青春と読書
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安部龍太郎『義貞の旗』
インタビュー 武士道の原点となった男・新田義貞
鎌倉時代末期の混乱の世に立ち上がり、後醍醐天皇方として幕府滅亡から建武新政発足において歴史の表舞台を駆け抜けたひとりの武将がいた。清和源氏の八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ)を遠祖として興り、上野国(こうずけのくに)(現在の群馬県)に勢力を張った豪族新田(にった)氏の八代棟梁新田義貞(よしさだ)である。
このたび発売される安部龍太郎さんの新刊『義貞の旗』は、軍記物語『太平記』にも登場するこの義貞の劇的な生涯を、史実に照らしながら独自の解釈を交えて描き切った傑作歴史長編。『道誉(どうよ)と正成(まさしげ)』以来待望の南北朝ものである本書において、ほかでもない義貞に光を当てたのはなぜか。安部さんにお話をうかがいました。


新田氏との因縁、南北朝との因縁

──南北朝ものでは、楠木正成や足利尊氏(あしかがたかうじ)が人気で、新田義貞が主人公の作品はあまり書かれていませんが、なぜ義貞を選ばれたのでしょうか。

 僕が時代小説を書く切っ掛けになったのが、新田義貞の息子の義興(よしおき)なんです。昔、大田区にある下丸子図書館で働いていて、近くを流れる多摩川に矢口の渡しがありました。一三五八年、義興の元へ来た足利方の裏切り者から、鎌倉攻めの総大将になって欲しいといわれます。義興は矢口の渡しから船に乗ったのですが、川の中ほどで船底に仕組まれていた栓を抜かれ、船もろとも沈められて殺されてしまったんです。僕は、この史実を題材に「矢口の渡」という作品を書いて、オール讀物の新人賞に応募しました。それが初の歴史小説で、初めて最終候補になりました。それから「矢口の渡」の続編の「知謀の淵」を書いて、今度は小説新潮新人賞に応募しました。これも最終候補作になって、出版社から「我が社で育てたい」と声をかけていただきました。僕は義興を書いた小説でプロになったので、いつかは父親の義貞を書かなくてはと考えていました。この想いが、三十年経ってようやく実現しました。

──後南朝を描いた『彷徨(さまよ)える帝』、南北朝ものの『道誉と正成』を発表されていたので、南北朝に興味を持たれていると思っていましたが、深い因縁があったんですね。

 さらにいうと、僕が生まれた福岡県八女(やめ)市は、南北朝時代、足利方に敗れた南朝方が逃げ込んだという伝承があります。母方の遠い先祖も南朝の一門だったといわれており、南北朝時代には前々から関心を持っていました。

──『道誉と正成』では、佐々木道誉と楠木正成が、物流を支配する商業的武士団とされていました。本書でも、鎌倉末期が貨幣経済の世の中になっていたことが強調されていますが、これは前作と共通する歴史認識で書かれているのでしょうか。

 そうです。なぜ南北朝時代が興ったかといえば、鎌倉時代に元との交易が盛んになって、農本主義から貨幣経済に変わったからです。農本主義的な社会では日の目を見なかった商業、流通の従事者が、貨幣経済の浸透で経済的な力をつけていったのです。最新の研究では、義貞も利根川水運で経済的な基盤を築いたことが明らかになりつつあります。貨幣経済で成功した武士が、農本主義的な鎌倉幕府を倒したというのが、僕の基本的な南北朝時代の認識ですね。

──本書の後半で、義貞に敗れた足利尊氏が九州へ逃れます。現代人は辺境に落ちていったと思いますが、当時の博多は宋銭の輸入窓口なので、尊氏たちは莫大な資金を押さえたとされています。やはり尊氏は、計算して九州へ向かったのでしょうか。

 計算していたと思います。でなければ、中国地方も四国もあるのに九州まで行きませんよ。一九七五年に韓国の新安で、元から日本に向かっていたとされる沈没船が引き上げられました。二十八トンもの銅銭が積まれていたそうです。当時の日本は貨幣を造っておらず、すべて輸入に頼っていました。博多を押さえることは造幣局を支配下に置くようなものですから、尊氏は勝つ見込みがあると考えていたはずです。

──『道誉と正成』の主人公二人は、物流を支配するお金持ちですが、義貞はとても貧しく、京を警備する大番役に任じられても、借金しなければ京へ行けないほどでした。

 鎌倉幕府を打倒した義貞と足利尊氏はよく比較されますが、尊氏は二カ国を領有する守護で、北条政権の閣僚です。これに対して義貞は上野国新田荘の領主で、現代でいえば町長といったところです。貨幣経済が発達した鎌倉末期には、お金持ちはどんどん蓄財しますが、成功できない人はどんどん貧しくなっていました。実際に、義貞は田畑を売り払っています。幕府にもらった領地を質に入れたり、売ったりすることで鎌倉幕府の御家人体制が崩れていったわけです。後に義貞に仕える月田右京亮(つきだうきょうのすけ)は、多額の借金を強盗で返し、さらに蓄財して金持ちになっています。義貞にも似たようなところがあり、悪党とは呼ばれていませんが、悪党的な気質を持っていた男だと思います。

