『狭小邸宅』で二〇一二年にすばる文学賞を受賞した新庄耕さんの待望の長編小説が刊行されます。タイトルは『ニューカルマ』。大手電機メーカーの関連会社に勤める主人公が、ふとしたきっかけからマルチ商法的なネットワークビジネスの世界に引き込まれていく過程が、息苦しいほど克明に描かれた意欲作です。果たして主人公の行きつく先は……。なぜ今このテーマなのか、作品に寄せる思いを語っていただきました。
行き詰った時に聞こえる「ささやき」
──主人公ユウキは、会社の業績悪化や周囲のリストラなどもあって、先行きに不安を抱えています。そんな中で、彼がネットワークビジネスの世界に傾倒していく過程の「息苦しさ」は、ブラックな不動産業界を描いた『狭小邸宅』と通じるものを感じました。
ええ。『狭小邸宅』と今回の『ニューカルマ』は、扱っている題材もテーマも全く関連性はないんですが、小説の方向性としては、I、IIとつけても、そんなに違和感はないかもしれません。こういう特殊な業界って、普通、知らなければほんとに知らないし、あるいは、ちょっと知っていても、閉ざされているので、その実態がわかりにくい。そういった世界の中に、外の人間を放り込むという設定が面白いなと思ったんです。
『狭小邸宅』もそうなんですが、飛び込んだ先はファンタジーでも何でもなく、厳然とした現実世界なんです。その中で主人公がいろんなことを経験して、もがいていく過程は、スリリングだし、単純に僕が読み手だったとしても見てみたいなというのはありました。
──一時期マルチ商法が流行った時代があって、十五年ほど前に梁石日(ヤンソギル)さんもこのテーマで小説を書いています。なぜ今、この業界を書こうと思われたのでしょうか?
梁石日さんのその小説は『睡魔』(二〇〇一年)ですね。僕も読みました。あの時代は、マルチ商法的なビジネスは、業界的に二兆円ぐらいだったんですね。社会的な問題になって、今それが完全に消えてしまったかというと、そんなことはなくてまだ一兆円ぐらいの規模がある。ということは、その一兆円を支えるだけの人がいまだにいるということです。
終身雇用が当たり前で、みんながみんな右肩上がりで生活がよくなって給料も増えてという時代が終わって、今は就活しても普通に会社へ入ることさえままならない。じゃあ就職しないで、フリーターになるのも嫌でほかにどう生きていけばいいかというと、ないんです。お笑い芸人もミュージシャンも、あるいはスポーツの世界も才能がなければそこには行かれない。起業するといっても、店舗や事務所を持つには資金もノウハウもいるし、銀行もお金を貸してくれない。そんなふうに何もできない中で、ささやき≠ェ聞こえてくるんです。
──一万円からでもできますよと。
そう、個人事業主としてできますよと。頑張れば一億円稼ぐことも夢ではないですよとささやいてくる。そういうネットワークビジネスを取り巻く環境と、そのささやきに魅力を感じ、あらがえない人たちとの関係が、今の時代性ともつながってくると思います。
日本社会全体が持つ「カルマ」とは
──物語では、ネットワークビジネスの世界に引き込まれた主人公が、その中でもがいて、げっそりやつれるほどの悲惨な体験をしますが、一度抜け出しても結局行き場がなく、性懲りもなくまたその世界に戻っていく。カルマとはそういう人間の業(ごう)のことですか。
僕は『ニューカルマ』というタイトル、気に入っているんですが、これは何度ひどい目に遭っても懲りない主人公自身の業という意味もあるし、もう少し敷衍(ふえん)させれば、日本社会全体が持っているカルマにもつながっていくと僕は見ているんです。
確かにこの業界にはうさん臭いイメージがつきまとい、実際、人を食い物にしているところも一部ではある。けれど、そうした業界を排除できない、あるいは排除する正当性を持ちえない社会もまた同じような業というか病質を抱えているような気がしているんです。
普通の人からすると、こういう業界って、何となく疑いの目で見るようなところがありますけど、事実上、法律には触れていなかったり、昔のような粗悪な商品はもう排除されて、ちゃんと需要に見合う商品になりつつある。そうすると、一体何がいけないのかってことになる。今までこの業界を怪しげなものと見ていた社会の風潮を覆すような、パラドックス的なものも感じながら書いていました。
──なるほど。そこにからめとられる人間だけでなく、社会全体につながるカルマも見据えたテーマでもあるわけですね。書くに当たって取材は苦労されました?
