男性が身体を売るボーイズクラブに入った大学生のリョウ(森中領)を主人公に、現代の性愛のかたちを大胆に描き話題を呼んだ『娼年(しょうねん)』。続編の『逝年(せいねん)』とともに、長く読み継がれる現代の古典となっている。この春、松坂桃李主演の映画化作品が公開されることもその評価の高さを物語っているだろう。
そして、このたびついに三部作の完結編となる『爽年』が刊行される。二十代後半になり、男性として成熟したリョウの前に現れるさまざまな女性たちの性のあり方とは? 『娼年』から十七年。その間、この国の性はどのような変化を遂げたのか。作品と時代との関係性をうかがった。
成熟したリョウ君の生活と意見
─『爽年』は、二〇〇一年の『娼年』、二〇〇八年の『逝年』に続く三部作の完結編に位置づけられます。振り返ってみていかがでしょうか。
不思議なかたちの三部作になりました。始まりは自然発生的で、書き下ろしで何か好きなものを書いてほしいという依頼でした。その『娼年』が最初の直木賞候補になったんです。
─ それから少し時間をおいて『逝年』をお書きになられた。続編を書かれたのはなぜですか。
一つはリョウ君の物語にはまだ掘っていない部分がありそうだなということ。もう一つは、『娼年』が直木賞の候補になったときに、ある新聞社の女性記者にこう言われたんです。
「『娼年』の物語には続きがありますよね。メグミはあのままでは終わらなくて、気が変わるんじゃないですか」
それを聞いたときに、「あっ、本当だ、メグミちゃんもまだ変わるし、リョウ君たちもまた変わっていくんだろうな。静香(しずか)さんが亡くなったあとどうなるんだろう」と考え始めたんですね。
あとは、『逝年』の「逝」を思いついたことですね。このシリーズは、ある意味でタイトルの漢字探しの旅だったような気がします。考えてみれば、『娼年(ショウネン)』、『逝年(セイネン)』で、『爽年(ソウネン)』になるんですね。もうさすがにロウネンはないと思うんですけど。
─『爽年』は『逝年』から七年がたった、というところから始まります。
今回は、大人になったリョウ君の生活と意見をちゃんと書きたいという気持ちがあったので、七年という時間をおいたんです。
─『爽年』はリョウ君が読者に語りかけるという形で進んでいきます。こういう女性がこの世の中にはいるんだよ、という語りかけ方がとても印象的です。
語りかけができるようになるということは、リョウ君の主体が確立した、自分自身ができ上がってきているということだと思いますね。『娼年』の頃はまだ自分が生きていることに苦しんであっぷあっぷしている感じだった。それが経験を積んでだんだんと落ちついて、今では経営者の立場にいるという変化ですね。
─ なるほど。たしかにリョウ君の成熟を感じましたね。
リョウ君はそうなんですけど、一方で、社会のほうは逆の現象が起きていますよね。性をめぐる状況に関して、だんだんと社会からの締めつけが厳しくなってきているんじゃないですか。『娼年』を書いた二〇〇〇年頃はまだ前世紀までの勢いがあったんですけど、今は本当にみんな元気がないし保守的になってしまって。
─ たしかにそうですね。『娼年』が出たときに衝撃的だったのが、男性が身体を売るということをこの本が肯定的に捉えていたことです。性についてもっと自由に柔軟に考えていいんだよ、と。『娼年』と『逝年』が読み継がれている一方で、世論が硬直化してきているのもまた事実ですね。
そうですね。ですから、この三冊を通して見てみると、時代のダブルスタンダードを感じますね。表面では性的な禁止事項が増えているんだけれども、このシリーズの女性読者から一番多く言われた言葉は、「リョウ君だったら一時間一万円で買います」だったんですよ。
─ 時代という言葉が出ましたが、この三部作からこの十七年間の性をめぐる状況が読みとれますね。『爽年』では、若者たちの性の絶食化やアセクシャル(無性愛)、夫婦間のセックスレスなどが描かれています。
このシリーズは海外でも訳されているんですけど、現代日本の性の百科事典的な捉えられ方をしていると思うんです。今回も二〇一〇年代半ばの時代状況をちゃんと書ければ、と思いました。その結果として、性に対するハードルがぐんと上がって、性の不可能性みたいなものがどんどん前面に出てきてしまいましたね。これは僕が意図的にコントロールしたのではなくて、書いていて自然にそうならざるを得なかった。今の時代を映しているなと思いますね。
─ 現代の日本では、性を楽しむことがすごく贅沢なことになっているような気がします。
どうなっちゃったんですかね。作中にもちょっと書きましたけれども、EUを金融危機が襲ったとき、ギリシャやスペインは貧しくて大変だと言われていましたが、どこの国も日本より不幸には見えないのはなぜだろうと思いました。そう考えると、日本人の性的な関係性の貧しさが不幸の根本にあるんじゃないかな。小説でそのあたりをちょっとでもマッサージしてもみほぐしていけるといいなとは思いますね。
いつでも正義の側にいたい人たち
