〈私は基本的に将来に対して夢や憧れなどを持たず、ただ目の前の選択肢を、次々に選んできた。将来よりも目の前のことしか考えていなかった〉
若いときは若いなりに、年を重ねればそれなりに、ものを見て考え、現実を生きる。群ようこさんのエッセイや小説の魅力の源となっているのは、徹底したマイペースぶり。ウェブサイト「RENZABURO」での連載をまとめた新刊『ほどほど快適生活百科』は、衣食住から健康、お金、趣味、仕事、人間関係にエイジングまで、60代の現在の生活に密着する9項目に、文字通り計"百"の行動基準を示した、群流・人生指南の書。とはいっても、我らが群さんのこと、そのキーワードは〈ほどほど〉。ゆるくてもたわまず、の美意識が貫かれた執筆活動と日々の暮らしぶりについて、伺いました。
みんな、頑張りすぎていませんか
─まずは、〈ほどほど〉というキーワードが生まれたきっかけを教えてください。
連載の企画が立ち上がった当初、「〈ほどほど〉がいいんじゃないか」という提案が編集者の方からあったんですが、私もそう感じました。今、みんな、けっこう頑張りすぎちゃっているじゃないですか。
─世の中、すべての人が。
ええ。たとえば、働きながら子育てしているお母さんたちはとても頑張っているけれど、自身は「子どもにすごく我慢させているんじゃないか」と思っていたりする。そして、仕事と子育てを完璧にやっている人を見て、そうじゃない人は「自分はすごく欠落している」と感じたり。すべてがある種、競争のようになっていて、誰もが周りを、自分に対する評価を気にしすぎている感じがするんです。美容についても、「50代でもあんなにきれい」とか、余計なお世話だよ! って(笑)。変な情報、与えないでほしいですね。
まあ、パワフルな人はどんどん突き詰めていけばいいと思うんですが、そういう人と同じようにしないと自分が劣っているというふうに思うのはどうなのかなぁという気持ちが、ずっとありまして。いいじゃん、頑張りすぎなくても、と。
─それで、〈ほどほど〉。
昔は「適当」と言ったんですけどね。私が小唄を始めたときに習った歌にも「ほどほどに」というのがあったんです。色気も何もすべてほどほどな男がいいのよ、という歌で、戦後のものなんですが、当時から価値観として認識されていてそれが歌い継がれているということが、すごく面白くて。私のお師匠さんも「やっぱり人生はほどほどだよね。言い当ててるよね、この歌は」とおっしゃっていて、そのときにすごく納得したということもありました。
昔は「人生五十年」だったわけでしょう? 還暦を過ぎて事故に遭ったら、新聞に老女って書かれちゃうように(笑)。でも、今は80になっても90になっても、死ぬまでずっと頑張らなくちゃいけないような感じがある。まあ、諦められない人も多いんでしょうけど。だから、無理をしないで、何でもほどほどがいちばんいいんじゃないの、ということを、メッセージとして込めたんです。
仕事は馬鹿にしちゃいけない
─「衣の章」「食の章」「住の章」の各章には、おすすめの品など、具体的なアドバイスが数々。「健康・美容の章」では、10年近く続けている漢方を基調にした生活術を紹介されています。50代半ばに体調を崩されたのをきっかけに、薬局の先生のもとに通っておられるそうですね。
週に1回、体調をチェックしてもらっています。もともと体が弱いほうで、あまり無理をしないようにしていたんですが、めまいを覚えたのをきっかけに、食生活を中心に考え方を変えました。もう冷たいものをグイグイ飲んだり、饅頭を一度に6個も食べたりしちゃいけないんだと(笑)。うちの先生は、自分で食事や睡眠に気をつけていれば、体調不良の8割方は治ると言っていましたね。漢方というのは補助的なもので、体が冷えるものをなるべく食べないとか、早く寝るとか、そうしているだけでずいぶん違うみたいです。
─続いての「お金・仕事の章」は、作家・群ようこの仕事人としてのポリシーが感じられ、興味深く読みました。
仕事への姿勢は、基本的には書き始めた頃とあまり変わっていません。まず、締め切りを確実に守ること。それから、短いものも長いものも同じ気持ちで書くということ。若い頃、同業者の男性が「短い原稿なんか横向いてても書ける」と言ったのを聞いて、すごく驚いたんです。つまり彼は、いただいた仕事に差をつけていたわけですけど、それはないよなぁと。原稿用紙1枚700円の仕事でも10万円の仕事でも、私は同じようにやったし、高いから頑張る、安いから手を抜くということはしませんでした。仕事は、馬鹿にしちゃいけないですよ。とくに、フリーランスは。会社なら閑職に追いやられかねないこの年代になってもお仕事をいただけているのは、やっぱりありがたいことですから。
─仕事においては、ひとつひとつきちんとやった上での〈ほどほど〉であると。
ええ。若い人なんかが自分の希望じゃないセクションに行かされると、会社が悪いとか上司の見る目がないとか文句を言いますが、「四の五の言わずに、やれよ」と思いますね。嫌なことでも、やってみたら意外と嫌じゃないということもあるし、やっぱり嫌だと思ったら、それがその後の判断の基準になる。何でも「やらせてもらう」という気持ちでやればいいんじゃないかと思います。
─そして、働いて得たお金は使う主義。〈触っていると心が落ち着く〉という着物など、趣味や娯楽、自分に幸せを与えてくれるものには惜しみなく、というのが痛快です。
