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スラムダンク奨学生インタビュー #6
第8期生 猪狩 渉

[連載]

#6 第8期生 猪狩 渉

バスケットボールに夢中になったのはマイケル・ジョーダンに、そしてNBAに憧れたから。そのことを思い出したとき、海を渡ることを決心した。憧れの世界にどれだけ近づけるかを試すために。

※用語解説は記事末に記載します。

聞き手・構成=宮地陽子


撮影/和田篤志

「根拠のない自信」だけは持っていた

 偶然と必然が交わったとき、運命が動き出した。
 運命の場所は大分のホテルの大浴場。当時、能代のしろ工業高校2年だった猪狩渉いがりわたるは、インターハイ出場のために泊まっていたホテルの大浴場で、山形南高校3年の村上駿斗むらかみしゆんとにばったり会った。村上とは、中学時代に福島県と山形県のジュニアオールスター選抜として対戦したことがあり、親しいほどではなかったが、顔見知りだった。
 そのとき、浴場にいたのは偶然、猪狩と村上の二人だけだった。話すうちに、高校卒業後の進路の話題になった。猪狩が村上に「駿斗さん、大学はどうするんですか?」と聞くと、村上は「俺はスラムダンク奨学金でアメリカに行くよ」と宣言した。続けて「だからお前も来いよ」と誘われた。
『スラムダンク奨学金』のことは、小学生の頃から知っていた。『月刊バスケットボール』に載っていた1期生の並里成なみざとなりとの記事を見たことも覚えている。その後も、歴代の奨学生の情報は追っていた。それでも、自分が応募することは考えてもいなかったという。
 村上の誘い言葉が、そんな猪狩の背中を押した。
「あの人にそう言われたのは大きかったですね。あれがなければ、たぶんアメリカには行っていなかったと思います」
 子どもの頃からアメリカ、NBAへの憧れはあった。
 バスケットボールを始めたのは小学1年のとき。しかし、その頃のことはあまり覚えていない。バスケットボールが好きで始めたわけでも、特に思い入れがあったわけでもなかったのだ。両親が、家でビデオゲームばかりしていた彼を地元のスポーツ少年団に入れたのがきっかけだったと、おぼろげな記憶をたどる。
 小学2年のある瞬間から、バスケットボールの記憶が鮮明になる。実は、猪狩の父や父の弟二人は元バスケットボール選手だった。その弟の一人、猪狩にとって叔父からマイケル・ジョーダンのビデオをもらったことが、夢中になるきっかけとなった。
「衝撃を受けたのをすごく覚えています。『すげえ。人間ってこんな動きができるんだ』って、感銘を受けました」
 家には父たちによる手作りのゴールがあった。それをジャンプしたら届く高さにつけ、ジョーダンになった気分で、家の中でダンクシュートや空中プレーの練習をしていた。どんどん、バスケットボールの魅力に取りつかれていった。
 最初に読んだ漫画は『スラムダンク』。父や叔父たちが読んでいた、色褪せたコミックが家にあったのだ。むさぼるように読み、1対1に強い沢北さわきたに惹ひかれた。
 村上から誘われたときに頭に浮かんだのは、そんな光景だった。ジョーダンに憧れ、少しでもNBAに近づこうと頑張っていた頃の記憶。それを思い出したときに、アメリカで自分の力を試してみたくなった。それが自分の選ぶべき道だと思えた。
