら談笑するんですけど、僕もよく行ってました。僕にとってはアメリカのお父さんみたいな存在でした」
 コーチ・ジェフは現在ギャノン大学のヘッドコーチになったということで連絡をとる頻度は減ったが、今でもフェイスブックでつながっている仲である。

自分にだけ届かない大学からのレター

 誰もが認める実力の持ち主、トレモント・ウォーターズ。だが同ポジションとして、ただ手をこまねいていただけではない。
「二人で1on1ワンオンワンをずっとやってました。最初は僕がなんとか食らいつきたくてお願いしていたんですが、続けていくうちにやつからも声をかけてくれて」
 最初はまったく歯が立たなかった。1on1は攻守に分かれて行う1対1のゲーム。ボールを奪うか、外したシュートのボールを取れば攻守が交代する。当初はディフェンス一辺倒だった。トレモントからボールを奪えないし、ミスもしなかったからだ。
「でもシーズンが始まる前くらいから、徐々に勝つようにもなってきたんです。思うに、最初はアメリカという新たな環境でメンタルが不安定になったことで思い通りのプレーができていなかった。それが相手のレベルに引き上げられると同時に、英語を覚え地に足がついてきたことで自分が出せるようになったことで勢いづいたのでは」
 トレモントと競り合えるレベルになればDIV1への進学、そしてその先のNBAに近付ける。まさに理想的といえる環境とチームメイトの間で、持ち味の要領の良さも手伝い実力を伸ばしていった。
 しかし、ほかのチームメイトには山のように送られてくる大学からの勧誘レターが、村上へは一向に届かない。
「チームメイトにはオファーが来て、シーズン中に大学へ見学に行ったりしてる。自分にもちょっとは話があってもいいのに、なんでだよと。英語も最低限のレベルはクリアしていたのでオファーがあればDIV1に行けた。それまでの奨学生はバスケットで評価されても英語の評価が厳しかったのに、僕の場合は逆だったのが悔しくて」
 実家には弟も妹もいる。多額の資金を要するアメリカの4年制大学へ進むにはフルスカラシップを勝ち取るしかなかった。それがアメリカで挑戦を続ける際の親との約束だった。
 ショックだったのは、試合や練習を見に来ているスカウトの前で猛アピールしても、見てもらえず、全く活躍していない選手のもとへ歩み寄っていく姿だった。
「チームメイトに『彼らは何を見に来ているんだ?』と聞いたら『最初から決まっているんだ』と。以来、考え込むようになりました。そもそもスタート地点が違う。チームメイトはサウスケントに来る前から注目されていてシーズンを通して評価を確定させていく。僕がいくらアピールしたところで、見に来ているスカウトの目的は決まっているんです」
 それでもスカウトを振り向かせるには、強烈なインパクトを与える必要がある。しかし、自分はチームの調整弁としてスタメンになっている。必要以上に出しゃばることがあってはならない。
「めちゃくちゃ速いわけでもシュートが入るわけでもない。上背もない。そんな僕が試合で30点取ろうとすれば試合はめちゃくちゃになる。もっとアピールできたことはあったかもしれないと今でも思いますが、それをしていたら試合に出てないな、と」
 シーズンが終了した時点で、DIV1の大学から村上へ届いた勧誘レターは、0だった。

後輩の奨学生の言葉が変えた“その後”

「ウォーク・オン、いわゆる一般入試での進学も考えたし親にも相談しました。でも経済的負担に加え、バスケもスカウトした選手が優遇されるだろうからベンチにすら入れない可能性が高い。DIV2の大学のトライアウトを受けて合格を確信したこともあります。でも直後にその大学のコーチ陣が総入れ替えになって話が立ち消えになってしまった。DIV3からは3校くらい話があって、コミュニティカレッジへの進学も考えたのですが、ズルズル引きずりたくなかったので日本への帰国を決めました」
 救いだったのは孤独に陥らず、友人とともに時間を過ごせたこと。そしてチームメイトたちからの励ましだった。
「多くの仲間がDIV1進学を決めた一方で、僕が行けなかったのは決して実力の問題じゃないと言ってくれて。レベル的には絶対にDIV1で通用するし、負い目を感じて自信をなくすことはまったくない、と断言してくれて。お世辞だったかもしれない。でも、いっしょにやってきた彼らにそう言われたのが救いでした」
 それでも、帰国を決めてから卒業までの間は精神状態が不安定になった。
 常にやるべきことを選択し判断し、100%やりきってきた。言い訳の余地を0にして、いかなる結果になろうと後悔や未練を残さない。白黒をはっきりさせ、潔く。それは『スラムダンク奨学金』での1年間でも変わらなかった。なのに……。


同じ東北出身者として影響を与え合った村上と猪狩(左)。その後B2リーグで直接対決も実現した。写真提供/猪狩 渉

「レターが最後まで届かなかった。それまで18年生きてきて、初めて自分ではどうにもならないこともあるんだな、と気付かされた瞬間でした」
 自分のなかに後悔、未練はない。でも、“何か”が引っかかっている。
「日本で一般受験して大学1年からやり直そうかと。バスケットには区切りをつけて、地元の公立大学に入って教員を目指す。そんな話を親とも進めていました」
 経験したことのない“何か”を消化しないまま、一度はこれまで通り潔く挑戦に終止符を打とうとした。
「でも猪狩いがりに『駿斗さん、それでいいんですか?』と言われて。『これだけやってきて、本当はみんなと同じようにDIV1に行けるレベルなんですよ? なのに辞めるなんておかしいっすよ。バスケ、絶対続けた方がいいっす』って。その言葉に、また考えさせられました」
 経緯は当連載の♯6に詳しいが、『スラムダンク奨学金』第8期生の猪狩わたるは、村上に声をかけられたことで奨学生を目指した。そして見事合格してアメリカに渡ってきた猪狩が目撃したのが、帰国を決めた直後の村上の姿だったのだ。
「アメリカに来いと誘って一大決心させておいて、本人は意気消沈してバスケ辞めるとか言ってる。猪狩からしたらびっくりですよね」


