青春と読書
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特集 戦争小説集『帰郷』
インタビュー 〈戦争〉という普遍を書く。 浅田次郎
今月刊行予定の浅田次郎さんの『帰郷』は、浅田さんのライフワークである「戦争」をテーマにした短編集です。表題作をはじめ、「鉄の沈黙」「夜の遊園地」「不寝番」「金鵄のもとに」「無言歌」の全六編が収められ、いずれもさまざまな角度から、戦争というものの苛酷さが照らし出されています。
これまで戦争体験者の作品が中心だった戦争文学というジャンルに戦後生まれの作家として新境地を開拓したこの本を、浅田さんはどのような思いを込めて書かれたのか、お話を伺いました。


短編で提示するさまざまな戦争観

──『帰郷』には六編の作品が収められていますが、そのうちの「鉄の沈黙」と「金鵄のもとに」の二編が二〇〇二年に書かれていて、他の四編は二〇一五年から一六年にかけてと、十数年の隔たりがあります。
その間に長編『終わらざる夏』(二〇一〇年)を出されて、コレクション「戦争×文学」(全二十巻+別巻一、二〇一一〜二〇一三)の編集委員を務められ、昨年は戦後七十年という一つの節目を迎えました。それと同時に、一方で安保法制の問題が出てきて、新たなる戦争に対する危機感も出てきました。そういう中で、この『帰郷』という本を出されることに、どのような思いをお持ちなのでしょうか。

 別に殊更にタイミングを考えていたわけではないし、特段政治的な問題が頭の中にあったわけでもありません。ぼくは、戦争を書き続けていくことが自分の仕事だと思っているので、それをただ淡々と続けてきて、それがまとまったのがたまたまこの時点だったというだけです。
 ほんとうは、二〇〇二年の二編に続けて書いていって、戦争短編集として早めに出すつもりだったのが、『終わらざる夏』という大きな作品や、『天切り松 闇がたり』の第五巻(二〇一四)が入ったために、すこしあいだが空いてしまいましたが、小説のスタイルはあまり変わっていませんから、通して読むと十数年間の差を感じずにお読みになれると思います。

──ただ、「鉄の沈黙」と「金鵄のもとに」には前線での銃撃シーンや南洋での凄惨な体験がリアルに描かれているのに対して、ほかの四編は、ある種ファンタジーのような形も取り入れられていて、いささか違った印象を受けます。

 そうですね。小説の技術的な違いがあるわけではないけれど、十数年のブランクのあいだに一つ変わったところがあるとすれば、それは自分自身の死生観でしょうね。四十代と六十代とでは、死生観が明らかに違う。六十代になると、自分の周囲の人間の死に接することが多くなるし、自分もやがて死ぬんだろうなとの思いをひしひしと感じるようになる。それにしたがって、戦場で実際に命のやりとりをする場面を書くことについては臆病になります。言い方を換えれば、死に対して正確であろうとする。そういう気持ちが働いた結果、先に書いた二編のリアルさに比べて、やはり後に書いたほうがファンタジーっぽくなっているのかもしれない。
 だけど、そうやっていろんな形の戦争観を提示することができたというのは、むしろ結果的によかったと思います。

──かつては、戦争文学というと、大岡昇平さんや野間宏さんなどの第一次戦後派の作品が中心となっていましたが、今回の短編集を読ませていただくと、戦後七十年を経て、同じ戦争を扱う小説として、ずいぶんと視野が広がったなと改めて感じました。

 ぼくは、コレクション「戦争×文学」の編集に携わったわけですが、あの中に入っている小説のほとんどは戦争を体験した人が書いている。結局、ぼくらが戦争を書くというのは、その世代からのバトンタッチなんです。
 これは「戦争×文学」の解説(第八巻『アジア太平洋戦争』)の中にも書いておいたことですが、日本の戦争文学というのは、「世界に冠たる、かつ純粋なる日本文学」であり、日本以外にこれだけの厚みがあり質の高い戦争文学を生み出した国はない。
 ですから、コレクションの編集作業に入るにあたって、外国の文学を入れるか入れないかの議論があったときに、ぼくは入れようと思ってもそれは無理だと思ったんですよ。要するに、日本以外の国には、戦争にまつわる小説は少ないし、質もよくない。それに比して、日本の戦争文学は、戦前期に検閲を受けていたものにもすぐれた作品があるし、戦争が終わって自由になってからはさらにすぐれた作品がたくさん出てきている。

