青春と読書
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インタビュー 大沢在昌『漂砂の塔』
エンタメで大事なのは「時代性」と「人間像」
北方領土の島、春勇留(はるゆり・オロボ)島では、日中露の三カ国が合弁会社をつくり、レアアースを採掘していた。そこで日本人社員が殺された。しかも両眼がえぐられるという無残な姿で。警視庁組織犯罪対策第二課に所属する石上(いしがみ)は、ロシア語と中国語が堪能だという理由で、島に派遣される。しかしロシアが実効支配するこの島で彼に捜査権はなかった。はたして事件を解決できるのか─。
作家生活四十年を迎えた大沢在昌さんの最新刊『漂砂の塔』は、閉鎖された孤島で起きる事件に丸腰で立ち向かう主人公を描いたミステリ。日中露それぞれの思惑とレアアース、島の隠された過去、さらにはロシアマフィアが関わり、先の読めないストーリーが展開されます。大沢さん自身、愛着があると語る『漂砂の塔』について、また、現代のエンターテインメント小説についてお話を伺いました。


架空の孤島を舞台にした"島もの"

─『漂砂の塔』の構想はどのように生まれたのでしょうか。

 二十年以上前だと思うけれど、週刊誌でアラスカかどこかの油田の写真を見たんだ。出稼ぎ労働者が油まみれになってオイルの採掘をやっていた。普通の油田と違うのはそこが島だったことと、外国人労働者が多かったということ。こんなところがあるのかとインパクトがあった。これは小説の舞台になるなと思った。
 もう一つは、ショーン・コネリーが主役をやった『アウトランド』という昔のSF映画。惑星鉱山が舞台で、保安官のような役割をショーン・コネリーがやっていて面白かった。そのへんが私の中でつながって、いつか書けそうだなと思っていた。
 でもそれをいつどこでどういうふうに書くかというのはまったく固まっていなかった。いまさら油田でもないだろうし。それが「小説すばる」で連載をすることになり、島を舞台にしようと考えた時に浮上してきたんだ。

─ 油田の代わりにレアアース。舞台は北方領土の寒風吹きすさぶ孤島になりました。

 島の保安官は既に『パンドラ・アイランド』で使った設定だったので、違う形にしなきゃいけない。それで考えたのが、捜査権のない刑事だった。島には漂砂鉱床があってレアアースが採れる。採掘のために作られた日中露三カ国の合弁会社に勤めていた日本人が殺される。それが過去の猟奇殺人と似ていた。そこに日本人の警察官が行くというのはどうだろう。だが、ロシアの実効支配下にあるから捜査権はないし丸腰。言葉を話せないと事件が調べられないから、ロシア語、中国語に堪能でなければならない。だったらそれはどんなキャラクターなのか、と考えていった。

─ なるほど、主人公の石上はロシア系の血が入ったクォーターで大学で中国語を学んだ外国人顔の二枚目、という設定ですね。

 話せる以外は大して能力はないやつがいい。三カ国語べらべらで腕っ節が強かったらスーパーヒーローだからね。それで、女好きでへたれだけど、言葉だけはしゃべれるというキャラクターで行くか、みたいな感じで始まった。

─ 冒頭は新宿が舞台です。石上はロシアマフィアに通訳として喰い込んでいますが、潜入捜査がバレてしまう、という緊迫するシーンから始まります。

 それも警察組織の都合でね。しかも何とか窮地を脱してきたら緊張が解けて、上司に「吐くのなら、さきに吐いてこい」と言われてトイレに吐きに行くっていう。

─ 理不尽な状況です(笑)。さらに石上は北方領土の春勇留島に単身送り込まれる。春勇留島はフィクションですが、そもそも島を舞台にされたのはなぜでしょう。

 小笠原諸島の先にある架空の島を舞台にした『パンドラ・アイランド』もそうだし、昭和三十年代の軍艦島が舞台の『海と月の迷路』もそうなんだけれど、私の小説には"島もの"がいくつかある。なぜ島かというと、閉鎖状況で話を動かすのが好きだから。舞台が限定されていると書きやすい。島の設定を考えるのが大変だと思われるかもしれないけれど、私は「全部自分の思ったとおりにできるんだからこんな楽なもんないでしょ?」と思う。

─ 春勇留島はHに似た形の島に日中露の労働者が住み、酒場や食堂などもあるという設定です。人の暮らしが営まれている場として描かれていますね。

 小さな島でも飲み屋や売春宿とか、娯楽的なものが必ず必要だと思う。そういう場所があったほうが書いてて楽しいし、秘密っていうのはたいてい己の欲望を吐き出す場所から漏れていくから、話が動くきっかけになる。工場の中を捜査していっても情報なんてそうそう出てこないでしょう。

