青春と読書
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特集『いちまいの絵 生きているうちに見るべき名画』
インタビュー 絵は、人類がこの世に生み出した最高の発明品のような気がするんです 原田マハ
アート小説の旗手・原田マハさんが名画二十六点を厳選し、紹介する『いちまいの絵 生きているうちに見るべき名画』が集英社新書より刊行されました(本誌連載「絶対絵画」を改題)。ピカソ、ダ・ヴィンチ、マネ、モネ、モランディ、ビアズリー、ジャクソン・ポロック、東山魁夷──原田さんご自身の作家人生に強い影響を与えた絵画はもちろん、美術史の中で大きな転換点となった絵画まで。描かれた理由や画家の人生、時代背景、知られざる秘話などを、アートと深くかかわってきた原田さんならではの知識と視点、そして愛情で伝える贅沢で役に立つアートガイドです。刊行にあたり、お話を伺いました。

絵を見るという体験には
偶然と必然がついてくる


──とてもシンプルで印象的なタイトルですが、どのように決められたのでしょうか。

 連載時は別のタイトルで書いていましたが、新書にまとめるにあたって読み返したとき、一枚目の「アヴィニヨンの娘たち」(パブロ・ピカソ作)の冒頭の「目の前に、一枚の絵がある」という文章が強く心に残ったんです。何かが始まるようなドラマ性を感じるし、普遍的なイメージもある。この言葉で私の言いたいことのすべてを表せる気がしました。

──確かに、背後に奥深いものがあるような感じがします。

 「一枚の絵」という非常に単純な言葉になぜドラマ性があるのかというと、人によって見え方や感じ方が違うからですね。それはまさに絵の性質そのものだと思いました。絵は向き合う人の心境によって変わって見えるし、時代や環境によって捉えられ方や評価も変わってくる。はるか昔に描かれた絵でも、つい最近描かれた絵でも同様に。絵は普遍的なものですが、そんなふうにもともと複眼的な性質を持っているところがすごいと思うんです。人類がこの世に生み出した最高の発明品のような気さえして、絵を目の前にしたとき、私はいつも畏怖のような、驚きのようなものを感じるんです。

──本書には、なぜこの美術館に展示されているかという来歴が書かれている絵もあります。そうした不思議な縁を含め、絵との出会いは人との出会いに似ている気がしました。

 なぜ今、ここにこの絵があるのか。どこかの王族の持ち物だったかもしれないし、本で紹介した「ダンス」(アンリ・マティス作)のようにコレクターの手を渡ってきたかもしれない。絵がたどった数奇な運命を感じ取るのも、絵を見る楽しさのひとつです。かつて私は美術館でキュレーターをしていましたが、そこには学芸員が企画を立てて集めた絵もあれば、ある考えのもとに常設展に飾られているものもある。そういう事情も、絵との出会いに関係しているわけです。
 さらにたどっていけば、そもそも画家はなぜその絵を描いたのか、そこにはどんな状況や運命が影響していたのか。
 そして最後には、絵の前にいる人が美術展を訪れた理由やその人自身の歴史、感情の動きも、絵の感じ方につながっていきます。だから絵を見るという体験は偶然と必然が組み合わさった、とても面白いものなんですね。

「ようやく会えた」
東山魁夷のいちまいの絵


──本書には二十六枚の絵が取り上げられていますが、どのような観点で選ばれたのでしょうか。

 二十六枚は、おおまかに言えば私が興味を持ち続けた作品群で、書き始める前におおよそ決めていました。ただ順番は、執筆しながら決めていったところがあります。とはいえ「道」(東山魁夷<ひがしやまかいい>作)については「最後はこれにしよう」と決めていましたね。

──それぞれの絵の紹介には原田さんご自身の経験が織り込まれています。とりわけ「道」についてはこの絵と出会ったときの原田さんの厳しい状況と影響の大きさが書かれていて、感動的でした。

 大学三年生のときに東山魁夷の『風景との対話』という随筆集を読み、そこに挟まれた「道」という風景画を見ているうちに、なぜか不安だらけの未来を信じること、つまり何があっても自分の道を行こうと決意することができたんです。本物を見たのはそれから三十年以上あとで、作家になって三年目でしたが、「ようやく会えた」という気持ちでしたね。

──東山魁夷の経歴にも触れていらっしゃいますが、彼の平坦ではなかった道のりと原田さんご自身の道のりが重なるようでした。

 画家の経歴やその絵が描かれたいきさつといった史実の間に、自分の体験を挟み込むような構成にしようということは最初から考えていました。この本は、ある種のアートガイドですが、こういう種類の本を書く場合、体験を盛り込むことがとても大事だと思うんです。
 というのも、分析して結論を導き出す「評論」の要素だけになると、情緒的な言葉が使われない分、読者との距離が遠くなるんですね。私は小説家ですし、自分の体験を共有していただければという気持ちが強いので、読者の方の心に響くような書き方にしようと考えました。結婚式でスピーチをするとき、自分の体験を盛り込んだほうが聞く人の心に届くものですが、それと同じことだと思います。