──義貞がべらんめえ口調でしゃべるのも、悪党的な部分を強調されたのですか。

 そうです。幕末の侠客・国定忠治(くにさだちゅうじ)のイメージですね。忠治も上野国の出身ですから、義貞も地方の親分みたいだったんだろうなと考えました。

村の領主から数万兵の指揮官へ

──格差社会の底辺にいる義貞がのし上がっていくというストーリーは、現代人にも共感が大きいように思えました。

 道誉と正成は、既に貨幣経済が浸透していた先進的な関西の人間です。義貞は関東武士ですから、農本主義の社会を生きる田舎者です。昔ながらの武士が、旗を掲げて中央へ攻め上っていく物語を書いてみたかったというのはありました。

──義貞の関東武士らしい質実剛健さは、最後まで「銭より義のほうが大切だ」と言い続けるところにも表れていました。

 鎌倉末期になると、土地の所有権、証文が借金のかたに取られていって、内側から幕府のヒエラルキーが崩壊していました。そして金銭は、北条高時(たかとき)に仕えた長崎高資(たかすけ)といった商業資本家のもとに集まり、幕府の高官は賄賂を取ってさらに肥え太っていく。そんな世相の中で、武士の義が廃れていきましたが、義貞は守ろうとした。義貞は、日本に朱子学が入ってきて、鎌倉武士が言行一致などを学び始めた時代を生きています。その影響を受け、武士の生きざまとは何かを考え始めた義貞は、江戸時代まで続く日本の武士道の原点になったといえるかもしれません。

──義貞は、腐敗した幕府を打倒し、まったく新しい、民衆のための政治を行う政府を作るという理想に共鳴しますが、これは現代社会にも通じますね。

 これは人類の永遠のテーマでしょう。鎌倉幕府が貨幣経済で倒れたように、南蛮貿易が盛んになり、信長のような男が台頭するチャンスがあったからこそ室町幕府も倒れました。黒船来航による国内経済の混乱で、徳川幕府が倒れたのも同じです。だから日本は、三百年ごとに古い体制が崩れ、新しい政府が生まれているという感じです。

──この作品では、分倍河原(ぶばいがわら)の戦い以降、戦闘シーンが続きます。安部さんは戦国時代の合戦もお書きになっていますが、南北朝時代の合戦にはどのような特徴があるのでしょう。

 戦国時代の合戦とはかなり違ったようです。南北朝時代は、合戦があると一族郎党を集めますが、旗色が悪くなるとすぐに逃げ去ってしまうんです。戦国時代のように一国単位の領国を持っている武将はほとんどおらず、広くても郡単位、小さければ村単位くらいの領主しかいないので、小領主が集まって共同体を作っています。そのため合戦に勝ち続ける武将、人間的な魅力がある武将が頂点に立つことになります。だから義貞のように、八幡太郎義家の直系だとか、天皇の綸旨(りんじ)(命令)を得たとかが重要になるわけです。

──義貞は、鎌倉幕府打倒の旗揚げをした時はわずか百数十騎でしたが、進軍するうちに同志が増えていきます。これは考えてみると、すごいことです。

 すごいです。義貞の評価は、これまで低過ぎました。後醍醐天皇は、皇位を譲った皇子を義貞に託して、北陸へ行かせています。天皇を預かった武将は南北朝の歴史の中にもいませんから、それだけ後醍醐天皇に信頼されていたことが分かります。

──義貞の元には大軍が集まります。それまで義貞は、小さな村の領主に過ぎませんでしたが、すぐに数万の大軍を指揮します。なぜ、それが可能だったのでしょうか。

 作中にも書いていますが、人は器によって育つからではないでしょうか。現代でも、社長になったら、風格が出て社長らしい働きをする人がいます。義貞は、八幡太郎義家の末裔ですから、自分の血筋ならこれくらいできて当たり前だとか、周囲の期待に応えたいとか考えているうちに、将としての器を大きくしていったのだと思います。

──『道誉と正成』では、後醍醐天皇の皇子の護良(もりよし)親王を高く評価されていました。この作品でも、後醍醐天皇より護良親王の評価が高いですね。

 実績を比べてみると、明らかに護良親王が上です。護良親王は、早くから奈良へ逃れて、味方を募り楠木正成と共に戦いました。まさに護良親王は建武新政の創設者で、後醍醐天皇は護良親王の活躍を見て、鎌倉幕府は打倒できると確信したのではないかと考えています。護良親王は、明治維新でいえば、草莽(そうもう)の志士みたいなところがあります。だから名も無き勤王の志士のように、悲劇的な最期を遂げています。

──中盤までは、義貞が鎌倉幕府を打ち破る痛快な展開ですが、後半は宮廷陰謀劇になり、落ち度がない義貞が追い詰められていくこともあってせつなく感じられました。

 それが都の政治の本質です。関東では戦に勝った者がイニシアチブを取れますが、都に上がると天皇の言うことを聞かなければなりません。そうすると、天皇を味方につけた方が有利になるので、誰が天皇を取り込むかという謀略戦になっていきます。武家政治と朝廷政治の二元制には多くの武士が泣かされていて、朝廷は信長とも互角に渡り合っていますし、幕末にも公家は権謀術数をめぐらせています。

聞き手・構成=末國善己


続きは本誌でお楽しみください。
【安部龍太郎 著】
『義貞の旗』
10月26日発売・単行本
本体2,000円┼税
プロフィール
安部龍太郎
あべ・りゅうたろう●作家。
1955年福岡県生まれ。図書館司書を務めるかたわら、90年に短編で日本全史を網羅した『血の日本史』でデビュー。著書に『関ヶ原連判状』『天馬、翔ける』(中山義秀文学賞)『恋七夜』『道誉と正成』『等伯』(直木賞)『維新の肖像』『姫神』等多数。
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