青春と読書
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特集 姜尚中『漱石のことば』漱石没後一〇〇年
対談 年とともに、ますます漱石に惹かれています 姜尚中×小森陽一
ミリオンセラー『悩む力』(集英社新書)以来、姜尚中さんは、自分の人生において夏目漱石という作家がいかに重要な存在であり、そこからどれほど大きな影響を受けてきたのかについて、折に触れ言及されてきました。
集英社新書の新刊『漱石のことば』は、そんな姜さんが、漱石に初めて会って五〇年以上の年月の中で、「繰り返し噛み締め続けた」漱石の言葉を、「自我」「文明観」「女性観」「男性観」「恋愛観」など一〇のジャンルに分けて引用し、コメントを付したものです。
今年は漱石没後一〇〇年。二一世紀に読む漱石とは? 姜さんの新刊に沿いながら、小森陽一さんが専門家の見地から、多岐にわたる新たな視点を与えてくださいました。


エラーで生まれてきたという感覚

小森 最初の章では、「かくも『私』は孤独である」という、漱石の自我の問題が取り上げられていますね。漱石の時代における若者の自殺と現在を重ね合わせ、なぜ明治以降、人の心は孤独になったのかといえば、それは近代の個人主義の考え方が大いに関係しているのだという議論を立てていらっしゃる。

 ほんとうは、そこで彼の生い立ちについてもう少し詳しく書きたかったのですが、スペースの関係で触れられなかったので、今日はそのことについてまず話をしてみたいと思います。
 ぼくがどうして漱石に惹かれたかというと、彼自身、「自分はエラーで生まれてきたんじゃないか」という意識が強くあって、そこに共感したのではないかと思うところがあるのですが、それは彼の生い立ちが大きく関係している。

小森 たしかに、子ども時代の金之助はほんとうにつらかったと思います。
 金之助は生まれてすぐに里子に出され、ついで塩原家に養子に出されます。九歳のときに養父母が離婚して実家に戻る。しかし籍は塩原家のままという状態で、それ以降の思春期における金之助は、基本的に親や家族との関係で形成されるべきアイデンティティを完全に破砕され続けていたといっていい。

 そして二十歳のときに、長兄と次兄が相次いで結核で亡くなる。このことは漱石の死生観にかなり大きな影響を与えたでしょうね。

小森 そう思います。だから正岡子規が結核に倒れたとき、漱石は手紙で「僕の家兄も今日吐血して病床にあり」とすぐ上の三男と重ねて心配している。夏目家に復籍したのも、後を継ぐ三男までが結核を発病してどうなるかわからないから、老父の介護要員として自分が戸籍を戻されるんだという、家制度の現実も見て取っている。

 太宰治の「生れて、すみません」というのも、やはり自分がエラーで生まれたという意識の表れだと思いますが、太宰は親の愛情には恵まれていたはずだし、ぼく自身もそうだった。しかし漱石の場合は、かなり早い時期から親の愛情なしで生きていかざるをえなかった。

小森 幼少年期を通じて、自分が生きていっていいのだと思えるような大人からの愛情と出会っていない。だからこそ、子規との友情にかけがえのない関係性を見出していくのだと思います。
 塩原家から夏目家へ戸籍を移す、「送籍(そうせき)」する頃子規と出会い、漱石と号します。徴兵忌避のため北海道に「送籍」をした後、従軍記者となった子規と文学的な友情を結ぼうと決断した矢先、その子規が病に倒れてしまう。その後、子規との手紙のやりとりから文学的な友情が始まっていく。漱石の男同士の信頼関係、同志的な関係への強い思いは、この辺りから形成されていると思います。

漱石が惹かれた女性と、
女性嫌悪


 漱石の男性観が出たので、女性観のほうへいきましょうか。この中でも書きましたが、ひと言でいうと、漱石は面食いじゃないかとぼくは思っているのですが。

小森 「面食い」という場合、美しい人が好きという意味なのか、美しい人と関係を結びたいと思うのかで、全然違うと思います(笑)。

 もちろん。ただ、ぼく自身、中学・高校の頃に読んだので、どこか自分の意識を投影してしまっているところがあると思うのですが、『三四郎』の中に「ヴォラプチュアスな表情」というのが出てきますね。