「最終的に俺ってどうしたいんだろうって考えたときに、原点はマイケル・ジョーダンだったんですよね。ああなりたいと思って練習もしていた。それなら、どれだけNBAに近づけるか、アメリカでどれぐらい通用するのか試してみたいと思った」
 なぜか、子どもの頃から「根拠のない自信」だけは持っていた。だから、『スラムダンク奨学金』に応募したときにも、合格してアメリカに行くと自信を持っていた。
「なんでか、『俺ならできる』みたいな自信はちっちゃい頃からずっとありました。誰よりも練習しているという自負はあったんで、高校で試合に出ていないときでも『俺のほうがうまい』『負ける気はしない』みたいな気持ちはずっとありました」
 そう、村上から誘われた頃の猪狩は、高校であまり試合に出られない日々を送っていた。
 高校に入るまでは、地元のミニバス・チームでも、福島県の中で強豪として知られるいわき市立中央台北中学校でもエースとして活躍。中学の頃には点取り屋で、毎試合30~40点取っていた。高校は名門の能代工業高校に進学。子どもの頃からプロ選手になることを夢見て、強豪高校から大学に進学し、活躍してプロ入りという道筋を思い描いていた。
「小学生の頃から何か、ませたガキだったんです。自分の好きなことを将来仕事にできたらきっと幸せなんだろうなぁと考えていて。ということはやっぱりプロだなって」
 しかし、能代工業高校ではなかなか試合に出られなかった。1年の夏にBチーム(2軍)からAチーム(1軍)に上がったが、全国大会のメンバー15人には入れず、大会に帯同しても、洗濯やデータ取りといったサポートの役回りだった。
「違う高校だったらもっと試合に出ていたんだろうなと思ったりはしました。当時は、何でもっと俺のことを使ってくれないんだと思っている自分もいました。根拠のない自信ばっかり達者で。今振り返ってみると実力がなかったんだと思いますけれど」
 そんなときに『スラムダンク奨学金』に応募したことで、未来が開けた気がした。書類選考とビデオ審査を通過して、いよいよ最終選考。アメリカどころか海外に行くのも初めてで、最終選考に行くためにパスポートを取った。
「最終選考にいたほかの選手は、U18の世代別代表に入っている選手や、各校のエースが集まっていて、その中では僕が一番実績がなかった。すごく心細かったのは覚えています。でも『絶対に受かってやる』っていうフツフツとした思いはあって、とにかくギラついていましたね。英語わからないけれど、めちゃめちゃ喋って(笑)」
 最終選考では、ボールが来たら絶対にパスを出さずに自分で攻めると決めていた。過去のスラムダンク奨学生のインタビューやブログを読み、パスが来ないことを知っていたのだ。中学のときに点取り屋だったこともきた。積極的に攻めたらコーチに褒められた。それどころか、「もっと点数を取りに行け」とハッパをかけられ、それが新鮮だった。
「『あ、俺、点数取っていいんだ』と思って、すごく嬉しかったんですよね。点数取るのは僕がバスケットやっている理由でもあるので。アメリカのバスケって、すげー楽しいなって思った。手ごたえ、ありましたね。最終選考が終わって、『決まった』と思いましたから。それもまた根拠のない自信(笑)」

