青春と読書
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湊かなえ『ユートピア』
悪意ではなく、善意が行き着く果ての歪(ひず)み・湊かなえ
 太平洋にのぞむ港町・鼻崎町(はなさきちょう)。日本有数の食品加工会社・八海水産(ハッスイ)の国内最大の工場によって栄えたこの町は、景気の低迷とともに衰退の一途をたどっていた。駅前から延びる<鼻崎ユートピア商店街>は、全盛期に一日一万人が訪れたというのが嘘のように今は寂れ、また、五年前のハッスイ関係者による殺人事件は、この町にさらなる影を落としていた。そんな町の一角にある<岬タウン>には、陶芸家・星川すみれをはじめ、画家、詩人、ガラス職人、染色家など、多彩なアーティストたちが鼻崎町の景観に惹かれて移住していた。彼らはアートによる町おこしを目指し、商店街にカフェや雑貨店を開いたり、十五年ぶりに商店街祭りを企画したりと、精力的に活動していた。
 老舗仏具店に嫁いだ菜々子(ななこ)は、夫がハッスイに勤めているため、寝たきりの義父に代わり店を任されている。彼女の七歳の娘・久美香(くみか)は、一年前の交通事故で車椅子生活を余儀なくされていた。ある日、久美香を想って書かれた親友・彩也子(さやこ)の詩が新聞に掲載され、久美香の存在とともに大きな注目を集める。これを機に、商店街祭りで親交を深めていたすみれ、奈々子、彩也子の母、光稀(みつき)の三人は、車椅子の基金「クララの翼」を設立する。しかし、基金を運営する中で、些細なすれ違いから三人の関係に軋みが生まれ…。

湊かなえさんの待望の最新刊『ユートピア』(11月26日発売・単行本・本体1,400円+税)がいよいよ刊行されます。本作は、かつて栄えた港町を舞台に、地元の人々、この地に惹かれ移り住んだアーティストたち、転勤で移住してきた家族など、立場の違う人々の心情や関係性が細やかに描かれ、複雑な思いが絡み合って生まれる疑念、誤解などから様々な問題が立ち上がるミステリ小説です。刊行にあたって、本作に込めた思いを湊さんに伺いました。


三つの目線から描いた
「善意の行き着く果て」


──『ユートピア』は、太平洋に面した人口七千人の、とある地方の小さな町(=鼻崎町)が舞台。そこに暮らす登場人物たちは、いわゆる悪人ではないけれど、それぞれの善意≠フ違いに、のっけから、ドキリとさせられますね。

 今回は、ひとことでいえば、「善意の行き着く果て」みたいなものを書いてみたいなと思いました。
 これまでの私の作品は、どちらかといえば、人が持つ悪意を突き詰めたものが多かったのですが、悪意によって起きた出来事というのは、原因もわかりやすいですし、それに対する向き合い方も、案外、考えやすい。
 でも、頑張って町をよくするぞとか、自分の生活をもっと輝くものにするぞとか、何か前向きな気持ちで取り組んで、そこで歪(ひず)みが生じたり、上手くいかないことが起きたりすると、実は、悪意から始まったことよりも、善意の行き着く果てのほうが、もしかしたら解決困難なものが待っているんじゃないか……。そんな疑問が、この『ユートピア』の出発点になりました。

──そして、その中で、ふとしたきっかけから始まったボランティア活動と、「芸術による地域おこし」というものの矛盾点が、非常にリアルに描かれていきます。

 善意の行き着く果て=「じゃあ、いいことって何だろう?」ということを書いてみたいと思ったときに、やっぱり、複数の人たちが関わるボランティアというものが、とても気になりました。一概にボランティア活動といっても、目立ちたいからやっている人もいれば、目立ちたくないけどやっている人もいる。しかも、いいことをやっているはずなのに、成功すれば叩かれたり、偽善者だと言われてしまうこともある。
 また、「地域おこし」においては、地元の人たちと外から来た人には、温度差があって、そこにいろんな歪みが出てきたりします。一時期、芸術での町おこしがブームのようになっていましたが、外から来た人たちは、きっと、自分たちの知識や技術を生かして、この地域をもっとステキに発展させて、みんなの役に立とうという志や善意を持っている。でも、地元に長く暮らしている人たちからしてみれば、それで何年やっていけるんだ、それよりは企業を誘致してくれたほうがいいのになあ、とか思っていたりする。でも、それはやっぱり、それぞれ悪意ではないんですよね。
 ですから今回は、地元の人、外から志を持って来た人、さらに、転勤などで自分の意思とは関係なくそこに来ちゃった人、その三つの目線から、「善意の行き着く果て」というものを書いてみたいなと思ったわけなんですね。

──しかも、その書き分けが、やはり湊さんならではで、本当にリアルというか。地元の人=菜々子、芸術村の住人=すみれ、夫の転勤で来ちゃった人=光稀という三人の女性をはじめ、どの登場人物も、思わずニヤリとしたり、逆に、ドキリと身につまされたりしてしまいます。また、少し細かいことになりますが、この物語のかなめとなる彼女たち三人が出会う「花咲き祭り」の景品となった「線香」もそうですが、湊さんの作品は、なんとなく語感がおしゃれでない、ざらっと耳に残る小道具=ディテールや言葉の使い方が、ほんとうに巧みだなと改めて感心しました。

