「私は短編小説なら二日〜五日、三百枚程度の長編なら一ヵ月〜一ヵ月半ぐらいで書きます」と人に言うと大抵は驚かれるが、実は短編を一つ書くと一ヵ月ぐらいぼんやりせずにはいられない。書き始めるまでにも半月〜一ヵ月は要し、長編だと執筆の前後にもっと長い時間を必要とする。というわけで結局私は、いつまで経っても遅筆(どんぴつ)作家のままなのだ。締め切りまで一週間などといった緊急のオファーもあるが、締め切りまで一年あろうと一週間しかなかろうと、結局短編なら締め切り数日前、長編なら締め切り一ヵ月余り前にならなければまず執筆を始めない。短時間で書くのは、締め切りが目前に迫って尻に火が点いた結果に過ぎない。夏休みの宿題に追い詰められた小学生と同じだ。と言うより、ギリギリまで何もしないという小学生以来の癖が抜けないだけの話である。短期間に集中力を出し切った後の無為の期間は、歳のせいかどんどん延びている気がする。
この度の短編集『前世は兎』に収められた七つの短編も、執筆時間自体はとても短い。恐らくトータルで一ヵ月もかかっていないだろう。しかしこれに要した無為な時間を含めると、結構な時間が費やされている。無為は無為なのでそれを労働時間に含めるのは反則かも知れないが、無為な時間がなければ執筆自体が成立しないのであってみれば、矢張り特別な労働時間としてカウントして欲しいと思う。実際私は毎回事業主に対してこのことを要求し「よろしい、執筆前後の無為な時間を特別労働時間として認定致すことにしよう」というお許しを頂戴している。私は個人事業主なので、認定する事業主も認定される人間も即(すなわ)ち私なのだ。
小説家の中には綿密な取材をしたり、山のような資料と格闘する中から作品を生み出す人も少なくないが、私の場合は取材もしなければ資料調べもしない。実際はどうなのかは経験がないから分からないが、取材をするとそこに生じた人間関係に絆(ほだ)されて、取材先にとってマイナスイメージになるようなことは書けないのではないかと恐れている。加えて私の書くようなエログロ小説に取り上げられるのを喜ぶ人や会社は、まず存在しないに違いないと尻込みしている面もある。従って私の小説は、ほぼ自分の頭の中の記憶と妄想によって成り立っている。よく人から「無から小説を生み出すのは大変でしょうね」と言われ、その都度「まあそうですね」などと偉そうに答えているが、実際には私は無から小説を生み出したことは一度もない。無からではなく、無為から生まれるのだ。即ち、無為な時間を妄想と戯れている内に否応なく締め切りへと追い込まれ、焦りが極限に達したところで、それまでバラバラだった妄想を一点に収斂(しゅうれん)させて無理矢理形にしているのだと思う。締め切りがなければ、雑多な妄想は浮かんだ端から雲散霧消(うんさんむしょう)していくだけだろう。
ところで私は仕事場で、雌兎を一羽飼っている。六年ちょっと前、ペットショップで四千五百円で購入したもので、店員に「どれぐらいの大きさになりますか?」と訊くと「ミニウサギという種類なのでこれで大人の大きさでございます」と言われた。ショートケーキの箱のような紙の容器に容れて持ち帰り、ペットショップにいた全ての兎を店員が「うーちゃん」と呼んでいたのでうーちゃんと名付けた。うーちゃんは餌をよく食べ、忽(たちま)ち三キログラムになった。調べてみるとその形状から、どうやらミニウサギではなくジャンボウサギという種類だったようだが、体が大きいだけに丈夫だった。春になると発情し、想像妊娠をして段ボール箱や毛布を齧(かじ)っては巣作りの真似事を始めるようになった。私は最初の内こそ、その様子を喜んで眺めていたが少しずつ可哀想になってきた。兎には子宮が二つあり、いつでもどちらかの子宮を妊娠させた状態でいられる。捕食される運命の動物なので、繁殖こそが生の目的なのだ。つがいにするとすぐに交尾する。しかしうーちゃんは処女のままで、何より彼女は自分の中から突き上げてくる性欲の正体や意味がいつまで経っても分からないに違いないのだ。それでいて、虚しい巣作りを止めることが出来ない。それは彼女にとってとても大きな苦しみかも知れなかった。うーちゃんは時々ふっと「私は一体何をしているのかしら」と我に返ったかのような顔をする。残酷な話だが、ペットを飼うということはつまりそういうことなのだ。私が自分の小説にうーちゃんを登場させるようになったのは、せめて彼女と一緒に何かを作り出したいという飼い主の勝手な思いからであった。『ボラード病』という小説や『流しの下のうーちゃん』という漫画に、うーちゃんを登場させた。今回の「前世は兎」は、初めてうーちゃんが一人称で語る小説である。恐らく兎は何も考えておらず、ふっと我に返ることもないに違いないが、もしうーちゃんが人間に生まれ変わって人生を経験し、それを言葉にしたらきっとこんな感じではないかということを書いた。勿論締め切り間際で数日で書き上げる必要があったのだが、私はうーちゃんが牧草を食べるのを眺めるのが大好きで、それを取材と呼ぶならば何十時間もの取材を断行して書いた初めての小説とも言えるのかも知れない。しかしペットを眺めることなど、うちの事業主以外誰も取材とは認めてくれないだろう。
「真空土練機」と「ランナー」という作品は、かなり以前に書きかけていた小説に手を入れて完成させたものである。余りに無為が高じると腑抜けになってしまい、そうなると妄想すら湧いてこず、ひたすらSNSやネットサーフィンをやり続けて締め切り直前を迎える羽目になる。そんな時、最終手段として過去の未完成作品を穿(ほじく)り出し、何とか出来ないかと弄(いじ)くり回す。決して褒められた方法ではないかも知れないが、かと言って新品の作品に比べて劣るかと言えばそんなことはない、と言いたいところだが勿論作者にそんな判断は出来ず、読者に丸投げするしかない。
「夢をクウバク」は、夢が「空爆」されて潰えてしまうことと「夢を食うバク」とを掛けたタイトルが先に浮かび、内容は後から力ずくで引きずり出した。私の場合タイトルが先に浮かぶパターンはとても少なく、これ以外だと「ヤイトスエッド」(「お灸を据えるぞ」の意味の関西弁)という短編のみである。「宗教」「沼」「梅核」という作品は、カタログ販売のカタログや、近所の汚い沼、更年期障害によると思われる自分の喉の不調をそれぞれ題材にしたもので、どの短編も締め切りなしには絶対にこの世に生まれ出なかったであろう代物ばかりである。小説を書くことを楽しいと思ったことは滅多にないが、こうして本が出ると矢張り嬉しい。しかし今までの経験では一冊出ると一年ぐらいは無為な時間が必要で、そこが悩みの種である。
|
|
|
【吉村萬壱 著】
『前世は兎』
2018年10月26日発売
本体1,600円+税
|
|
|
|
|
|
吉村萬壱
よしむら・まんいち●作家。1961年愛媛県生まれ。京都教育大学卒業後、東京、大阪の高校、支援学校教諭を経て専業作家に。2001年「クチュクチュバーン」で第92回文學界新人賞、03年「ハリガネムシ」で第129回芥川賞を受賞。著書に『臣女』(第22回島清恋愛文学賞)『バースト・ゾーン』『ヤイトスエッド』『ボラード病』『虚ろまんてぃっく』『回遊人』等多数。
|
|
|
|