IMGアカデミーからの勧誘

 スラムダンク奨学生に選ばれ、意気揚々と留学先のサウスケントスクールに行った直後に、いきなり鼻をへし折られ、その「根拠のない自信」が吹き飛ばされた。よく、チームメイトたちとピックアップゲームや1対1をやっていたのだが、168㎝の自分と同じように小柄なアメリカ人選手相手に、まったく歯がたたなかったのだ。
「正直、その頃は自分と同じサイズだったら、アメリカ人が相手でも負けないという自信があったんです。でもアメリカに行った途端にその鼻をへし折られた。大きい選手にやられるならともかく、同じぐらいのサイズの選手に歯がたたなかった」


Victory Rock Prep と対戦するIMG在籍時の猪狩。「シーズン中盤、出場時間も増えて一番楽しい時期でした」  写真提供/猪狩 渉

 普通なら、そこで屈辱感を味わうのかもしれないが、猪狩は内心、嬉しくてしかたなかったという。「悔しいというよりも、こいつにもできるんだったら俺にもまだまだできるなって思って、ワクワクを感じたのを覚えています」
 その選手、トレモント・ウォーターズは、その後ルイジアナ州大を経て、2019年のNBAドラフト2巡目で指名され、現在はボストン・セルティックスに所属している。

 留学から2カ月余り過ぎ、最初の学期が終わると、猪狩はIMGアカデミー(※1)のサマーキャンプに参加した。キャンプでのプレーが認められ、夏が終わる頃にコーチからIMGに残るようにと勧誘された。
「IMGは設備もすごく、まわりも意識の高い選手が多くいたので、より成長できるのではないかと、井上いのうえ先生に直談判しました。サウスケントに戻ったとしても、トレモントとポジション争いしなくてはいけないし、正直、難しいというのも感じてはいた。だったら、IMGのほうがチャンスがあるのかなって思ったんです」

 IMGアカデミーでは、“ナショナル”と呼ばれる1軍チームと“ブルー”と呼ばれる2軍チームがあった。試合は別だが、練習は合同で行われる。シーズンの最初2カ月は“ブルー”だった猪狩だが、練習で少しずつ信頼を得て、まもなく“ナショナル”に昇格した。
 昇格して最初の遠征試合の対戦相手は、渡米直後の2カ月間在籍したサウスケントだった。


盟友ジョナサン・アイザックと。これだけの身長差があっても身体能力で負けないことを目指す。撮影/宮地陽子

「サウスケントには仲良くなった友達もいたし、コーチもいた。みんなに成長した姿を見せてやりたいと思って張り切っていました。試合途中から出たときには10点差ぐらいで負けていたんですよね。でも僕のアシストやスティールからの速攻レイアップで一気に点差を縮めた場面があって。1分弱の出場時間だったんですけれど、その勢いで逆転して。最終的にはサウスケントに勝った。その次の試合から15分ぐらい、シーズン最終戦は20分ぐらい出させてもらえるようになった。俺でもできるという気持ちになれました」
 そのときにマッチアップしたのは、渡米直後に完璧に叩きのめされたウォーターズ。短い時間だったが、「あの頃よりはちょっとやれるかなという手ごたえも感じた」と振り返る。
 ウォーターズら、NBAレベルの才能をもつ選手たちとの出会いは、留学中の経験のなかでも特に刺激的な出来事だった。IMGアカデミーのチームメイトのなかにも、2017年のNBAドラフト1巡目6位でオーランド・マジックに指名されたジョナサン・アイザックがいた。クリスマス休暇にほかのチームメイトが帰省するなかで、猪狩とアイザックだけがキャンパスに残っていたことがあった。2週間、共に自主練をし、毎日切磋琢磨した。
 その休みが明けた直後の試合中にポイントガードの一人が肩を故障したことがあった。そのときにアイザックがコーチに「チャック(猪狩のあだ名)を使おう」と提案してくれた。「あれは、彼から認めてもらったようで嬉しかった」と振り返る。

コートの中でしか
価値を発揮できない選手にはなりたくない

 猪狩が留学前から目標としていたのが、スラムダンク奨学生初のNCAAディビジョンⅠ(D1)選手になることだった。その目標に向けて、大きな壁は英語だった。何しろ、渡米した当初は、英語はほとんど話せなかった。
「宿題も多かったし、自分で英語も勉強してってなると、やっぱり夜中の1時、2時ぐらいまでかかるんですよね。IMGは6時頃から朝練があったので、勉強とバスケの両立がすごく大変で、泣きながら勉強していたのを思い出します。あまりにもできない自分に対して、このままで大丈夫なのかっていう不安や焦り。スラムダンク奨学金初のディビジョンⅠプレイヤーになりたいということにずっとこだわっていたので、14カ月という限られた時間の中で間に合うのか、焦りがありました」