安定した老後はどんどん遠ざかっていきますけどね(笑)。でも、お洋服が好きな人はお洋服をいっぱい持っていれば幸せだろうし、貯金通帳の桁が増えるのが生きがいの人もいる。心の安定のかたちは、人それぞれですから。
─さらに、誰もが避けて通れない課題が、人とのほどよい付き合い方。「人間関係の章」では、ご家族との長年の相克を書かれていますが、身近な人ほど整理が難しいものです。
両親が離婚して以降、母と弟と私はけっこう仲良し家族だったんですが、私の本が売れ始めたときから関係が変わっていって、「あれ? もしかしてこの人たちとは考え方が違うのか」と。そういうことって、同じ家で暮らしていた子どもの頃や若い頃には気がつかないものなんですよね。
いちばん葛藤したのは、実家を買わされたときです。あれは、人生最大の迷い。今もまだ問題が残っていて、血が繋がっているだけに「何で?」と思うことは、やっぱりあります。家族は、他人のようには無視できない。人間関係は難しいです。お互いに、感情がありますから。
そして、断捨離は続く
─それでも、やはり人生の最後は穏やかな境地に辿り着きたいもの。最後の「エイジングの章」によると、何度かエンディングノートにトライされたそうですが……。
私は50歳になったときから書こうと思って、60のときにもそう思った。でも、いまだに書けてない。根本的におっちょこちょいで、抜けてるんですよ。自分でも呆れるくらい。
─しかし、最期を迎える方針としては、余計な治療はせず「外猫のように」死にたいと、揺るぎないものが。
それはずっと、そうですね。昔から、お金持ちになりたいとか、大きな家に住みたいとか、そういうことはぜんぜん願っていなくて。一間のアパートでも、そこでのんびり本を読んだり猫と遊んだり、自分の好きなことができればいいなと思っているので、あまり多くのことは望んでいないんです。
結局、「自分の人生は何なのか?」ということですよね。皆、始まりがあれば、終わりがある。もちろん、お金を貯めるとか、仕事をバリバリやってトップにのし上がるという目標も、それぞれの人生だからいい。私みたいな人ばっかりだと、世の生産性が下がっちゃいますから(笑)。頑張ってくれる人には、ああすごいな、ありがとうって思ってます。
─つまりは、〈なるようにしか、ならない〉〈自分で満足できる生活を送っているのかどうかが重要なのだ〉と。
でも、こうと思ったようにはいかないのも人生。今は何も考えずに、行き当たりばったりの人が多いような感じがしています。3・11で感覚が変わったのか、不安もあってあまり明日のことは考えたくないのかもしれない。私は、日々、シミュレーションしているんです。「こうなったらどうなるかな」「どうしようか」と、いつも漠然と考えていたりするので、何かあったときの決断は早いほうなのかもしれません。
─その言葉もそうですが、読むにつけ、群さんの生真面目さが伝わってきます。ちゃらんぽらんだとおっしゃいますが、一日のスケジュールも、ほぼ決まっていて。
私には気分の上下みたいなものはあまりなくて、ルーティーンに自分をはめ込むのは楽だなと思っているんです。フリーランスなので、家事も仕事も、時間で区切らないとズルズルいってしまう。睡眠時間にしわ寄せが来るのも嫌なので。会社員の方と同じように一日をスケジューリングしておきたくて、それが習慣になっているんだと思います。
漢方薬局通いは、話のネタが転がっているからというのもあるでしょうね。そこだけは、欲が勝っているのかも(笑)。
─最終章では〈毎日をゆるく過ごし、そのまま高齢者枠にゆるゆると入っていきたい〉と、今後の抱負を述べておられます。それに向けて目下、課題だと思っていることは?
本でも書きましたが、ものを捨てることですね。トラックで1・5トンぶんを処分したときは、「ああ、スッキリした」と思ったんですが、一週間後には「まだまだある……」と。毎日、何かしら捨てているんですけど、減らないんですよ。入れてないのに減らない。引出しや押入れを開いてみると、出るわ出るわ、山のように。それを見て、猫がワーワー言いながらぐるぐる周りを回ってて、本当にうるさいんです(笑)。ということで、まだまだ終わりは見えません。
聞き手・構成=大谷道子
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【群 ようこ 著】
『ほどほど快適生活百科』
2018年2月26日
1,400円(本体)+税
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むれ・ようこ
●作家。1954年東京生まれ。
日本大学芸術学部卒業。広告会社などを経て、「本の雑誌社」勤務の傍ら、1984年にエッセイ『午前零時の玄米パン』を刊行。同年に同社を退職し専業作家となる。小説に『無印OL物語』などの〈無印〉シリーズ、『かもめ食堂』『ついに、来た?』『婚約迷走中 パンとスープとネコ日和』、エッセイに『ゆるい生活』『よれよれ肉体百科』『衣にちにち』『かるい生活』、評伝に『贅沢貧乏のマリア』『妖精と妖怪のあいだ 評伝・平林たい子』等著書多数。
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