人間の普遍的な悩みを描く文学

 こうした土壌は、実は日本の自然主義文学の系譜から来ている。自然主義文学というのは、つまるところ人間をありのままに書くことなのですが、同じ自然主義といっても、ヨーロッパと日本とではその意味するところがまったく違う。十九世紀末にヨーロッパで起こった自然主義文学とは、簡単にいえば、キリスト教的な普遍主義から脱出しようという試みだった。つまり、キリスト教、あるいは神の束縛から離れて人間を書こうじゃないかという運動なんです。
 そうしたヨーロッパの自然主義文学の運動が明治期の日本に入ってきたわけですが、日本にはキリスト教はもとより、そもそも宗教の束縛なんてものはないから、自然主義文学を書こうとすると、結局、自分のことを書くしかなかった。これが私小説といわれる純文学の源流になっている。要するに、日本の純文学はヨーロッパの自然主義文学の誤解から始まったわけですよ。
 そうして始まった日本の自然主義文学が、はたしてどれほど深く自分の内面を見つめていい作品を生み出せたか考えると、ぼくは首を傾げざるを得ない。せいぜい自分の教え子の座っていた座布団に顔を押しつけて泣くぐらいの話でね(笑)。あれは、キリスト教的な束縛を儒教的な道徳観に変えてみたらこうなりましたという、田山花袋の提示なんです。
 その後、日本の自然主義文学運動は志賀直哉を代表とする白樺派が中心となってリードしていくのだけれど、白樺派というのは、当時の貴種の子息たちだから、当然、その悩みも貴種独特の悩みなわけです。ぼくのような庶民の人間にはそれがほとんど理解できない。逆に、ぼくがもっともよく理解できたのはプロレタリア小説なんですよ。
 つまり、思想的なこととは関係なしに、プロレタリア文学には貧困とか病気といった人間の普遍的な悩みが描かれているので、これこそがよき文学である、と。ですから、若い時分、自分が将来小説を書いていくとしたら、プロレタリア文学を基礎にして、その上に谷崎潤一郎の絢爛豪華なうそ話を咲かせてみたいというのが自分の小説家としての設計図だったんです。
 いささか遠回りしましたけれど、戦争文学もまた、プロレタリア文学と同じく、国民の普遍的な悩みを描いている文学だということです。

八月十五日に引かれてしまった線

──いまのお話の脈絡からいくと、白樺派流の私小説的な日本の自然主義の流れが、戦争というものに行き当たったことで、普遍を獲得したということですね。

 そうです。国民皆兵制度によって、軍隊に入れば、基本的にはどんな貧乏人でもどんな金持ちでも同じ扱いをされる。そういう意味では、軍隊というのは大変公平な世界で、それゆえ、戦争文学として表現されたものには普遍性がある。金持ちが書いても、貧乏な人が書いても、まったく公平な文学的価値を有するところに、戦争文学の普遍性があり、その価値はいまでも見出すことができる。
 ぼくが戦争の小説を書くことで踏襲していきたいと思っているのは、その普遍的な形であって、別段戦争を語り継ぎたいわけではないんです。

──「不寝番」という作品は、戦時中、富士の裾野で不寝番の任を負った上等兵が、タイムスリップして、同じ場所でやはり不寝番についている戦後の自衛隊員と遭遇する話ですが、この中で自衛隊員が、「戦争は知らない。だが、ゆえなく死んで行った何百万人もの兵隊と自分たちの間には、たしかな血脈があった。/ジャングルの中や船艙(ふなぐら)の底や、凍土の下に埋もれていった日本人を、外国人のように考えていた自分が、情けなくてならなかった」とあります。

 ぼくは、自衛隊にいたときにずっとそのことを考え続けていました。おれたち自衛隊員とかつての日本軍の兵隊とは全然違うものなのか、いや、そうじゃない、きっとつながっているのだろう、ということを。
 いまの日本人は、昭和二十年八月十五日でいったん線を引いて、それ以前はよその国のよその時代みたいな感覚で捉えていると思うんですよ。ぼく自身もそういう教育を受けてきましたから、やはりそれ以前と以後とでは、善と悪みたいなきっぱりとした分け方をしていた。ところが自衛隊に入ってからは、それほどはっきり分けられるものではない、やはりつながっている、と考えるようになったんですね。
 この本の中の「夜の遊園地」の主人公の大学生は線引きをした典型例で、戦死した自分の父親までをも線引きしてしまった。ところが無理矢理線引きしたものだから、自分のアイデンティティーの不確かさを抱えてしまう。あの作品は、そういう彼が自己を発見していく物語なんです。

