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スラムダンク奨学生インタビュー #5
第11期生 ホール百音アレックス

[連載]

#5 第11期生 ホール百音アレックス

恵まれた身体能力に抜群の適応能力。高校生までは、順風満帆にアスリート人生を歩んでいた。だが、アメリカでそれまで見えていなかった問題を突き付けられる。評価のギャップに苦しんだ末に至った境地。ホール百音もねアレックスが言い切る「人生の転換点」を浮き彫りにする。

※用語解説は記事末に記載します。

聞き手・構成=伊藤 亮


撮影/伊藤 亮

やればできる子

 留学先の寮へ送られてくる実家からのダンボール。中には、母が息子のことを考え選んでくれた食材などが詰まっていた。そこに、直筆でしたためられた手紙も添えられていた。ある時の手紙の中の一文が、今でも心に残っている。
 ―― あなたは、やればできる子。
「ちっちゃい頃から『やればできる子』と言われてたんですけど。ちょうどその時にお母さんからこの言葉をもらって…… みましたね」
“ちょうどその時”とは。やるべきことはやっているはずなのに状況が好転せず、どうしたらいいのか、袋小路に迷い込んだように感じていた頃のことだ。
「高校までは、やったらできるだろうという感じではありました。でもアメリカに行って、挫折ざせつではないにしても、上手うまくいかないな……と感じることがあって」

『スラムダンク奨学金』第11期生のホール百音アレックスは、セントトーマスモアスクールで新たな体験を次々に得ていた。父がアメリカ人で母が日本人。日本語と英語が飛び交う家庭で育ってきたため、奨学生が直面する語学の壁に対してアドバンテージもあった。さらに第11期生にはもう一人、小林良こばやしりようも合格していた。ともに高校1年時に関東エンデバー(※1)に選ばれて以来の仲。「ライバルでもありますが、心強い部分はありました」。留学前から、奨学金事務局がこの時から準備してくれた塾に二人で通い、一日中英語を学んだ。
「英語での会話はある程度できたのですが、授業を受ける際に必要なリーディングやライティングには課題も多かったんです。でも海外に進学する人向けのDelquiデルクイという塾に通わせてもらったので、しっかり対策できました。良とは仲がいいので、渡米後もいっしょにバスケットしてご飯食べて、休日の土日はゲームをして遊んだりしてました」
 バスケットに関しても人間関係に恵まれた。
「家族には“アル”と呼ばれていて、小中学生の時は“アレ”とか“モネ”とか呼ばれていました。いろんな呼び名で呼ばれてきましたが、留学中は“アレックス”でしたね」
 チームに加入当初は“なめられている”と感じることもあった。だがそれは想定通りで、ともにプレーを続けていくうちに認めてもらえた。
 学業も順調、私生活も充実、思い描いた通りの留学生活。ただ、唯一の例外が肝心のバスケットだった。
「正直に言うと、あまりプレータイムをもらえませんでした。最後の方はちょっとずつ試合に出られるようになったんですけど、試合で活躍する場面はそんなになかったんです」

サッカー部でもバスケット部でも好きな方に入っていい

 特に身体能力に関して、ずっと自信があった。最初に頭角を現したのはサッカーだ。幼稚園の年長から始め、小学3年からはJリーグクラブ・大宮おおみやアルディージャの下部組織でプレー。2011年の全日本少年サッカー大会では3位に輝いている。
身体からだが大きくて足も速かったので、ポジションはセンターフォワードでした」
 サッカー選手として早くから将来を嘱望しよくぼうされる中、バスケットに出会ったのは中学1年の時。
「バスケットボールの感触。シュートを決める喜び。小学生の時も映像で見たり遊びでやったりしていましたが、本格的にルールを知って初めて楽しいと感じて。それでサッカーと並行して始めました」