─ 石上がキオスク(売店)に行ったり、食堂に行ったりする日常のルーティンを丹念に書かれているのが印象的です。

 主人公がうろうろしてるうちに、だんだん島が舞台としてリアリティを帯びてくる。全体に厚みが出てくるというか、張りぼてが張りぼてっぽく見えなくなるというのかな。

 飯を食いに行くと「フジリスタラーン」っていう食堂があって、ラーメンだったり天丼だったり、日本食とは似て非なるものがあるとか、そこには三つ子のウエイトレスがいて代わる代わる働いているとかね。そういうディテールを考えるのも好きです。何しろこの島は恐ろしく寒いところだし、閉塞的な空間だから、放っておくと陰惨な話になってしまうでしょう。そうならないように、主人公のキャラも含めて、ちょっとユーモラスな部分があったほうがいいと。

─ 石上が島へ向かうのは西口(にしぐち)という男が殺され、両眼がえぐられていたという事件が起きたからです。孤島で猟奇的な殺人事件が起こる。ミステリとしてまず興味をそそります。

 三カ国の人間が出てくるわけだから、東西冷戦時代だったらスパイ小説みたいな話になったと思う。でも、もはやそういう時代じゃない。ショッキングな殺人事件が起きることで、「殺人の犯人は誰だ」が読者を惹きつけるフックになる。だけどそれが単なる殺人だったら、ケンカして殺されたんじゃないの? みたいな小さな話になってしまうから、死体に眼がなかったという設定を加えた。しかも大昔に同じような猟奇殺人が島で起きたという噂があって、ゾクゾクしてくるわけです。

─ 殺された西口は何かを調査していたらしい、さらには麻薬の売人と親しかった、という証言が出てきて、飲み屋にたむろしている剣呑なロシア人たちが関わってきます。ギルシュというロシア人のように途中から存在感を増していくキャラクターもいて、先が読めない展開になっていきます。

 ギルシュはあんなおいしいキャラになるとは思わなかった。途中から「あれ? おもしろいやつじゃん」みたいな感じになって動き始めた。私の小説の場合、キャラが勝手に動きだしてくれるとノって書ける。

現代のヒーロー像「石上」

─ 大沢さんは『パンドラ・アイランド』(集英社文庫)の巻末で、作家の薬丸岳さんと対談されていますね。そこで薬丸さんに主人公をもっといじめろ、とアドバイスされていました。この『漂砂の塔』でも石上が次々に窮地に立たされますね。

 薬丸さんはあの対談の後、『Aではない君と』で主人公をいじめたよね。そこで作家として一段成長したと思う。読者っていうのは、主人公がいじめられればいじめられるほど面白がる残酷な生き物なんです。たしかに今回、石上は相当いじめました。

─ 石上がいじめられればいじめられるほど、読者が石上に対して魅力を感じるようになるんですよね。

 当初はそういうキャラにするつもりはなかった。むしろ冒頭、切羽詰まった場面から始まるので、シリアスに書いているつもりだった。ところが途中から、石上ってそういうキャラじゃないな、という感じになってきた。意外とひょうきんだし、へたれだけどスケベだな、みたいな。主人公がそういうキャラになってくると当然、小説全体の語り口も軽い感じに変わってくる。自然とそういうキャラになってくれたというところはあるね。

─ もちろん、ただのへたれじゃなくて、ヒーローという要素もあるわけですが。

 それはそうです。へたれだけど、「なにくそーっ」と金切り声上げて、唇を噛みながら「でも負けない」という感じがわりといいんじゃないの、と。こういう場所にスーパーヒーローを持って来ると、典型的な冒険小説みたいになってしまう。それはもういまの小説じゃない。七〇年代、八〇年代までの話になってしまう。

─ いまの時代というお話が出ましたけど、今年は大沢さんにとって作家生活四十年目という記念すべき年です。四十年という長きにわたって小説をお書きになってきて、時代によって変わってきたと感じることはありますか。

 小説のおもしろさの根幹は変わらないけれど、ヒーロー像は変わってきたと思うね。永遠不滅のヒーロー像、ヒロイン像はもちろんあるんだけれど、それは核としてのもので、外装は時代とともに変わる。たとえばこの石上だって、最終的には戦うからヒーローではあるが、戦うまでに弱いところをたくさん見せるほうが、いまの読者はリアリティを感じるのじゃないかな。
 エンタメは常に時代と寄り添う部分が必要。時代と寄り添うといってもそれは風俗をまめに取り入れるということではなく、その時代を生きる人の空気感とか、感性、考え方を取り込んでいくということだと思う。

─ 取り込むために意識されていることはあるんでしょうか。

 そんな大げさなものはありません。本能みたいなもの。カンていうかね。いまの読者が何を面白がるかというと、当然、そこにはまず登場人物の魅力がある。さまざまな人物が登場し、彼ら、彼女らが読者の印象に残ることで物語が膨らんでいくものだから。
 『漂砂の塔』でいえばさっき挙げたギルシュもそうだし、定期的に本や雑誌を運んでくる「本屋」のパク、中国側の警備担当者のヤン、合弁会社オロテックの施設長のパキージンなどがきっと印象に残ると思う。それぞれの個性に時代性を与えながらも、役割としてではなく描くということだよね。