現代の作家にそなわる「自由」

──『終わらざる夏』には、子どもから女性まで、いろいろな立場の市井の人たちが登場します。それ以前のいわゆる「戦争文学」とは大きく違って、一種の群像劇といえるようなダイナミックな物語になっています。今回の『帰郷』もまた、短編ならではのきらきらした断片が織りあわされて、独特の雰囲気が醸し出されています。

 戦争小説を書きながらしみじみ思うのは、ぼくらの前の時代の戦争文学を書いた人たちにはいろんな制限があったということです。むろん、制限されているからこそ、その方法でしか表現できない利点もある。では、戦後生まれのぼくたちが、彼らに比べてどんな利点があるかといえば、それは「自由」なんです。戦争というものを固定化せずに、自由にいろいろなことを考えながら書いていける。それが強みなんですよ。
 最後の「無言歌」などは、その典型例ですね。

──潜水艦の中で二人の中尉が、死を目前にしながら、互いの思い出をつれづれに語っていく──。

 あれを書きながら、彼ら二人の背景にBGMが流れているとしたら、どんな曲が適しているのだろうと考えたときに、パッと浮かんだのがチャップリンの『モダン・タイムス』(一九三六)のテーマ曲として有名な「スマイル」なんですよ。「スマイル」はいろんな人がカバーしていて、いろんなヴァージョンがあるんだけれど、ぼくが最後に行き当たったのがマイケル・ジャクソンの「スマイル」。これはすばらしい。
 だから、そうとは書いていないけれど、「無言歌」の潜水艦の中で流れているのは、実は、その六十年ほど後にカバーされたマイケル・ジャクソンの「スマイル」なんですよ。こうした自由さをもって書くことは、さすがに前の時代の作家にはできなかっただろうと思います。

五十を過ぎて現実味を帯びた死

──冒頭に、十数年前と現在とでは死生観が変わっているとおっしゃいましたが、その辺のことをもう少し詳しくお話しいただけますか。

 四十代で二親が死ぬ。五十代で一緒に住んでいた家内の母が死ぬ。それから、その間に友人が年に一人や二人は死んでいきました。平均寿命まで生きられるというのは大きな間違いです。人の生き死にはそうしたものと関係なしにやってくる。そうした中で死生観が育っていくわけで、ひと言でいうなら、死というものが年齢を経るごとに現実味を帯びてくる。そうやって自分の中で死生観が育っていって、定着していく。そこで考えたのが、戦争で死ぬ人の多くは若い人だということです。ただ、悲しいことに、若い人は死ぬのが怖くない。自分の十九、二十歳のときを振り返ると、自衛隊の訓練は非常にきつかったから、死ぬんじゃないかと思ったことが何度もあったけれども、それはそれでいいやぐらいに思っていた。それはまだ自分の中に死生観が定まっていないからなんですね。死に対する恐怖があったのは五歳とか六歳のころで、そこを脱出すると、あまり恐怖感はない。ところが、五歳、六歳のころに感じていた恐怖感が五十を過ぎてふたたび出てきた。そこで、死生観というのを自分で意識的に育てていったわけです。
 たとえば、冒頭の「歸怐vという小説は、ある男が戦争から帰ってきたら女房が弟と結婚していたという話で、実はこれはよくあるストーリーです。ただそれはストーリーにすぎなくて、この話は、生と死の狭間で揺れている男女が、たまたまめぐり合い、その二人が互いの過去を語ることによって、生と死のどちらに振れていくかというスリリングな心情を描いたものなんです。だから、あえて女性のほうの過去には深くは触れてはいない。もし、女性のほうにも触れたらきっと長編小説になるでしょうね。

