本誌連載中から注目を集めていた佐藤賢一さんの『テンプル騎士団』が集英社新書として刊行されました。
佐藤さんも書かれているように、テンプル騎士団といえば、団員しか知らない秘儀があった、異端の教義を伝えていた、隠し財宝がある、秘密結社として今も続いている、はたまた姿を変えてフリーメイソンになっている等々、さまざまな謎に包まれています。騎士団崩壊から七百年以上経過した現在もなお、各種の謎解き本が出たり、小説、映画、ドキュメンタリーなどで取り上げられたり、非常に強い関心を持たれ続けています。
この歴史上の大いなる謎に挑まれた佐藤さんに、お話を伺いました。
現代にも通じる謎の組織
─ この本を構想されていた時期、ちょうどIS(ISIL)の活動が話題になっていて、それも執筆の動機の一つになったそうですが。
ISが出てきたときに、ついにこういうものが現れたかと思いました。というのも、今でこそ国家というものが人間集団の基本単位のようになっていますが、いわゆる近代国家というのはヨーロッパ主導でつくられたもので、それがいつの間にか世界的な標準モデルになったわけですね。だから、現代の人たちは国という単位がかっちり決まっているのが当たり前のように思っているけれども、それ以前は、国だけが基本単位ではなく、このテンプル騎士団のようにいろいろな集まり方があった。とすれば、特定の国家に属さないISというのは、長い歴史の中で見れば、人間の集まり方としてさほどイレギュラーなものではない。ことに中東のような地域においては、国境自体が不自然というかきわめて人為的なものだったりもするわけですから、ISのような組織が出てくるのはある種自然な動きだともいえる。
つまり、国家とは違った組織のあり方、人間の結びつき方の一つの典型としてこのテンプル騎士団を見ることもできる。そういうこともあって、書きたいという思いが強くなったんですね。
それに、『ダ・ヴィンチ・コード』に登場したり、歴史の謎ということでその名がしばしば口の端にのぼることもあるのだけれど、その実態は案外知られていない。ですから、謎が云々というより、テンプル騎士団という存在そのものがユニークでおもしろい歴史的な事象なんだよということを書きたいと、以前から思っていたんです。
─ 佐藤さんは、『オクシタニア』(集英社文庫)でアルビジョワ十字軍について書かれています。同じ十字軍といっても、アルビジョワ十字軍は同じキリスト教内の異端狩りですが、今回は対イスラム十字軍が舞台ですね。
十字軍に関していうと、この時代は信仰とか宗教というものが現在思われている以上に重要な大義になっていて、キリスト教はもちろん、イスラム教においても、神を前面に押し出すことで物事が進みやすくなるし、人も動かしやすいということがあったわけです。そういうと、現代とはかけ離れた時代のように思われますが、意外と現代と通じるところもあるんです。
ヨーロッパの歴史において、中世では神のために人は死に、近代では国のために人は死んだ、ということがいわれていました。それでは、国家というものがふたたびあやふやになってきた現代に生きる我々は、何のために命を懸けたり戦ったりすることになるのか。もう一度宗教が出てくる場合もあるだろうし、あるいは民族みたいなものが出てくるかもしれない。そう考えれば、現代的な問題と中世の十字軍の問題がリンクするところがあるし、その意味では、ちょうど宗教が大きな存在としてあった歴史を再発見する時期でもあるのかなとも思っています。
近代のはじまりと東西交流の貢献者
─ 中世ヨーロッパでは、祈る人(聖職者、修道士)、戦う人(貴族、騎士)、働く人(平民、農民や町民)の三身分に明確に分けられていたのが、このテンプル騎士団においては、祈る人と戦う人が融合している。これはちょっとした社会革命だった、と書かれています。
従来、それぞれ棲み分けていた二つのものが一つになるというのは、十字軍という特殊な事情があったから認められた特例、イレギュラーな存在だったわけです。しかも僧侶としての学識があり、騎士としての戦闘技術も有している、いわば文武両道のエリート集団であるテンプル騎士団を、レギュラーなものとして認めていくのか、あるいはあくまで一時的な特例と考えるのか。そういう歴史の選択でもあったんじゃないかと思います。
それに当時の感覚としては、イスラムの世界はヨーロッパよりも文化的に進んでいる先進地であり、その地に長くいたエリートたちが、先進地の常識をヨーロッパに持ち帰ってくる。たとえばお金ですね。当時の西ヨーロッパは、まだ物々交換から一歩抜け出したぐらいの状況でしたが、イスラムの世界では手形などもふつうに使われていて、すでに貨幣経済が成り立っていた。それはたしかに便利だし、優れてはいるけれど、そうした先進的な感覚をヨーロッパ世界にそのまま持ってきたテンプル騎士団の団員たちに対して、一般の人たちには何か警戒心というか、それは反則なんじゃないかといった反発もあったのだろうと思います。
─「テンプル騎士団は嫌われる」という章では、経済的にも強大化したテンプル騎士団に対して、妬みを抱くフランスのフィリップ四世の姿が描かれています。一方で、テンプル騎士団は、それまで交流がなかった西と東を結びつけることで、ヨーロッパに貨幣経済をもたらすなど、ある意味ではヨーロッパの近代を準備する役割も果たしたといっていいのではないでしょうか。
近代を準備するという点においては、確実に貢献したと思います。では、その近代を誰がつくるのかといったときに、国家とテンプル騎士団のような国を越えた組織とのあいだで主役争いが起こる。そこで両方引かないときには決裂するしかない。その結末が、フィリップ四世によるテンプル騎士団の一斉検挙になるわけですね。
─ その検挙の仕方には強引さが付きまとい、騎士団総長のジャック・ドゥ・モレーらの処刑からほどなく、ローマ教皇のクレメンス五世とフィリップ四世が死に、これはモレーの呪いだという噂が流れる。その辺のわだかまりも、その後の歴史においてテンプル騎士団の話題が繰り返し登場する要因にもなっているのでしょうか。
そうだと思いますね。テンプル騎士団が壊滅した後、ヨーロッパではルネサンスを経て絶対王政の時代に入っていき、国家の長である王が絶大な権力を持つようになる。そうなると、たとえその王が気にくわないと思っても、一般の人たちは批判したり逆らったりできない。じゃあ誰だったらこの王様に立ち向かうことができるのか。その想像力の行き着く先の一つに、テンプル騎士団があったのだろうと思います。人びとにとって、彼らは一種のスーパーマンで、困ったときには助けに来てくれる、そういう幻想が連綿と引き継がれていったのでしょう。
国家という枠組みを越えたネットワークとは
─ テンプル騎士団に関しては関連の資料も多いし、崩壊に至る過程も複雑で、簡潔に書くのは大変だったと思いますが、一番苦労されたのは?