何を隠そう僕自身、昔の彼女つながりでそういう商品を買ってしまった経験もあるし(笑)、勧誘を受けた人なんて石を投げたら必ず当たるほどたくさんいます。意識して取材をしなくても、情報は集まりました。
もちろん取材によってリアリティーを担保することはできるんですが、書く段になってそれなりに苦労しました。僕自身の小説を書く技術がまだ未熟なもので、取材した事実に沿って組み立てても、なかなか小説としての力を持ちえないという課題がずっとありました。そのまま事実を書いちゃうと、やはり単なる挿話の寄せ集めになってしまうんですね。それを一つの魅力ある作品に仕上げるには、また別の筋力が必要だということを今回は強く認識させられました。
──小説を組み立てるに当たって主人公のキャラクター作りは重要だと思うのですが、『狭小邸宅』も今回の作品の主人公も、どこか人間関係が不器用で、自分の感情をうまく表に出せないタイプですね。
ええ、そうですね。僕自身がそういう人間が好きだというのもあります。それにコミュニケーションの上手な人間の成功談を書くことに今は面白みを感じない。世の中はうまく生きている人ばかりじゃないと思っているので、そういう不器用な主人公が変わっていくさまを書きたいという思いはありました。
働くことの諸相は大きな要素
──その主人公と対照的な存在として、その世界から足を抜かせようと奔走する正義感の強い親友が登場しますね。
はい、この親友は明確な狙いがあって登場させました。彼は、一般にうさん臭いと思われがちな業界にはまっていきそうな友達を、何とかその世界から引き離そう、立ち直らせようとあらゆる努力を惜しまないわけです。彼は、正義感が極めて強く、まっすぐで、大きいことを言うヤツ。人によってはそこら辺にいたらちょっと面倒くさいヤツ、いわゆる痛いヤツと思うかもしれない。けれど行動力があり、ちゃんと結果を出していくので、どんどん社会でのプレゼンスが高まっていく。実際、彼は仙台から東北全体を盛り上げたいという強い思いから、市議会議員として活動している。
一方、ユウキという主人公はそういった使命感を持っていたわけじゃない。でも、そういう人間が挫折や矛盾を感じながらも、ネットワークビジネスの世界に感化されていく中で、ある種の使命感を持つようになる。すると、活動の社会的な位置づけこそ違いますが、主人公のあり方が、この社会で成功している親友の存在とそれほど変わらなくなってくるんです。
──主人公はしだいに自分の扱う商品で人々を幸せにしたい、救いたいと本気で思うようになりますね。
ええ、だから親友の彼はもう主人公を否定できなくなってしまうんです。僕の狙いとしては、だんだん読者が何が正しくて、何が悪いのかわからなくなるような……そんな自身の価値観が揺さぶられる瞬間がちょっとでもあったら、この小説は成功かなと思います。
──新庄さんはこれまで仕事をテーマに書いていますが、これからも重要なご自身のテーマとして取り組んでいかれるんでしょうか。
その路線と決めているわけではありませんが、社会がある程度成熟して、終身雇用が過去のものとなった今、学校を出たらすぐ働けるという環境はもう保証されないわけです。そんな時代に物語や小説を書く時、現代社会の設定の中でキャラクターを動かすためには、どういう仕事であれ、働くということが重要かつ大きな要素になってくると思っています。
聞き手・構成=宮内千和子
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【新庄 耕 著】
『ニューカルマ』
2016年1月5日発売・単行本 本体1,500円+税 |
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新庄 耕
しんじょう・こう●作家。 1983年京都府生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒業。2012年、『狭小邸宅』で第36回すばる文学賞を受賞しデビュー。 |
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