小森 グルーズが描いた少女の潤んだ眼ですね。美しい女を見ることは絶対に好きだったと思いますよ。

 要するにイノセントで、同時に肉感的な人。若い人はわからないと思うけど、新珠三千代みたいな人に惹かれるところと原節子に行きそうな面と、漱石にはその両方があったんじゃないかと。

小森 すごい比較だなあ(笑)。
 ただ、これだけタイプの違う女性を小説の中に登場させた作家はいないと思う。一人一人、境遇がまったく違うでしょう。

 そうですね。でも一つ共通してるのは、漱石はどこかで女性は怖いと思っていた……。

小森 それは確かです。新聞連載小説は女性嫌悪(ミソジニー)から始まっているわけです。『虞美人草』の藤尾が典型です。怖いから、彼女を殺さなければいけないとまで手紙に書いている。この女性嫌悪は明らかに、男たちが女性を利用して戦略的に自分たちの政治経済的なスタンスを確保するという、近代資本主義における結婚と遺産相続への罪障感から来ています。

 代助が父親から資産家の娘との結婚を強いられる『それから』は典型的ですね。

小森 そう。つまりそれまで王侯貴族だけの罪障感だったものが、ブルジョワジー全体に広がったことを、漱石は見抜いていたわけですね。それをヨーロッパの絵画表象の歴史の中できちっと見据えていたからこそ、『三四郎』という絵画小説が書けたわけでしょう。『三四郎』にはベラスケスの名前も出てきますが、ベラスケスこそスペインのフェリペ四世の娘、王女マルガリータの肖像画を五歳のときから描いてきた宮廷画家です。神聖ローマ帝国の王位継承とそれに絡む政略結婚、そこに王侯貴族の男たちがどうやって割って入っていくのかという、そうした歴史がベラスケスのあの肖像画に大きく関わっていく。
 ともかく、『三四郎』には、絵画史的にもすごい絵が登場してくる。

 NHKの日曜美術館でもベラスケスの特集をやりましたが、ことに、「ラス・メニーナス」のマルガリータの女官たちの中の右側にいる「矮人(わいじん)」がすばらしいですね。

小森 その「ラス・メニーナス」の奥のほうに明るい扉があって、そこから人が出てくる構図。あれは、病院での「池の女」美禰子(みねこ)の登場の仕方ですよ。

 ああ、そうか!

小森 漱石はそうしたところを実によく見ている。よし子の「髪と日光の触れ合う境のところが菫すみれ色いろに燃えて」なんていう描写は、それこそ、アール・ヌーヴォーのミュシャでしょう。

 なるほど。そういう細部がわかると、『三四郎』にまた新しい光を当てることができますね。

百年前といまの、
偶然とは思えない符合


 いま漱石を読んでいて、どうしてこんなに古びないんだろうと驚くのですが、それは百年前のあの時代がいまの時代とつながる面が多いということなのですかね。

小森 第一次世界大戦中に、ロシア革命が起きて社会主義国が誕生する。ほかの資本主義国は、社会主義化しないようにと、国民国家単位における福祉国家づくりを目指す。その後長い間、その二つが拮抗関係を保っていたわけですが、一九九一年にそれが崩壊してしまった。そういう流れから見ると、九〇年代以降の世界はもう一回、第一次世界大戦前のあの時期に戻っているところがあって、若い人たちの生活実感としても、『明暗』に出てくる小林のような、貧困から脱け出せない自暴自棄が共有されているのだと思います。だから百年たったいま、またリアリティが強く感じられる。

 まったく同感です。

小森 私自身、この十年ほどは、百年という時間軸で漱石の全部の小説を読み直すことを考えてきたのですが、偶然とは思えない符合が起きている。たとえば『こころ』百年の二〇一四年に、集団的自衛権の行使容認が閣議決定されたり─。