第35回全日本少年サッカー大会で6試合に出場、3ゴールを記録する活躍を見せた。撮影/平野貴也

 サッカーは大宮の練習場が遠い問題もあり、中学1年から地元のチームに移籍。中学2年からは通っていた原市はらいち中学校のバスケット部にも所属。そこでのプレーが昌平しようへい高校バスケット部の畔川秀雄あぜかわひでおコーチの目に留まる。そして、「サッカー部でもバスケット部でも好きな方に入っていい」という珍しい誘いを受けて進学する。
 選んだのはバスケット部だった。決め手の一つは、畔川コーチから『スラムダンク奨学金』の存在を教えてもらったことだ。昌平高校は第4期生の山崎稜やまざきりようを輩出していた。
 父の母国であるアメリカに渡ってプレーする。それはサッカーでは考えづらい将来の選択肢だった。先述したように、高校1年時から関東エンデバーに選ばれた。バスケットを始めてわずか2年足らずで関東では有名な存在になった。高校時代に全国大会へ出場することはかなわなかったものの、関東大会ではセンター(※2)として活躍した。
「『スラムダンク奨学金』のことを改めて意識しだしたのは高校2年のなかばくらい。自分たちの代にかわりレギュラーになってからでしょうか」
 さすがに合格する自信はなかった。書類選考、ビデオ選考、トライアウトの結果は畔川コーチの元に届く。そのたび、体育館に呼ばれた。

「書類選考とビデオ選考は口頭で合格を伝えられました。現地トライアウトで初めてアメリカに行ったので、ウキウキしっぱなしでした。その後、最終結果を知らされるまで少し間があって。この時だけは結果を書類で渡されたので、開けてみたら『合格』と。びっくりの一言でした」
 実はトライアウトでは、それまでプレーしていたセンターのポジションではなくシューティングガード(※3)を任された。そんな未経験のポジションをいきなり、しかも重要なトライアウトで任されて合格してしまうのだから、そのポテンシャルたるや想像を絶する。
「ドリブルもそんなに上手ではないですし、苦労した部分はたくさんありました。どんなプレーをしていいか知らなかったですし、戸惑いました。ただ、アメリカでプレーするなら自分はセンターではないと思っていました。とりあえず思い切ってアタックしていったのが評価されたのではと」
 サッカーで全国レベルの活躍をし、バスケットも始めてすぐ際立つ存在に。そして未経験のポジションでプレーして『スラムダンク奨学金』に合格。まさにトントン拍子だ。アレックスの身体能力がいかに飛び抜けていたかは明白だろう。

「Have Confidence!!」

 昌平高校では5番(センター)、トライアウトでは2番(シューティングガード)、そして留学して任されたのは3番(スモールフォワード(※4))と4番(パワーフォワード(※5))のポジションだった。
「サッカーをやっていたこともあり、自分の取り柄は身体の強さなんですけど、その強みを評価してもらってのポジションだったと思います」
 ヘッドコーチのジェリー・クインが見極めたアレックスの適性は理に適ったものだった。実際、不慣れだろうが新たな役割を任されればアレックスはこなせてしまう。しかし、クインコーチの目にはその長所をかしきれていないように見えたようだ。
「ディフェンスで怒られることはなかったですけど、オフェンスでは怒られました。シュートを打てるシーンで打たなかった時とか。もっと自分のプレーに自信を持ってアタックしていいと。『Have Confidence!!』とずっと言われ続けていました」
 自信。それはずっと持っていたはずだった。しかし、クインコーチには自信を持っているようには見えていない。トライアウトの時は怖いもの知らずで思い切ったプレーができたが、留学後は影を潜めていた。
「自分としては自信を持ってプレーしているつもりだったんです。でも、周囲にはっきり分かるように上手くアピールはできていなかった。日本でできていたはずのアピールが、アメリカでは通用しない。そこには、日本とアメリカでの見え方の違いもあったかもしれませんが」
 自分とコーチの間にある認識のギャップ。では、なぜそこにギャップが生まれるのか。考えた結果、導き出したのは「経験不足」という要素だった。
「やっぱり経験の少なさはあったと思います。経験が浅いと、ボールを持った時にどうしても“どの判断がベストか”って考えたり迷ったりしてしまう。すると時間が経過してしまい、後手に回るプレーが多くなってしまいます」
 自分としては自信がないというより、躊躇ちゆうちよしている。だが、コーチの目にはその躊躇が、ウリであるはずの身体の強さを活かさない消極的なプレーに映ってしまう。この意識差を埋めるには経験を蓄積する時間が必要だ。一方で留学期間は14カ月。時間は待ってくれない。アピールするには経験不足のマイナスを埋める他の“何か”を持つことが求められた。
「思い至ったのはピンポイントでシュートを決めること。ドリブルも得意ではないですが、まずは試合中パッと出されてもすぐにシュートを決められるようになろうと。練習は5対5のスクリメージ(※6)が多かったので、朝や食事後、週末の時間を個人練習にあてていました」
 自分なりに試行錯誤する日々の積み重ねで、成長できている感触があった。だが、それでも試合に出られない。
「同じポジションの選手が3人いて、その中にブレンデン・マグワイヤっていう選手がいたんですけど。彼がすごい実力の持ち主で。背が高いのにドリブルもできてリーダーシップもある。チームの中心的存在でした。当然、コーチからの信頼も厚い。いっしょにシュート練習したりと、仲は良かったんです。でも、ライバルではありませんでした。……追いつける気がしなかったんです」
 冒頭で紹介した母からの手紙は、ちょうどこの頃送られてきたものだ。