コーチ・ジェフからは「悔しさを受け止めつつ、次に向けて最大限の準備を」と教わった。その教えは今に生きる。撮影/伊藤 亮

 バスケットは大好きだ。でも今までの自分ならバスケを辞める決断をする。だが今回に限ってそれは正しい判断なのか。激しい葛藤の末、ラストチャンスを自分に与えた。
「本当はバスケを続けたいし、アメリカで得たことを形にしたいし、お世話になった井上いのうえ先生をはじめ奨学金関係者の方々にも恩返しがしたい。そこで帰国するタイミングで地元のパスラボ山形ワイヴァンズ(当時NBDL(※2))のトライアウトがあることを知って。それだけは受けさせてもらえるよう親にお願いしました。落ちたらバスケはきっぱり諦めると。そして受かったので今の人生があるんですけど。僕が猪狩の人生を、猪狩が僕の人生を、互いに変え合ってますよね(笑)」

「諦めに挑戦したい」

「自分の人生は全部自分が責任を持って切り拓いていく。これが『スラムダンク奨学金』で学んだことです。アメリカ人は特にですけど、中国、韓国、セルビアの友人もみんなやりたいことが明確で、やるべきことも分かっていました。選手に限らず、交流した人みんなそうだった。ずっと『人と同じことをするな』と言われて育てられてきましたが、特別なことではないんですよね。世界では自分で考えて人生を歩む方が当たり前なんです」
 地元の山形に戻った後、日本ではBリーグが開幕。村上は広島ドラゴンフライズ、ライジングゼファーフクオカとB2リーグのチームで評価を上げ、2020 - 21 シーズンからはB1リーグの滋賀レイクスターズにステップアップした。開幕戦ではチームのシーズン初得点を記録するなどチーム最多得点の活躍。B2からB1にレベルが上がって最初の試合でスタメンを飾り、かつ移籍直後からチームを引っ張るパフォーマンスを発揮することは相応の実力と心の強さがなければなしえない。
「B1でやりたいというのが短期目標としてあって。次はプレータイムを勝ち取っていく。そしてその先、やるからには日本代表を目標にしてやっていく」
 そして「あと、一つあるのが……」と付け加えた言葉に心の底が見えた。
「いつ引退するか分かりませんが、それまでにもう1回アメリカにリベンジしたい。NBA選手になれるとは思っていないですけど、最後に区切りをつけたいな、と」
 自分ではどうにもならないこともある。でも、いや、だからこそ今の自分でかつての自分が残した“わだかまり”にきっちりケリをつけたい。そうしなければ気が済まない。
「諦めに挑戦したいんです」
 村上駿斗のなかで『スラムダンク奨学金』のタイムアップのブザーは、まだ鳴っていない。

文中敬称略

■用語解説
※1 コンボガード: ポイントガードを補佐する役割も持ったシューティングガード。
※2 NBDL: ナショナル・バスケットボール・デベロップメント・リーグの略で、Bリーグの前身となった団体の一つ、ナショナル・バスケットボール・リーグ(NBL)の下部組織。

COLUMN
♯9 村上駿斗

「SLAM DUNK」で
好きなキャラクター、シーンは?


『SLAM DUNK 新装再編版』20巻より

山王戦で安西先生が桜木花道に白状するシーンが、何回読んでも泣けます。花道の背中のケガによる異変に気付いていながら、代えたくなかった。すごい信頼関係ですよね。きっと安西先生は花道のことを、選手としてだけでなく人としても好きだったのではないでしょうか。だから成長し、活躍する姿を見ていたかったんだと思います。嫌いだったらこのような判断は絶対しないでしょう。どことなく、サウスケント時代の僕とコーチの関係に似ているかもしれません。

© 井上雄彦 I.T.Planning,Inc.

■スラムダンク奨学金とは

『スラムダンク』の作者・井上雄彦の「この作品をここまで愛してくれた読者とバスケットボールというスポーツに、何かの形で恩返しがしたい」という志から始まり、高校卒業後、大学またはプロを目指しアメリカで競技を続ける意志と能力を持ちながら、経済的その他の理由でその夢をかなえられない若い選手を支援することで、その目的を果たそうと設立された。2008年から毎年、高校卒業見込み、またはそれに相当する学生を若干名選考し、現地でのセレクションを経てアメリカのプレップスクールに送り出している。これまでに15名が留学し、多くの選手がBリーグやアメリカの大学などで活躍している。

スラムダンク奨学金
主宰:井上雄彦、アイティープランニング有限会社、株式会社 集英社
協力:公益財団法人 日本バスケットボール協会

村上駿斗

むらかみ・しゅんと
1996年2月17日生まれ、山形県出身。白鷹町立東中学で山形県大会優勝。山形南高校ではインターハイ、ウインターカップでともにベスト16入りを果たす。2014年スラムダンク奨学金第7期生として、サウスケントスクールに入学。帰国後15年にパスラボ山形ワイヴァンズ(NBDL)に入団。17年に広島ドラゴンフライズ(Bリーグ)、19年にライジングゼファーフクオカ(Bリーグ)、今シーズンより滋賀レイクスターズ(Bリーグ)。ポイントガード、シューティングガード。185cm、85kg。

『PLUS/SLAM DUNK ILLUSTRATIONS 2』

井上 雄彦 著

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