─ リョウ君が女性たちに対してしていることも、心と身体のマッサージという一面がありますね。彼は一種のカウンセラー的役割を果たしている。性と言葉によるコミュニケーションが切り離せないものなんだと感じました。先ほどおっしゃった、女性読者の「リョウ君だったらお金を払ってもいい」という言葉は、性的なことだけでなく、言葉のやりとりも含んでのことですよね。
その点に関して、今、とくに若い男性に言いたいのは、女性はセックスだけを求めてはいないんだということなんです。女性は関係性にエロティシズムを感じるので、そこはぜひ頑張ってほしい。きちんと話をすれば、セックスをすること自体は難しいことではないと思うんですけどね。でも、その能力がだいぶ落ちてしまっているような気がしますね。
相手の語る言葉に身体とか感覚を添わせる、みたいなことが苦手な人が増えましたね。それができない人たちは、男はこうだとか、女はこうだとか、結婚とか社会はこうだと頭から決め込んでいる。若い世代にそういう人たちが多く見られるのがちょっと残念だとは思いますね。
─ なぜそうなってしまうのでしょうか。
恐怖心ですよね。社会全体が貧しくなっていく中で、ちょっとでもいいポジションにいたい。そのためには、今までの体制の中にうまく取り入ったほうがいいんだと考えるんでしょうね。
─ なるほど。それが性という、あまり大っぴらに語られないことに表れている。
今、日本が抱えている問題の一番大きな部分って、語られないところにあると思うんですね。少子化の問題も、男女間の関係の貧しさが根本の原因ですからね。お金がないのはたしかに問題だけど、貧富の差がある国でも子供はたくさん生まれているので、日本だけがそうなっているのはちょっと心配ではありますね。
─ そうですね。常に経済的なことが理由とされていますけど、それだけではない。
異性とちゃんと向き合うというのがすごく難しい時代になっているなというのは、作家として感じますね。普通のラブストーリーが成り立ちにくい。日本映画のラブストーリーが高校生の話ばかりなのが象徴していますよね。大人の男女がなかなか出会えないし心を開けない。だから逆に、『娼年』のような、セックスという究極のコミュニケーションから始まる心の交流だったり、言葉と身体によるカウンセリングみたいなものに癒しを感じるんじゃないですか。
─ 成熟したとはいえ、リョウ君もまだ性に対してはわからないことだらけで、自身は恋愛から遠ざかってもいますね。単純なヒーローではないところに奥行きを感じます。
でも、リョウ君は、作者の僕の思い通りにコントロールできるタイプのキャラクターではないんですよね。セックスをしながら突然哲学的なことを言い出したりする。それがなぜかは僕にもよくわからない(笑)。正直言って、書いているときに、「この会話一体どこに行き着くんだろう」ということがよくあるんですよ。それでも、書いていてすごく楽しかった。リョウ君にはある種の硬質な自意識がある。しかもちゃんと欲望も持っている。僕の書いている小説の中では、『池袋ウエストゲートパーク』シリーズのタカシ(安藤崇)と並んで二大モテキャラですね。
─ 石田さんが作者としてコントロールできない部分があるというのはとても興味深いですね。
それがこの『娼年』シリーズのおもしろいところなんです。実は執筆依頼を受けたときには、キャラクターの設定とかは一切考えていなかった。アルペンスキーの滑降と同じように旗門(きもん)が幾つかあって、それらをすべてベッドシーンにする。決めていたのはただそれだけだったんですよ。とにかくベッドシーンをたくさん書く。それに応じて必要なキャラクターを考えたときに生まれたのがリョウ君。あとから生まれてきたキャラクターにもかかわらず、ものすごく自由に動いてくれた。それがこのシリーズの成功の理由だったのかもしれませんね。
あとは、当時はベッドシーンを書く若い作家がほとんどいなかったということも大きかったですね。今もそうなんですけど。とくに男性作家はそうですね。
─ 不思議ですね。
そういう点では、もうちょっと小説が持っている本来の力、言ってみれば価値紊乱(びんらん)の可能性みたいなものを追求する作品がもっと必要だと思いますけどね。
─ 毒というんですかね、常識を疑わせるような衝撃力のある作品は、このところあまりありませんね。
なくなりましたね。要は、今、価値とか、正義とか、悪とかで迷いたくないんですよね。それを一言で言うと、いつでも正義の側にいたい。でも、ふと思ったんですけど、戦争とか争いごとって、すべて自分が正義であるという人が起こすじゃないですか。なので、僕は、今は単純な善と悪の物語を書きたくないという気持ちがありますね。
小説も映画も"しっとり"してほしい
─『爽年』を読んでいて感じるのは文章の流れが心地よく、性的な描写であっても、すっとその世界に入っていけることです。『娼年』のときからベッドシーンをお書きになるというテーマがあったということですが。
ベッドシーンを書くのは楽しいですね。僕の性質なんですけど、ベッドシーンを書くほど筆が硬くなっていくんです。ガラスペンで書いたみたいな文章になる。そういう意味では、自分なりの独特な性に関する感性があるんでしょうね。ベッドシーンを書くと性的な興奮を覚える作家もいるようですが、僕はそういうことはないんですよ。