 たぶん、ギリギリのところを探すのが、好きなんだと思います。ステキなお香やアロマだとふつうにおしゃれになってしまうけれども、ラベンダーの香りとはいえ、商店街の仏具屋さんで売っている線香をこぎれいな包装紙に包んで、「これも文化なんだ、おしゃれグッズになり得るんだ」と言われると、つい「そうかな?」と思ってしまうかもしれない。でも、菜々子をはじめとした地元の人たちが思うように、線香は、やっぱり線香なんですよね(笑)。
 また、すみれは、作中でよく「美しいものだけが好き」と言いますが(笑)、誰かにとっては美しくても、誰かにとってはそうじゃない、それが当たり前かなとも思うんです。ですから私自身は、たとえばステキな女子になるための指南本みたいなものを読むと、やっぱりどこかで「あれ?」と思ってしまう。ステキな女子というのは、同じ場所にいても、きれいなものしか見ない。私なら、カフェに入ると、ふつうに、ああ、あのおじさん、おしぼりで顔拭いているなとか、そっちに目が行ってしまうけれど、でも、ステキな女子はそういったところには目がとまらずに、あっ、この一輪挿しに生けたお花がかわいいなとか、このライトがかわいいなとか、きれいなものだけを見る。だから、それを意識したら、徐々にステキな女子になれるとか……(笑)。そういうものを読むと、「たしかに、そうかも」と思って、頑張ってみるんですけれど、やっぱり、違うものにも目が行ってしまう。でも、それはきっと、私だけではないんじゃないかなと、つい思ってしまうんですね。

目指したのは、
鼻崎町のジオラマづくり


──性悪説でも性善説でもなく、この世界を、ふつうの感覚で見据える。それが、『ユートピア』でも、より一層堪能できます。また、構成的なことでいえば、たとえば『花の鎖』は、「数独」みたいな感じ、『Nのために』は、立体パズルみたいな感じ、『リバース』は、びっくり箱の感じと、おっしゃっていましたが、今回は、どういうものを目指されましたか?

 たぶん、「ジオラマづくり」というのが、一番近いと思います。人口七千人、太平洋にのぞむ、かつては缶詰工場で繁栄して、三波春夫さんも商店街のお祭りに来た!(笑)という鼻崎町というジオラマをつくって、その町のいろんなところにカメラをつけて、町で暮らすみんなを、いろんな角度から見てみようといった感じ……。そして、そこにはもちろん、嫌な話もいい話もあるし、それぞれの環境も立場も主張したいところも違っているけれど、でもカメラを切り替えるように視点を変えたら、嫌な部分だけではなくて、何か滑稽で微笑ましいなとか、ああ無理してるんだなあとか、そういうところが見えてくるようにしたかったんですね。

──だから、この『ユートピア』は登場人物がこれまでの作品に比べても多いのに、それぞれがとてもリアルで、しかも、人によって価値観も欲もまったく違うのだということを鋭く突きつけられるのかもしれませんね。そこで、あえてお聞きしたいのですが、この中で湊さんご自身が、一番自分に近いと思った人物は、誰ですか?

 誰か一人というのではなく、全員の中に自分がいます。地元民ではないけれど、たぶん私はずっと淡路島に住むと思うので、何となく、この先ずっとここに住んでいくという菜々子のこともわかりますし、古くから町の商店街にいるおじいさんたちにも共感します。でも、自分の立場からすると、たまたまここに住み始めちゃったよっていう光稀のこともわかるし、かといって、自分がやっていることに一番近いのは、すみれをはじめとする芸術村の人たちの感じなのかなとも思える。だから、大人も子供も含めて、この鼻崎町の人々の全員の中に、少しずつ自分がいるような気がします。
 たとえば、すみれ的な部分でいえば、私も仕事では編集者さんたちと、真剣に本の未来とか電子書籍のこととかを語ったりもしますけれど、でも世の中の大半の人は、たぶん本に興味がないだろうというのもわかる。だから、古くからいる商店街の人たちが、何を熱く語っているんだ、それより景気のほうが大事だ、ということもすごくわかる気がするんです(笑)。
 また、今回は、書き進めていくうちに、登場人物にどんどん愛着が湧いてきました。そもそもは、一生懸命頑張っている人たちが頑張った末におかしなことになってしまう、ということを書きたいと思って始めたので、最初は、もっと突き放した不幸な着地になるかなと思っていたんです。でも、書いていくうちにだんだん、みんながいとおしくなってきて、「どうしたら、この人たちは救われるんだろう? どうしたら希望みたいなものを見出せるんだろう?」と、どんどん気持ちが変わっていって……。それは、自分でも、面白いなと思いました。
 そして、これはタイトルの『ユートピア』にもつながるんですが、もちろん全てが幸せにならなくてもいい。だけど、善意を持った人たちがただ不幸になるだけでは、やっぱりダメなんじゃないか、と。それぞれの結末=たどり着く先は違っても、それぞれが自分の理想の居場所=ユートピアらしきものの片鱗を見出せる終わり方にしなければと、途中から、どんどんそう思うようになっていったんですね。

聞き手・構成=藤原理加


続きは本誌でお楽しみください。
【湊かなえ 著】
『ユートピア』
11月26日発売・単行本
本体1,400円┼税
プロフィール
湊かなえ
みなと・かなえ●作家。
1973年広島県生まれ。2007年、「聖職者」で小説推理新人賞を受賞、08年、同作を第一章とした『告白』(本屋大賞)でデビュー。著書に『少女』『贖罪』『Nのために』『夜行観覧車』『往復書簡』『花の鎖』『母性』『望郷』『白ゆき姫殺人事件』『絶唱』『リバース』等多数。
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