2冊の単語帳

 自分にできることはやっているはず。成長もしているはず。でも、試合に出られない。「試合に出ることができれば、スカウトマンたちの目に留まるチャンスも出てきて評価も得られる。でも出られない。そこにもどかしさはありました」
 シーズンが進むにつれ、次第に自分と向き合う時間が増えた。セントトーマスモアスクールの寮に入った当初は小林と同部屋だった。だが、同校では学業成績が向上すれば一人部屋に移る選択肢が与えられる。くすぶるバスケットとは裏腹に、学業面で順調に成績を伸ばしたアレックスは、一人部屋に移ることができた。
「一人の部屋で自分のしたいことや、これまでを見つめ直す充実した時間が過ごせました」
『スラムダンク奨学金』で得た最も大きな経験は? と問われれば、この時過ごした「思考の時間」だという。
「校内に湖があるんですけど、ときにはそのほとりの椅子に座って、スピーカーを置いてハワイアンとかご機嫌な音楽を流しながらボーッと考えたり。自分と向き合った末に出した結論としては、やはりアメリカの大学に行きたいと。そして、実家に経済的な余裕がじゅうぶんあるとはいえなかったので、全額のフルスカラシップで行くことが一番大事だなと」
 試合に出られなくても打つ手はあった。コーチに相談して各大学のトライアウトを受けた。
「一方で、もしフルスカラシップの希望が通らなくても、日本に戻って大学に入るという手もあると考えてました」
『スラムダンク奨学金』に合格した頃、日本の大学からも推薦入学の誘いが来ていた。もし日本の大学に進学していたら―― 。いや、それ以前にバスケットではなくサッカーを続けていたら―― 。そんな考えが頭をよぎったこともある。
「日本の大学に進むか、アメリカに行くか、当時ずっと迷っていました。でも、めったにないチャンスだと思ってアメリカへ行くことを決めたのは自分。つまり、人と違うことをしている今の自分が得ている経験自体が、すごい財産になるはずだと。だからアメリカに来たことに間違いはない。これは留学を終えた今でも言い切れることです」
 アメリカでの日々が、自分にはかけがえのない経験になっている。そのことを自覚していたかのような行動がある。英語を学ぶために使っていた単語帳に、将来の目標など思いついたロードマップを書き留めていたのだ。
「勉強中に他の考え事をしてしまった時、一度紙に書いて頭の中から考え事を追い出してスッキリすることで勉強への集中力を取り戻す。発端はそんな話を聞いたことだったと思います。それから、イチロー選手だったと思うのですが『将来から逆算して今があると考えると、どんどん夢に近づいていける』というような内容の話をYouTubeで見て。ちょうど勉強机に単語帳があったので、それに『何歳までに代表に入る』とか、やりたいことをメモするようになったんです。書いたら勉強に戻って、後で寝る前などに見返してまた思いにふける。だから当時、英単語用とメモ用と、単語帳が2冊あったんですよ(笑)」