 大学からの勧誘を待っていてはだめだと考え、全米中の、自分の成績や英語力でも行けそうなD1のコーチ宛に英語で売り込みメールを書き、ハイライト動画を作って送った。
 少しすると、フロリダA&M大学のヘッドコーチから返信があった。大学を訪れ、最初の年は奨学金を半額出すというオファーをもらった。全額奨学金ではないとはいえ、目標としていたD1の大学からのオファーだ。
 しかし、この話はその後、流れてしまった。フロリダA&M大はそれまで海外からの留学生アスリートを受け入れたことがなく、留学生アスリート向けの入学基準が設けられていなかったのだ。一般のアメリカ人学生と同じ基準を求められ、SATとACT(※2)の点数がわずかに足りず、入学を許可されなかった。ディビジョンⅡやディビジョンⅢの大学からも勧誘されていたのだが、一度断ったこともあって、すでに枠が埋まってしまっていた。
 ちょうどその頃、日本にBリーグが誕生した。それなら、いっそのこと帰国してBリーグに入り、若いうちにプロになったほうがいいのではないかと考えた。
「早くプロとしてのキャリアを始められるのはプラスになるんじゃないかと思って、Bリーグ入りを決意しました」
 帰国した猪狩は、故郷福島のチーム、福島ファイヤーボンズのトライアウトを受けた。「僕、福島が大好きなんです。福島でプレーすることが、一番自分の価値を高めてくれるんじゃないかなと思って」
 実際、トライアウトを受けたときも、どこから話を聞いたのか、ファンの子どもたちが見に来ていて、サインや握手を求められた。
「やっぱり嬉しかった。そういう子どもたちから、こうなりたいと思ってもらえたら本望だなと。それで地元でプロ入りすることを決めたんです」
 地元への思いの中には、中学2年のときの東日本大震災の記憶があった。
「当時は、一つ上の先輩の卒業式で、卒業式に使われた体育館の片づけをしてから練習をする予定だったんです。ちょうど練習を始めるっていうときに地震が来ました。天井から蛍光灯は落ちてくるし、ステージのピアノはなだれこんでくるし、部室の棚は倒れるし。僕、キャプテンだったんで、とりあえず部員全員外に出して。でも校舎とかぐわんぐわん揺れているわけですよ。女子生徒は泣き始めるし」
 しばらくは日常生活を送るにも苦労する毎日で、バスケットボールどころではなかった。部活を再開できたのは震災から2カ月ほどたった頃だった。
 そんな経験をしただけに、今も、地元に貢献できるような人になりたいという気持ちが強い。ふだんから、地元でバスケットボール・クリニック(※3)をするほか、去年秋の台風19号による水害のときには、スポンサー企業の協力を受けて、被災者に衣服を届けたりもした。
「今、新型コロナウイルスが広がっている中で、改めてプロ選手って無力だなって感じるんです。大災害とか未曾有みぞうの危機のときって、結局、優先されるのは人の命や食料。スポーツやエンターテインメントは優先されることじゃない。だからバスケットだけやっていてもだめ。コートの中でしか価値を発揮できない選手にはなりたくない」

NBAにどれだけ近づけるのか。人生をかけた挑戦

 去年、3年間所属したファイヤーボンズを離れた。契約継続のオファーはもらっていたが、それを断っての契約解除だった。3シーズン間、ほとんど試合に出られなかった屈辱感。それでも応援してくれる地元ファンの温かさ。その両方の理由から、ここに居続けてはいけないという思いを強くした。
「僕が求めているのはこういうことじゃない。ここで終われない」と猪狩。
「何で『スラムダンク奨学金』を受けたのか、何であのときアメリカに行こうと思ったのか。そういう思いを、プロになればなるほど忘れていってしまう自分が嫌だったんです」
 Bリーグは年々盛り上がり、ファンも増え、選手の待遇も向上してきた。しかし、そういったことにはあまり興味がないのだと言う。それどころか、現役を長く続けるつもりもないと断言する。
「NBA選手になりたくて『スラムダンク奨学金』を受けた。人生を通して、NBAにどれだけ近づけるのか。そこに人生をかけて挑戦するのが僕の人生だと思っています」
 自分に憧れ、アメリカに行きたいと思ってくれる後輩が福島にいる。
「そういうやつらがいるのに、俺がこんな状態でくすぶっていていいのかって。こいつらのためにも前を走っていなきゃだめだなって思った」