歴史の書き方にはいろいろな形式がありますが、今に残っているものを遡っていくというのがスタンダードな書き方なんです。たとえば、今イギリスという国がある。その歴史を遡って「イギリス史」というものを書くことができるのですが、テンプル騎士団のようにすでになくなってしまったものは、なかなか遡り得ないし、その歴史的な意義とか影響力の大きさも語りにくい。ですから、歴史を書くについては、非常に不利ではあるのだけれど、今回はそういう書き方に挑戦してみたいと思ったんです。
それに、たとえばテンプル騎士団が持っていた土地に関しても、それだけで一冊になるくらいの厖大なデータがあるのですが、そうしたデータを表や数字ではなく、叙述の中でどう表現するのかは、かなり苦心したところです。
─ 最後のほうで、テンプル騎士団は「ヨーロッパ初の常備軍であり、ヨーロッパ一の大地主であり、ヨーロッパ最大の銀行」で、現在の国連が潤沢な資金と強力な軍隊を持ったようなものだと書かれています。今、世界では金融をはじめとするグローバル化が問題になっていますが、執筆を終えられた後、佐藤さんの目に現代の状況はどのように映っているのでしょうか。
これからの世界の動きは不透明なところがありますが、一つ意外だったのは、EUなどが出てきて、国という枠組みがどんどんなくなっていくような気がしていたのですが、スコットランドがイギリスから独立しようとして、スペインでもカタルーニャが独立の声を上げて、ともに阻まれたりしていて、依然として国という枠が根強く残っている。
その一方で、ISのような国という枠によらないネットワークで存在していく組織が、今後新たに出てくる可能性は高いように思える。そこで一番怖いのは、軍事力を持つものが生産手段も持つということです。軍隊というのは、自らは何も生み出さない組織なので、お金を握っているものには逆らえないようになっていて、だからこそシビリアン・コントロールが可能なわけです。しかし、この先、この二つがテンプル騎士団のように合体して、新しい組織が生まれるという可能性もあるかもしれない。そういうところで、ほんとうにこの先の状況が読めなくなっています。
─ そこにもう一つ、宗教という大きな要素が入ってきます。
そうですね、ヨーロッパでもアメリカでも日本でも、程度の差はあれ、ある程度宗教というものを否定することで近代化を図っていったわけですね。ところが、そうした欧米や日本以外では、いまだに宗教が力を持つ地域が多い。ですから、近年起こっていることは、ヨーロッパ的な近代が軽視した宗教によってしっぺ返しを食らっているという側面があるような気がしています。
やはり、人間の気持ちには理屈だけでは割り切れないものが必ずあるわけで、それを合理主義的な理解ですべて処理しようというのは無理がある。そこを補うのが宗教だろうし、ことに異常なストレスを覚える現代社会は、かつて以上に宗教的な心性が入り込みやすいような気がします。ただ、宗教が日常生活の中に当たり前にあった時代とちがって、今日のように宗教に耐性がないときには、いってみれば免疫がないので、すぐに宗教的な狂熱にやられてしまう危険性もある。その意味でも、宗教が大きな力を持っていたテンプル騎士団の時代を考えることは、意味があると思います。
─ 今回はノンフィクションで書かれたわけですが、次に同じ題材をフィクションで書こうという気持ちはおありですか。
そういう気持ちもなくはないですね。基本的に、このテーマだとノンフィクションで切ったほうがいいなとか、このテーマだとフィクションのほうがいいなというようなことで書き分けているのですが、テンプル騎士団の場合はノンフィクションのほうが書きやすいように思えたんです。
ただ今回、あの時代の大きな枠組みを書くことができたので、この枠組みの中から魅力的な主人公が浮かんでくれば、おもしろいフィクションにできるかもしれませんね。
聞き手・構成=増子信一
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【佐藤賢一 著】
『テンプル騎士団』
2018年7月13日
本体900円+税
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さとう・けんいち
●作家。1968年山形県生まれ。
93年『ジャガーになった男』で第6回小説すばる新人賞受賞。99年『王妃の離婚』で第121回直木賞受賞。2014年『小説フランス革命』で第68回毎日出版文化賞特別賞受賞。著書に『英仏百年戦争』『ラ・ミッション 軍事顧問ブリュネ』『ハンニバル戦争』等多数。
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