「本当に自信を持つ」ということは

 限られた出場時間ではあったものの、試合でのプレーを見ていた大学から誘いが来た。「でも、自分をほしいと言ってくれたのはNCAAディビジョンⅢの大学で。ディビジョンⅠ、ディビジョンⅡはスカラシップが出るんですけど、そこまでの規模ではないディビジョンⅢで、スカラシップは出せないという話でした」
 第一希望はフルスカラシップでの進学。それが叶わなかったことで、アメリカでの大学進学は断念した。
かなしかったですけど、希望通りにならなかった時のことまで考えていたので、すぐ切り替えられました」
 思ったほど試合に出られず、活躍できなかったことは悔しい。だが、練習ゲームで記憶に刻まれる体験をしていた。
「たしかボールをもらってすぐにドライブしてバスケットカウント(※7)を取ったのかな。『身体が強いんだからもっとアタックしろ』と言われ続けて、でもなかなかできずに萎縮していた部分もある中、そういうプレーができた。クインコーチは怒る時は顔を真っ赤にして怒るんですけど、いいプレーをすればちゃんと褒めてくれる。その時は、ハグして頭をなでて褒めてくれたんです。その瞬間のことはよく覚えています」


B1リーグの横浜ビー・コルセアーズでは2019 -20シーズン、67分の出場経験を得た。 ©B-CORSAIRS/ T.Osawa

 傍から見れば練習中のワンプレーに過ぎないかもしれない。しかし、アレックス本人からすれば、何度言われても越えられなかった壁を遂に乗り越えた瞬間だった。苦しみ抜いた末に待っていた成功体験。クインコーチもそれを分かっていたから、我が事のように喜んでくれた。このワンプレーから、本当に「自信を持つ」ということがどういうことなのか、初めて理解した気がする。
「今でもよく思うんですが、チームで一番の若手であろうとも、先輩たちに指示したり意見したりできることが本当の自信じゃないかなと。自分はバスケットの経験が少ない。だから先輩たちともレベルが違う。そこで少し遠慮が邪魔してしまうことはあります。でも、遠慮を振り払ってアタックするくらいがちょうどいい。勇気がいることですし、日本では上下関係もあったので考えたこともなかったですが、アメリカで言われたことで気づかされました」

 帰国後は日本の大学に編入する予定で準備を進めていた。だが、少し間が空く中で知り合いに3人制バスケットのチームに呼ばれた。それが横浜をホームとするBEEFMAN.EXEビーフマンドツトエグゼ。FIBA(国際バスケットボール連盟)が承認しているグローバルリーグ3x3.EXEPREMIERスリーエツクススリードツトエグゼプレミアに所属しているチームだ。
「3人制は5人制のバスケットより一人がボールを持つ時間が長く、一方で試合時間が短い(10分)のでどんどんアタックしていかなければなりません。短時間でハードに動くので、スタミナや足腰といったフィジカル面の練習になりました。もちろん、積極性を養う上でもとても意味があります」
 日本の大学に進んだらゆくゆくはBリーグ。そう思い描いていたが、現実は希望より前倒しになった。
「BEEFMAN.EXEにたまたま誘われて練習や試合に出させてもらっているうちに、提携関係にあったBリーグの横浜ビー・コルセアーズのトライアウトを受けさせてもらえる話になって。そこで運よく練習生から特別指定選手として入団することになったんです」
 帰国して4カ月後、特別指定選手としてBリーグデビュー。2020年2月には正式に選手として契約。あっという間の展開。改めてアレックスのポテンシャルには驚かされる。ただ、本人はまだまだ「経験不足」という意識が強い。
「3人制バスケットも、Bリーグも、やってみていろんな部分で自分の未熟さを痛感しました。自分としては『スラムダンク奨学金』での留学時も今も経験を積んでいる途中。それが成果となるのはこれから先だと考えています。ただ、現時点でこれ以上ないくらいいい経験を積めているのはたしかです。中でも『スラムダンク奨学金』は……もし行っていなければ、その後バスケットをしていなかったかもしれない。それくらい大きなターニングポイントでした」