─ 役割としてではなく描くとはどのようなことなのでしょうか。

 役割を書くのと、人を書くことは違う。登場人物に物語を進行させるための役割を割り当てて、そのまま書いている小説も世の中には多いけれど、本当に読者を面白がらせようと思ったら、役割を書いているのではダメ。エンタメはなるべく役割にならないように、おもしろい人間像を書くものでしょう。

─『漂砂の塔』の登場人物たちはたしかにそれぞれ個性的ですね。それぞれ本当のことを言っているかどうかわからないし、腹に一物がありそうで、油断も隙もない。

 それが底流として、サスペンス感を盛り上げていくというのはあるだろうね。それによって主人公の孤独感が強調されるという部分もある。
 でも実は、私自身は書いていてわりと信用できる人間ばっかりな気がしてたけどね。そもそも石上が最初から他人を信用してないということもある。どうせお前ウソつくんだろと思って接してるからそう見えるところもあるんじゃないかと(笑)。

─ 閉鎖された状況のなかで誰を信じていいかわからない。そのあたりも読んでいてとてもハラハラしたんですが、石上がある女性に翻弄されますよね。

 石上が誰といつどこでどうなるとは決めていなかったんですよ。気がついたら、あれ、ということになっていて。女に弱い悲しさ。

─ そうなんですか! 

 これはもう完全に私と同じ(笑)。やばい、やばい、けどいっか、みたいな。だって、そこでストイックに女性を遠ざけたら七〇年代みたいなヒーローになってしまうよね。男は据え膳は食わねえ、みたいな。いまなら「いや、ウソつけ」ってなるだろ? 石上はとくに己の本能にやたら忠実すぎるところがあるけど(笑)。

原点はハードボイルド・スピリット

─ 大沢さんが一九七八年に『感傷の街角』でデビューされた当時は、ハードボイルド小説の新たな旗手として登場されました。ハードボイルドも当時といまとでは変わってきたと思います。大沢さんが『新宿鮫』シリーズや『北の狩人』から始まる「狩人」シリーズなどで開拓してきた世界は、まさにそうした新たなハードボイルド小説としての一面があったのではないでしょうか。

 ハードボイルドももちろん時代性がすごく大事なんだよね。たとえば、ハードボイルドの原点であるチャンドラー、ハメットは私も大好きだけど、そのまま現代に置き換えて書こうとは思わない。それならチャンドラー、ハメットを読めばいいじゃんと思う。いま書くなら、いまのハードボイルドって何なんだ? ということを考えなくては。フィリップ・マーロウやサム・スペードはその小説が生まれた時代の空気をまとった登場人物だから、現代の空気をまとわせた主人公をつくりださなければいま書く意味がない。
 私の場合、現代の日本を舞台にしたハードボイルドだけでは満足できないところもあって、『B・D・T』のような近未来を舞台にしたハードボイルドも書いている。もっととんがった、もっとぶっ飛んだ設定の中でハードボイルドを書きたいから、近未来にしたり、あるいは近過去にしたりと工夫する。そういう知恵を絞ろうよっていう気持ちはつねにあります。『漂砂の塔』を近未来に設定したのも、オリンピックが終わった後の日本と近隣諸国の関係を考えたほうが想像力が膨らむんじゃないかと思ったから。「大沢さん、またこんなぶっ飛んだこと考えてんの。いいよいいよ、つき合ってやるよ」と思ってくれる読者の方たちのために書いている部分はあります。

─ ハードボイルドというと男性中心のマッチョというイメージがありますが、大沢さんの作品は男性も女性も強いですよね。

 男だからとか女だからじゃないと思うね。子供でも年寄りでも関係ない。ハードボイルドの思想性というかそのスピリットが好きなんだ。そのスピリットだけで四十年書き続けてきて、多分これから先もそれを続けていく。だからいままで小説を書いてきて、あまり迷ったり、詰まったりはしなかった。何かあったら原点に戻ろう、それはハードボイルド・スピリットだ、と。

─ ハードボイルド・スピリットということでいうと、人間の自立というか孤軍奮闘ということでしょうか。石上も核の部分で孤独を引き受けていますよね。

 我慢しようよ、歯を食いしばろうよってことなんだろうね。歯を食いしばらないやつに答えは見つからないよという気持ちはある。じゃあ、お前はどうなんだって言われると、ようわからんところもあるけど。でもそれなりに歯を食いしばってるつもりではいる。小説家には歯を食いしばる瞬間がなければ、物語は完成しないものだから。

聞き手・構成=タカザワケンジ
【大沢在昌 著】
『漂砂の塔』
2018年9月5日
本体2,000円+税
プロフィール
おおさわ・ありまさ
●作家。1956年愛知県生まれ。
著書に『感傷の街角』(小説推理新人賞)『新宿鮫』(吉川英治文学新人賞・日本推理作家協会賞)『無間人形 新宿鮫4』(直木賞)『パンドラ・アイランド』(柴田錬三郎賞)『海と月の迷路』(吉川英治文学賞)等多数。
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