絵を見に行くことは
人生の目的≠ノなる


──本書を読むとより深く、多角的に絵を知ることができて、「実際にこの絵を見てみたい」という気持ちが強くなりましたが、絵を見る前に知識を得ることはやはり大事なのでしょうか。

 私の場合、あまり知らないまま見ることもよくあります。前もって知識があると先入観が生まれてそれがノイズになったりするので、最初は素で見るということを結構やりますね。そして二回目は事前に本やネットで周辺情報を調べたりして、「なるほどそういうことか」と思いながら見たりする。だから、知識を持たずに見るほうが楽しいという気持ちも、音声ガイドなどで知識を得て見るほうが理解できるという気持ちもわかります。絵の見方は個人の好みで違っていいし、私のように使い分けてもいいのではないでしょうか。ただひとつ間違いだと思うのは、画像だけを見てその絵を知った気持ちになることです。

──ネットで容易に絵の画像を見ることができる時代だからこその危うさですね。

 ネットの画像は拡大して見ることができるので、色使いや筆のタッチなど、ディテールがよくわかる。それはデジタルのいいところです。でもやはり絵は、本物に対峙したときに一番伝わってくるものがあるメディアです。海外に行かなければ見られない絵も少なくなく、決して容易ではないけれど、状況が許すときはぜひ本物に会いに行っていただきたい。本当に見たい絵があるなら、その絵を目的にした旅を計画するのもいいのではないでしょうか。
 それくらい絵は強い引力を持っているし、見に行くことが人生の目的≠ノなり得るくらいのもの。私は「道」と対面するまでの年月を幾星霜と感じましたが、絵に会うための苦労を伴う行為そのものがドラマだと思います。

──絵を見ることも見に行くことも、刺激的な行為なのですね。

 先日も京都で開かれていた「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭2017」に行って、すごく刺激を受けたんです。フランスのショーヴェ洞窟を三百六十度撮影し、人類最古と言われる洞窟壁画を映像化した気鋭の写真家ラファエル・ダラポルタの作品を見て、「これが三万六千年前の絵なのか」と本当に驚きました。「なぜこんなに写実的に描けたんだろう」と不思議なくらい。牛の群れがまるで生きているように躍動的に描かれていて、現代アートに近いセンスを感じました。自分が絶対行けない場所にある、はるか昔に描かれた壁画作品を見て、「三万六千年前の状況を閉じ込めて伝えられる絵というメディアはやっぱりすごい!」と勇気づけられましたね。

人間はアートに感動する
DNAを持っている


──本書にも原田さんがポンペイ遺跡で「ディオニュソスの秘儀」(作者不明)を見て、過去から引き継がれてきたアートについて考える章があります。

 太古の昔から現代までの歴史を振り返ると、この世の終わりだと思う人ばかりだった過酷な時代や地域もあったはずですが、それでもアートは手放されずに引き継がれてきました。かつてルーブル美術館で美しい曲線が描かれた古代の壺を見たとき、水を溜めるだけの道具にデザインを加えずにはいられなかった私たちの遠い祖先に思いを馳せました。その壺が何千年か後に美術館に展示されるなんて、想像もしなかったはずなのに。そんな人間の欲求がどうしようもなくかわいらしく思えて涙したほどでしたが、長く受け継がれてきたアートにはこういった感動を生む力があるんですね。

──生活必需品ではないアートが生き残ってきたのは、人間がそれをかけがえのないものと感じたからなのでしょうか。

 そうですね。今のようにテクノロジーが発達して、どこでも瞬時に情報を得られる時代になっても、人々はやはり手間ひまかけたアートに憧れる。それはアートに普遍性がある証拠であり、デジタルにとって代わられるものではないことを人間がわかっているからだと思います。
 ちょっとオーバーかもしれませんが、人間はアートに感動するDNAを持っている、と私は信じているんです。「今の子供は物心ついたときからデジタル慣れしたデジタル脳」などと言う人もいるけれど、人間が途方もなく長い間アートを手放さなかったことを考えれば、デジタルが生まれてからの時間は砂粒みたいなものです。人間がアートに感動する心は人類の土台に刻まれたものなので、これから先もなくなりはしないし、次の世代へとつながっていくと自信を持っていいと思います。

フェルメールの絵はなぜ小さい?
印象派の絵はなぜ明るい?