─ どこか観察モードということなんでしょうか。
そうですね。要するに、言葉で表現することがすごく楽しいので、それがセックスではなくても本当はいいのかもしれない。たまたま僕の筆のトーンに合うのがベッドシーンだったということだと思うんですね。不思議ですね。
─『爽年』に口の中に性感帯がある女性が登場しますが、いろいろな形の性があり、それをリョウ君は肯定していく。男性はどうしてもペニスを中心に考えてしまいがちですけど、開発するという気持ちがあれば変わるのかな、と。
男でも、必死で鍛えて乳首でいけるようになるやつもいるというからね(笑)。人間の性はほかの動物と違い、必ずしも生殖と結びついていないので、多様で自由であっていい。でも、性に限らず、生きること自体をいろいろな角度から楽しんでいこうという気持ちが、今の僕たちに乏しいのかもしれないですね。この社会の薄暗い感じは、楽しむことが良しとされていないからかもしれない。その中でも性は楽しむことを禁じられているという感じがしますね。
─ このたび『娼年』が松坂桃李さんの主演で映画化されます。松坂さんは舞台版でも好演されて話題になりました。映画はもうご覧になったんですか。
よかったですよ。実は、これまでも映画化の企画が三、四回来ていたんです。ただ、うまくいかなかった。刊行からかれこれ十数年ですから、僕としては、随分遅かったなという印象ではありますね。題材としては、昔の日本映画の名作に連なるものだと思うんですよ。谷崎(潤一郎)や川端(康成)が原作の。
─ たしかにかつての文芸映画には性が描かれていました。
そういう意味では、実は正統派の小説だと思っていたんですけどね。ただ、時代が本当に硬くなってしまったので、いつの間にか異端になっちゃった(笑)。
─ 今回、映画化が実現した理由はあるんでしょうか。
舞台の成功が大きかったと思いますよ。毎回大入りで、キャンセル待ちの行列がすごかった。そう考えると、みんなの渇きみたいなもののマックスがちょうど今の時代だったのかなという気がしますね。
─ 脚本・監督は舞台に引き続き三浦大輔さんですね。『愛の渦』でも性を題材にして高い評価を受けています。
今回は三浦さん独特の赤裸々な表現への感性と、僕の世界がうまくはまったんだなという感じですね。それに、松坂君が文字通り身体を張って頑張ってくれた。小説もそうなんですが、映画を見た人にはぜひしっとりとしてほしい。映画公開のときに舞台挨拶をする機会があれば、絶対に言おうと思っているんですけどね。「松坂君のお尻を見てしっとりしてください」と。
─ しっとり、という言葉はこのシリーズにぴったりですね。やわらかく潤っています。
小説は何かを提案するというようなこととは違うものなんですよね。読んでいる間、心からリラックスして楽しめればそれでいいので。で、読み終えて現実に戻ってきたときに、一つ二つ、心に引っかかる場面だったり、考えたことがあれば十分ですから。
でも、こうして振り返ってみると、それなりに支持してもらえたのは、性における自由の重要性と、性をもっと楽しんでいいんだという提案があったからかもしれないですね。
聞き手・構成=タカザワケンジ
映画情報
『娼年』
4月6日(金)TOHOシネマズ新宿他、全国ロードショー!
松坂桃李(森中 領)
真飛 聖(御堂静香) 冨手麻妙(咲良) 西岡梍n(泉川) 江波杏子(老女) ほか
脚本・監督 三浦大輔 原作 石田衣良
"娼夫"として生きることを選んだリョウは、性の深遠へと分け入り、欲望の奥深さに魅せられていく─。石田衣良さんの小説『娼年』が、松坂桃李さん主演でついに映画化されます。メガホンを取るのは三浦大輔監督。2016年の舞台版でも大きな反響を呼んだコンビが、大人の女性のためのかつてないエンタテインメント作品を作り上げました。(R18+指定作品)
(C)石田衣良/集英社 2017映画『娼年』製作委員会
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【石田衣良 著】
『娼年』
発売中
本体400円+税
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『逝年』
発売中
本体430円+税
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『爽年』
4月5日発売
本体1,400円+税
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いしだ・いら
●作家。1960年東京生まれ。
97年「池袋ウエストゲートパーク」でオール讀物推理小説新人賞を受賞しデビュー。著書に『4TEEN フォーティーン』(直木賞)『眠れぬ真珠』(島清恋愛文学賞)『北斗 ある殺人者の回心』(中央公論文芸賞)『アキハバラ@DEEP』『美丘』他多数。
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