──そうした物語を成り立たせて、支えているのが、戦争用語とかの細部のリアルさだと思います。

 リアルさの点において、一番ものをいっているのは自衛隊体験だと思います。ぼくが自衛隊に入ったのは戦後二十五年くらいのときで、そのころはまだ旧軍人が大勢在職中でした。
そのため、陸軍の用語が日常用語で残っていましたから、軍隊用語に関しては、それが基礎になっています。もし入隊があと十年遅かったら大分雰囲気は違っていたでしょうね。さきほどの不寝番の制度も、立っている時間とか、何時に交代してという服務令に関しては、旧軍時代とぼくらがいた頃の自衛隊とまったく同じなんです。ただし、現在は不寝番の制度は廃止になっている。

次世代の作家を支える客観的な研究

──先ほど、前の世代よりも自分たちの世代のほうが制限がなく自由に書けるとおっしゃいましたが、今後実際に戦争を経験した人たちがますます減っていく中で、次の世代の作家はどういう形で戦争を題材に小説を書いていくと思われますか。

 たとえば、資料を求めて軍事関係のものを扱っている神田の古書店に行くでしょう。そうすると、いつも不思議に思うんだけど、そこには結構な数の軍事マニアがいる。彼らは何かを勉強したり、調べたりしにやってきているのではなくて、ほとんどが純然たる興味で戦争のことを知りたがっている。もちろん、そういう関心はいつの時代にも一定数あるものだとは思う。その一方で、戦争文学のあり方が、将来どのように変形していくかは不可測かもしれない。
 少なくともぼくらの世代は、直接の戦争体験はしていないけれど、父親が軍人であったり、母親が工場に勤労動員に行ったりした世代ですから、ある程度の戦争の実感がある。それをベースにして勉強してきたわけですね。ところが、ぼくより十歳下がったら多分そういったきっかけはなくなる。
 ただ救いなのは、いま近代史を専門としている学者が、ぼくらが教わった歴史の先生たちに比べると非常にいい仕事をしていることです。というのは、昔の学者は自分が戦争の実体験があるからどうしても心情的になるし、客観性が損なわれているところがある。しかし、ぼくらと同世代あるいはその下の世代の人たちの書いた本には、そうした主観的な心情や思想を免れているから、実に客観的で実証的で、とてもいい成果が出てきている。代表例を挙げると、京都大学の山室信一さん──彼はぼくと同い年ですが──が書いた『キメラ』。あれが出たときには、満州国をこういう見方をする人があらわれたんだと衝撃的でした。今後、そういう客観的な研究がベースになるのは、続く世代が小説を書いていく上でも、とてもいいことだと思います。

──ここ数年、日本ペンクラブの会長として、昨年の安保法制をはじめ、社会に向けてさまざまな声明を出されています。冒頭に、この小説集に特段の政治的な問題は置いていないということでしたが、それでも現在こうした小説を出すことは否応なく時代とのかかわりが出てくると思いますが。

 はっきりいって、この本は、戦争小説集というより反戦小説集です。ただ、反戦という言葉は、実は不毛な言葉なんですね。戦争に賛成すること自体がおかしいわけですから。ところが、戦争は歴然としてある。では、戦争の正体は何かといったら、突き詰めていけば、動物の闘争本能が進化しただけのものなんです。放っておきゃ犬でも猫でもけんかする、ありんこでもね。あれと同じレベルの話が戦争というものなんですよ。すなわち、戦争をすることは、本来、人間が長い年月をかけて培ってきた知性を放棄することなんですね。だから、反戦という言葉は不毛ではあるけれども、人間的ではないとの立場から常に戦争を否定していかなければならない。
 そのために何よりも必要なのは想像力だと思います。そして、想像力を涵養(かんよう)するのにもっとも有効なものは小説を読むことです。特に若いうちに小説を読んでいないと、想像だけでなく、創造することもできない。若い世代の人たちにも是非この本を読んでいただいて、想像力と創造力を大いに涵養して欲しいものですね。


聞き手・構成=増子信一
【浅田次郎 著】
『帰郷』
6月24日発売
単行本・本体1,400円+税
プロフィール
浅田次郎
あさだ・じろう●作家。
1951年東京都生まれ。著書に『地下鉄(メトロ)に乗って』(吉川英治文学新人賞)『鉄道員(ぽっぽや)(直木賞)『壬生義士伝』(柴田錬三郎賞)『お腹召しませ』(中央公論文芸賞・司馬遼太郎賞)『中原の虹』(吉川英治文学賞)『終わらざる夏』(毎日出版文化賞)等多数。
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