──知っている絵を実際に見て感動するのはもちろんですが、時には意外な印象を受けることもあります。本書にはそうした原田さんの率直な感想も綴られていて、面白く読みました。

 特に絵のサイズについては、意外だと感じることが多いかもしれませんね。例えばフェルメール。この本では「真珠の耳飾りの少女」を取り上げましたが、実際に見たら「えっ、こんなに小さいの!?」と驚くかも(笑)。サイズを知っていた私も思いました。でも、そこには理由があるんです。
 ヨハネス・フェルメールは十七世紀のオランダの画家で、当時のオランダは経済的にも文化的にもヨーロッパ随一というほど栄えていた。裕福な商人たちが好んだのが、持ち運びしやすいサイズの絵だったのです。また、当時、オランダで一般的に定着していたキリスト教のカルヴァン主義は、公には宗教画を飾ることを禁じていた。その影響で、それ以外の絵、つまり風俗画や風景画などが盛んに描かれたということもフェルメールの絵の背景にはあります。
 一方で大きな絵も同時期のオランダで描かれましたが、それは王侯貴族の大きな館に飾るためのもの。絵の背景を探ると、いろいろなことが見えてくるんです。

──「睡蓮」を描いたクロード・モネの活躍の背景には、扱いやすいチューブ絵の具の普及があったということも書かれていますね。

 外に持ち出しやすい絵の具が普及したことで、アトリエに引きこもらなくても絵が描けるようになった。また鉄道網が発達したために、画家たちは郊外に出かけやすくなったんです。そういった絵画制作を取り巻く状況の変化が、モネをはじめとする印象派に大きな影響を与えたんですね。
 モネの絵はよく売れましたが、そこには住宅環境も関係しています。当時絵を買えるくらいのお金持ちは、パリのアパルトマンの二階以上に住むことが多かった。ベランダから光が差し込むとはいえ、部屋の中は暗かったので、マントルピースの上にモネの作品のような明るい絵を飾ることが流行ったんです。しかもモネは、その空間にちょうどいいサイズの絵を描いていた。だから売れるはずなんです(笑)。その他にも、絵と住宅環境が結びついている例は多いですね。アートは生活必需品ではないけれど、生活と切り離せないものでもあることがわかります。

知れば知るほど
好奇心を刺激する絵


──日本でも有名なフィンセント・ファン・ゴッホの「星月夜」やポール・セザンヌの「セザンヌ夫人」も取り上げられています。原田さんが考える彼らの絵が特別な理由≠ェ興味深く、画家たちのことをもっと知りたくなりました。

 実はモネやゴッホ、セザンヌはほぼ同時代を生きた画家。モネの絵は先ほどお話ししたような理由でよく売れましたが、ゴッホの絵は彼が生きている間はほとんど売れなかった。今、日本でオークションに出品されれば、一番高い値がつくのはゴッホだと思いますが、なぜ当時売れなかったかというと、彼の絵が激しすぎたからです。「飾られる」ということを考えずに好きなように思い切り描いた結果、ゴッホの絵はまったく新しい表現になったんですね。それは彼の稀有な才能の賜物であったのだけれど、同時に彼は、自身の才能に苦しめられることにもなりました。
 一方でセザンヌはどうか。彼の絵もマントルピースの上に飾りたいような絵ではなかったけれど、頑固な性格だったから革新的な表現でコツコツ描いていた。そんな彼を人気画家になったモネやルノアールが「すごい」と言い始めたことで、評価が高まりました。でも彼は、ちょっと売れるようになった頃に病死してしまうのですが。
 そんなふうに絵は、画家自身の性(さが)や追求したものをはじめ、時代や環境など、さまざまな影響を受けて生まれる、一筋縄ではいかないもの。複雑な背景を知れば知るほど面白くて、知的好奇心をかき立てられますね。

──本書を読むと、絵を入り口にしてさまざまな知識がつながっていく楽しさを感じます。

 世界的に見ても日本人は美術展が好きで、動員数を調べると上位に日本の展覧会がいくつも入っていることが多いんです。今はとりわけ知的好奇心が旺盛で比較的時間のあるシニア層が人気を支えているのでしょうね。だから、若い方がこれからどれくらい展覧会に足を運ぶかが重要になってきますが、草間彌生さんのように若い方にも人気のアーティストはたくさんいるので、期待できると思っています。

──美術の仕事を専門的にされていた経験があり、それを小説に活かしていらっしゃる原田さんだからこそ書けた一冊ですね。

 私は歴史も好きですが、それは長い時間に耐えて残されてきたものを守りたい、伝えたいという気持ちが強いからです。絵には知的な面白さがある、物語がある、ロマンがある。私自身がいつも大きな刺激を受けていて、もっと知りたいという欲は高まるばかりです。言葉にすると大げさになりますが、アートのすばらしさを文章にして次の世代に伝えていくのは、私のミッションだと思っています。

聞き手・構成=山本圭子
【原田マハ 著】
『いちまいの絵 生きているうちに見るべき名画』
発売中・集英社新書
本体900 円+税
プロフィール
原田マハ
はらだ・まは●作家。1962年東京都生まれ。
馬里邑美術館、伊藤忠商事、森美術館設立準備室、ニューヨーク近代美術館などに勤務後、フリーのキュレーター、カルチャーライターとして活動。2005年『カフーを待ちわびて』で作家デビュー。著書に『楽園のカンヴァス』(山本周五郎賞)『ジヴェルニーの食卓』『暗幕のゲルニカ』『デトロイト美術館の奇跡』『リーチ先生』(新田次郎文学賞)『サロメ』等多数。
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