今秋もまた渡米し、NBAに近づけるよう挑戦を続ける。撮影/和田篤志

 故郷を離れた猪狩は、去年秋に再びアメリカに戻り、NBAシカゴ・ブルズ傘下のチーム、Gリーグ(※4)に所属するウインディシティ・ブルズの公開トライアウトを受けた。160人集まった選手たちがどんどん減らされ、30人に絞られるまで残った。15人に残ればトレーニングキャンプに参加することができる。しかし、その直前でカットされた。
「無理な世界だとは思わなかった。限界まで自分の能力を高めて、それでも行けなかったら諦めつきますけれど、もっと速くなれるし、もっと高く跳べるし、もっと強くなれる。技術で勝負しようとしても限界がある。なので、今はひたすら身体能力を上げることにフォーカスはしています。よく、日本人は身体能力で勝てないからスキルやシュートで勝負しようとか言われる。でも僕はそれがすごく嫌なんですよ。アスリートだから、そもそも身体能力で戦えないと、ここでは上がっていけない」

 大分の大浴場での運命の出会い。そのときに見つけた世界に、猪狩は今も挑み続けている。
「『スラムダンク奨学金』で僕の人生は変わった。あの14カ月が、僕の人生の進む方向を示してくれ、蘇らせてくれた。高校のときにくすぶっていたものにまた火をつけてくれた。だから井上先生には感謝していますし、スラムダンク奨学金のスタッフの方々にも感謝している。だからこそ、このままじゃいけないとも思っています」
 今でも、苦しいときに振り返るのは、サウスケントやIMGアカデミーで苦労した日々のことだという。
「あれが僕の原点、再出発点ですね」

文中敬称略

■用語解説
※1 IMGアカデミー:フロリダ州にあるスポーツトレーニングのための寄宿学校を含む世界最大級のスポーツ施設。
※2 ACT:アメリカの大学進学希望者を対象に行われる共通学力テスト。
※3 バスケットボール・クリニック:技術指導や選手との交流を通じて、子どもたちにバスケットボールの楽しさを知ってもらう活動のこと。
※4 Gリーグ:選手を育成するためのNBA傘下のリーグ。「NBAゲータレードリーグ」の略。

COLUMN
♯6 猪狩 渉

「SLAM DUNK」で
好きなキャラクター、シーンは?


『SLAM DUNK 新装再編版』19巻より

好きなキャラクターは沢北栄治です。僕もバスケットを始めた頃から1対1が大好きだったので、作中で一番1対1が強いプレイヤーだった彼に惹かれました。1対1では誰にも負けたくないと思うようになったのは沢北の影響が大きかったですね。好きなシーンは、沢北がアメリカに挑戦していたとき、ブロックされた後に笑った場面。強いやつと対戦したときに「すげえやつがいるな」ってワクワクして、嬉しくなるのは、実際に僕も感じたことがあって、「沢北はこういう気持ちだったんだな」とわかった瞬間でした。

© 井上雄彦 I.T.Planning,Inc.

■スラムダンク奨学金とは

『スラムダンク』の作者・井上雄彦の「この作品をここまで愛してくれた読者とバスケットボールというスポーツに、何かの形で恩返しがしたい」という志から始まり、高校卒業後、大学またはプロを目指しアメリカで競技を続ける意志と能力を持ちながら、経済的その他の理由でその夢をかなえられない若い選手を支援することで、その目的を果たそうと設立された。2008年から毎年、高校卒業見込み、またはそれに相当する学生を若干名選考し、現地でのセレクションを経てアメリカのプレップスクールに送り出している。これまでに14名が留学し、多くの選手がBリーグやアメリカの大学などで活躍している。

スラムダンク奨学金
主宰:井上雄彦、アイティープランニング有限会社、株式会社 集英社
協力:公益財団法人 日本バスケットボール協会

猪狩 渉

いがり・わたる
1996年4月24日生まれ、福島県出身。いわき市立中央台北中学校1年時にジュニアオールスターのメンバーに選抜される。2012年、名門・能代工業高校に進学。卒業後スラムダンク奨学金8期生としてサウスケントスクールに入学するが、サマーキャンプに参加したIMGアカデミーからの勧誘を受け編入。帰国後16年福島ファイヤーボンズ(Bリーグ)と契約し、19年まで所属。ポイントガード。168cm、72kg。

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