 ぼくが『心の力』でトーマス・マンの『魔の山』と漱石の『こころ』を結びつけたのもほぼ同じ時期です。
 この間『21世紀の資本』のトマ・ピケティが来日していて、ぼくも講演に行きましたが、そこで彼がいっていたのは、小森さんやぼくが生きてきた時代というのは、二百年の資本主義の歴史の中で稀有な時代だったと。第一次世界大戦後から七〇年代の第二次石油ショックくらいまでは比較的富の平準化が進んでいて、その間には二度の総力戦があった。この時期は歴史上稀有であって、そこを基準にして資本主義を見るのは転倒している。むしろそうでない時代のほうがノーマルだったのだと。
 つまり、小森さんがいったように、いまは第一次世界大戦以前に戻ったわけで、だから『それから』の時代の東京が「貧弱なる膨張」を続けていて、それこそは「敗亡の発展」であるとする代助の見方にはかなりリアリティがあるように読める。大体そういうとらえ方でいいんですか。

小森 もっといえば、いまだから発見できるリアリティがあると思います。たとえば一昨年、「百年目の『こころ』─言葉の時差のサスペンス」という論文を『世界』に寄せたのですが、主にこういうことを書きました。『こころ』のあの「先生」が叔父に裏切られて田舎の土地全部を売ることを友達に頼んで、東京の大学に入り、卒業する年にKと一緒に下宿に住むようになる。その下宿には大家の奥さんとお嬢さんが住んでいるのですが、それは日清戦争で軍人の夫が死んだので、厩(うまや)などのある屋敷を奥さんが処分して、小石川に新しい家を買って下宿にしたわけです。それが可能なのは明治三十一(一八九八)年の明治民法典施行以前で、女性が不動産取引できるという設定でなければいけない。
 また、明治三十年に京都帝国大学ができて、それまでの「帝国大学」は東京帝国大学となって絶対的な地位が相対化されてしまい、帝国大学の学帽が決定的な信用をもたらしていた時代が終わる。さらにいえば、日本が金本位制に入って金利生活ができるようになるのは明治三十年以降だから、「先生」が利子の半分で生活できるようになったというあの設定は、この二十九年と三十年の狭間でなければ成り立たないということが見えてくる。そこまできちっと時代設定がしてあって、大日本帝国が世界資本主義に巻き込まれていくただなかで生じた事件なのだという話ですよね。

青春と恋愛と革命から
切れた小説、だから大事


 漱石を読んでいると、人生が多重的・多層的で、さまざまな方向に向かっていろんなものがせめぎ合ってるようなものをいつも感じるんですけれど、最後に、もう一つ伺いたいことがあります。
 先日、瀬戸内寂聴さんと話す機会があって、瀬戸内さんは漱石のような真面目な人よりは、伊藤野枝(のえ)、大杉栄、高群逸枝(たかむれいつえ)、平塚らいてうといった型破りな人のほうが好きみたいなんですね。ご本人がそうとはっきりいったわけではないのですが、「青春というのは恋と革命なのよ」ということを盛んにおっしゃっていましたから、漱石のことを、どこか型にはまった人と感じていらっしゃるのだと思います。
 大岡昇平さんも、漱石はどこかで慎重な人だったという評価をしている。だから漱石という人は、一方で明治国家に対する非常にラディカルな批判を持っているのと同時に、ある意味では冷徹なリアリストでもあった。ぼくはそのリアリズムは好きなのですが、先ほど名前を挙げた大杉栄とか伊藤野枝とかの人たちを漱石は心の中でどう捉えていたんだろうかと。小森さんからすると、そうしたラディカルさとリアリズムの問題というのはどう捉えているのですか。