ネックレスは『スラムダンク奨学金』の象徴だ。  撮影/伊藤 亮

 まだ遠慮をしてしまう時がある。しかし、Bリーグの先輩たちに対しても意見が言えるようになっている変化を自覚していた。その矢先に新型コロナウイルス感染拡大の影響でリーグが中止。チームから契約延長のオファーはなかった。
「3x3はこのまま続けさせてもらって、U-23日本代表を目指します。そして引き続きBリーグでプレーするチャンスを窺っていきたいです」
 そう言っていたが、新シーズンはB2リーグの越谷こしがやアルファーズでのプレーが決定した。

留学中に身長が5㎝伸びたというアレックスは5月で21歳になったばかり。心身ともに今なお成長し続ける彼にとって、『スラムダンク奨学金』は夢への登竜門であったと同時に、真の“バスケットマン”への本格的なスタート地点だったのかもしれない。そんな人生のターニングポイントを心に刻むべく、留学直前に兄からもらったクロスのシルバーネックレスを、彼は今も肌身離さず身につけている。

文中敬称略

■用語解説
※1 エンデバー:将来有望な選手を一貫指導により世界に通用するよう育成するプログラム。
※2 センター:主にゴール下で攻守の中心を担うポジション。長身の選手が選ばれる。
※3 シューティングガード:アウトサイドからシュートやドライブで得点を狙うポジション。
※4 スモールフォワード:オールラウンドに得点を狙うポジション。
※5 パワーフォワード:リバウンドなどパワフルなプレーを担うポジション。
※6 スクリメージ:5対5で行うゲーム形式の練習。
※7 バスケットカウント:シュートの動作中にファウルされ、シュートが成功した場合に得点が認められ、さらにフリースローが1本与えられること。

COLUMN
♯5 ホール百音アレックス

「SLAM DUNK」で
好きなキャラクター、シーンは?


『SLAM DUNK 新装再編版』20巻より

最初はアニメを全部見ました。その後マンガでも全部読み直したのですが、好きなのは桜木花道です。最初はやんちゃしていて、でもバスケット部では、パワーとか熱い気持ちとか、人柄までも最後にはバスケットに転換できたなあと。特に山王戦で背中をケガした後、安西先生に交代を促された時に「オレは今なんだよ!!」というシーンにジーンときました。『スラムダンク奨学金』で渡米する前に僕が「リアル花道」、良が「リアル流川」なんて言われていたので、すこし自分とだぶらせている部分も……あります(笑)。

© 井上雄彦 I.T.Planning,Inc.

■スラムダンク奨学金とは

『スラムダンク』の作者・井上雄彦の「この作品をここまで愛してくれた読者とバスケットボールというスポーツに、何かの形で恩返しがしたい」という志から始まり、高校卒業後、大学またはプロを目指しアメリカで競技を続ける意志と能力を持ちながら、経済的その他の理由でその夢をかなえられない若い選手を支援することで、その目的を果たそうと設立された。2008年から毎年、高校卒業見込み、またはそれに相当する学生を若干名選考し、現地でのセレクションを経てアメリカのプレップスクールに送り出している。これまでに14名が留学し、多くの選手がBリーグやアメリカの大学などで活躍している。

スラムダンク奨学金
主宰:井上雄彦、アイティープランニング有限会社、株式会社 集英社
協力:公益財団法人 日本バスケットボール協会

ホール百音アレックス

ほーる・もね・あれっくす
1999年5月19日生まれ、埼玉県出身。小学3年から大宮アルディージャのジュニアチームに入り、プロサッカー選手を目指すが、中学でバスケットボールの面白さに気づき、バスケの名門、昌平高等学校に進学。高校1年時から関東エンデバーに選出される。2018年スラムダンク奨学金でセントトーマスモア校に入学。19年より3x3.EXEPREMIER(3人制バスケのリーグ)のBEEFMAN.EXEに所属し、さらに横浜ビー・コルセアーズ(Bリーグ)とも特別指定選手として契約。来期は越谷アルファーズ(Bリーグ)に特別指定選手として加入することが決定。スモールフォワード。190cm、95kg。

『PLUS/SLAM DUNK ILLUSTRATIONS 2』

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