小森 近代日本文学は二十代の青年たちによって書き始められたという歴史がまず出発点にあるわけですね。つまり二葉亭四迷の『浮雲』の第一篇が出た明治二十(一八八七)年の二年後に明治憲法が発布されて、次いで帝国議会が開催される。その一方で、自由民権運動は弾圧されて終わりを迎える。それで、ようやく役人として正規雇用された主人公の内海文三が、太政官制度が内閣制度に変わったせいでリストラの憂き目にあうという設定が、『浮雲』に書かれているわけです。その二年前から書かれた二葉亭の師匠である坪内逍遙の『当世書生気質』には、いま東京で人口が一番多いのは書生と人力車夫だと書かれていますが、人力車夫というのは明治維新の負け組で、その多くは会津藩士などの没落士族です。一方の書生は、薩長藩閥政権のつてで、高学歴で成り上がっていこうとしている人たちで、『浮雲』の文三は、その敗者なんです。要するに、日本の近代文学は主人公が敗者として始まっている。それからもう一つ、漱石と同時代の有名な文学者は、徳冨蘆花であれ尾崎紅葉であれ、みんな二十代に書き始めている。そういう意味でいうと、大学を卒業したかしないかのような青年たちが人生経験のないまま、まさに恋と革命を書くみたいなところが出発点になっている。
 それと比べると夏目漱石─夏目金之助は三十八歳で、『文学論』という理論を構築した上で初めて小説を書くわけで、しかも戦略的に『吾輩は猫である』を『ホトトギス』に、『帝国文学』にはあたかも留学報告のような『倫敦(ロンドン)塔』を、そして丸善の宣伝誌である『学鐙』には『カーライル博物館』と、明らかにメディアによって内容を書き分けている。この瞬間─要するに同時代の日露戦争二年目の日本社会とどういうふうに小説家として対峙していくのかというスタンスを、複数しつらえているわけです。そういう作家的出発をした人は、日本の近代文学史の中では稀有だったのです。
 その意味でこそ、百年たってもなお、いまの時代とかかわるリアリティをもって読める日本語小説の表現を残し得たのだと思います。つまり、青春と恋愛と革命から切れたところの小説だからこそ、かえって二十一世紀の私たちにとって大事なのだと思いますね。

 それは「大人の文学」という言い方をしてもいいかもしれない。ぼくが大人の文学という意味は、年とともに新しい発見があるということで、そこにはやはり漱石文学ならではの何かがあると思いますね。

小森 たしかに、漱石の小説は青春的熱狂で読みふけるものではないですね。

 若いときには芥川とか太宰を読みたがるものだけれど、還暦を過ぎたいまは、ますます漱石に惹かれている。ぼくの「漱石ブーム」はまだしばらく続きそうです。

構成=増子信一


【姜尚中 著】
『漱石のことば』
発売中・集英社新書
本体760円+税

没後一〇〇年。今なお私たちを勇気づけ、深い智慧をもたらしてくれる珠玉の名言一四八。
「可哀想は、惚れたという意味」「本心は知り過ぎないほうがいい」「すれ違いは避けられぬ」「みんな淋しいのだ」「病気であることが正気の証し」「嘘は必要」「一対一では、女が必勝」「頭の中がいちばん広いのだ」「片づくことなどありゃしない」。
半世紀以上にわたり漱石全集を愛読してきた著者が、密かに会得したこれらの教訓≠ニともに、一四八の文章を紹介。
プロフィール
姜尚中
カン・サンジュン●1950年熊本県生まれ。東京大学名誉教授。専攻は政治学・政治思想史。著書に、100万部超のベストセラー『悩む力』と『続・悩む力』のほか、『マックス・ウェーバーと近代』『オリエンタリズムの彼方へ』『ナショナリズム』『日朝関係の克服』『在日』『姜尚中の政治学入門』『リーダーは半歩前を歩け』『心の力』『悪の力』等多数。小説作品に『母―オモニ―』『心』がある。
小森陽一
こもり・よういち●1953年東京都生まれ。東京大学大学院総合文化研究科教授。専攻は日本近代文学。著書に、『漱石を読みなおす』『最新宮沢賢治講義』『知の技法』(共著)『出来事としての読むこと』『世紀末の予言者・夏目漱石』『小森陽一、ニホン語に出会う』『村上春樹論』『漱石論 21世紀を生き抜くために』『3.11を生きのびる 憲法が息づく日本へ』(編著)『岩波新書で「戦後」をよむ』(共著)等多数。
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